幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

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09年5月、幸福実現党立党はなぜ立党したのか?

2016-11-25 21:51:27 | エル・カンターレ 大川隆法という偉大な光

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今年立宗30年の幸福の科学の歴史は、大川隆法総裁の判断の歴史です。

その中でも近年で最も重要な大川隆法総裁の判断は、やはり2009年の幸福実現党の立党だと思います。

 

幸福実現党の立党は、巷で言われるような、宗教法人の政治進出の一環ではありません。

実は私も、当初は政治進出だと認識しておりましたが、その認識はすぐに打ち砕かれました。(笑)

私の認識では、政治進出というか、将来の政治組織の基礎固めくらいしか、幸福の科学には余力はなかったので、あのような初陣から全選挙区に出馬するような、大きな戦いは想定しておりませんでした。

これは、多くの会員信者の共通認識だったと思います。

そして恐らく教団幹部に至るまで。

 

普通はそうです。

なぜならば、2009年当時の幸福の科学は、幸福の科学学園創立と、秋に「仏陀再誕」という、映画上映を控えていたからです。

幸福の科学初の学校創立、そして3年に一回行っている映画上映への取り組み。

これらはそれ単独でも、幸福の科学にとってはとても重要であり、多くの活動エネルギーを要するものです。

もしも、幸福の科学が自団体主義であったなら、あの時点で衆院選挙になど、出られるはずはないのです。

ですから、2009年春に幸福実現立党の話が、大川総裁からあったときには、当時の信者ほとんど全てが、「これは、将来への布石を打つもの・・・。」という認識だったのです。

これが、通常で言うところの、政治進出というものです。こういう流れならば、政治進出を図ったと言って差し支えないのです。

そうではなかったので、以前の記事で、「幸福実現党は、幸福の科学の政治進出ではない」と私は申しました。

2009年幸福実現党立党は、幸福の科学の政治進出ではありません!

http://blog.goo.ne.jp/rokochifukyosho/e/b0d256d3dd38d756101efe6c2873d72e

09年当時、当然政治進出のつもりで立党準備を進めていた、当時の教団幹部や党本部に、大川隆法総裁から檄が飛んだとのこと。

「次の衆院選挙において、全選挙区に幸福実現党の立候補者を立て、第1党を目指せ!」

それは今考えても、恐ろしい指示でした。(笑)

「総裁は、一体何をお考えなのか・・・?」が、当時の誰もが理解できなかったのです。

教団、そして立党を準備していた、党本部に激震が走ったのは無理ないことです。

常識では考えられない判断だからです。

事の起こりは、やはりその年の4月に、北朝鮮が日本の国土を超えてミサイルを発射したことへの、時の麻生内閣の対応のまずさにありました。

大川隆法総裁は、麻生総理の経済政策への見識の低さは、とっくに見抜いていたはずです。

直前の3月ご講演でも、

「麻生総理は、どうやら金融が理解できないようだ。」「麻生総理は、財政は分かっても、どうやら金融がわからないと思われます。」と仰っていました。

  

 

金融とはお金の運用ですが、要するにお金の創出や流れです。

麻生氏には、この金融を理解するレセプター(受動体)がなく、財政しかわからない政治家だという認識は、幸福の科学信者の共通認識でした。

この、金融を理解できないのは、現総理の安倍氏も共通だと思います。

ですが麻生総理は保守本流の政治家として、大川隆法総裁は、この北朝鮮ミサイル問題を、麻生氏ならば解決するだろうと期待していたはずです。

 

しかし麻生氏は、「どうすれば良いか、わからない。」という発言を繰り返しました。

これは、日本を預かる宰相として、決して言ってはならない発言でした。

恐らく大川隆法総裁は、ミサイルの飛んだ09年4月時点で、時の宰相麻生氏に、秘書を通じて解決策を指示をしているはずです。

なぜ私がこう思うかと言うと、4月の幸福の科学が、とても静かだったからです。

その4月時点で、麻生氏に指示した内容とは・・・。

これは全くの私の想像ですけれども、前後のつながりから見て、恐らく間違いないはずです。

 

その内容とは、「日本国憲法9条改正を戦いの争点とし、即座に衆議院を解散するべし!」

恐らくこういう内容が、大川隆法総裁から麻生氏へと指示されたと思います。これを争点として選挙を戦えば、たとえ当時の与党自民党が負けたとしても、北朝鮮そして背後に控えている中国は、日本に手出しできなくなるからです。

なぜならば、下手に手を出せば、日本はとたんに保守回帰し、次の選挙までに9条は改正される流れになるからです。

そして恐らく民主党は、政権を実際に担うことで、その本質がばれ、自民に政権が戻り、同時に改憲の可能性が出ます。
 

日本の潜在国防力は高く、法整備と毅然たる政治家の態度があれば、容易に他国が攻めることはできません。

しかしこれまた恐らく、麻生氏はこの、大川総裁の提言を拒絶したはずです。

当時の国論であれば、「改憲を争点にした選挙をすれば、絶対に勝てない」と判断するだろうからです。

ここに、一日でも政権与党でいたいという価値観の麻生氏と、日本を護り、世界に責任を感じていた大川隆法総裁との、価値観の決定的な違いがあります。

残念ながら当時の麻生氏には、一国の宰相にまでなりながら、目前の選挙しか関心がなかったということです。これは今の政権与党も同じでありましょうね。

2009年4月の大川隆法総裁は、沈思黙考なさったはずです。

「自分に、なにができるか。」を。

具体的には、「時の政権自民党が、9条改正を争点とした衆院解散と、同じだけの効果を伴う施策をもたらすにはどう行動するべきか」をです。

そうそれが、それこそが、2009年5月の幸福実現党の立党の動機であり、その後の実現党の、苦渋に満ちた歩みそのものなのです。

 

そう、2009年以降の、幸福実現党の辛すぎる歩みは、

2009年に、与党自民党が、9条改正を争点とした衆院解散をした場合と同じだけの効果を、その後の日本にもたらすためのもの 

なのです。

それは総裁である大川隆法という御仁が、一体何に責任を感じているかは、幸福の科学&幸福実現党の歴史を見れば、一目瞭然なのです。

何に責任を感じているかが、ずばりその人となりを現すのです。

          (ばく)

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