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8月6日の広島、そして9日の長崎は、大東亜戦争における、原爆投下の日です。
平和への思いを、私は人一倍抱いているつもりです。
そう言った意味で、この時期になると盛んに行われる平和式典が、私には平和を望んでいるようには思えないのです。
私には平和式典には見えず、『屈服の誓いを新たにする式典』に見えるのです。
私には、日本の平和思想が、「日本が悪さをしなければ、世界は平和なのだ。」と言っているように思えて仕方がありません。
本当にそうでしょうか?
どうやら北朝鮮政府は、「日本を瞬時に廃墟と化す準備がある。」と威嚇しているようです。
そのような状況のもと、『屈服の誓いを新たにする式典』をやっているだけでは、日本が平和あり続けるには、ちょっと場違いなのではないでしょうか?
日本は被爆国です。
被爆国であるならば、当然ながら、「絶対に核攻撃を受けない決意」こそを、後々の国民に対して誓うべきだし、世界中の人々に宣言するべきだと私は思うのです。
世界の核廃絶には賛成します。
そしてそのためには、まずは、日本に侵略的意図を持ったり、日本を格で脅す勢力の核をこそ、まずは廃絶するべきだとも思うのです。
その実現こそが、唯一の被爆国である日本、そして被爆地の広島や長崎の使命であるとも思います。

日本は今、「自分の国くらいは自分で護る」という当たり前の国家になるべきです。
国防を言うと、国粋主義のようにレッテルを貼る方は、どうか、その平和への願いを、北朝鮮や中華人民共和国に行って、9条の伝道師として、彼らが日本に向けている、核ミサイル撤去を果たしていただきたいです。
そして、「あなた方は、日本国憲法の前文に書かれてある、平和を愛する諸国民となるべきだ。」「日本をこれ以上、追い詰めるべきではない。」と諭していただきたい。
でなければ、唯一効果的な核攻撃への抑止力を保持するのもやむなしだと思うし、現状の東アジア情勢の中、それを国際世論は支持するはずです。
過ちを、繰り返させてはいけないのです。
日本は、北朝鮮政府や中国政府にも、悪を冒させてはならないんです。
その決意、決断こそ重要です。
決意なくして、道が開かれることなどありません。
優柔不断は、緩やかな滅びへ選択です。
今の日本は、その中にあります。
なんとかして、未来への平和への選択をすること。
そうでなければ、原爆の被害にあって命を落とした方々にも、また後の世、日本に生きる子孫たちにも、申し訳ないことだと思うのです。
厳しい言い方かも知れませんが、自己満足の平和活動や、結果的に他国の侵略の手引きとなる平和活動は、最終的に、「過ちを侵させるもの」に変異します。
平和は健康と同じです。
極めて分析的な現状把握と、現実的で原因結果に基づいた判断と、戦略的な継続した努力が必要です。
本日は、経典『比較宗教学から観た「幸福の科学」学・入門』(幸福の科学出版)の一節と、横井小楠霊言のあとがき、そしてLiberty webの論考をご紹介いたします。
(ばく)
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大川隆法総裁 大講演会2016 「地球を救う光」(さいたまスーパーアリーナ)より
映画『神秘の法』10月6日公開 "神秘体験"ロードショー
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1092
今、タイでは、武装している仏教の僧侶が出てきていますし、ミャンマーにもいます。
現在、イスラム教徒の進出がだいぶ増えてきているので、「イスラムのほうは戦ってよいことになっているのに、仏教は戦えない」ということであれば、占領されてしまいます。
かつてのインドで仏教が滅びた原因は、イスラム教の侵入により、寺院がすべて破壊され、僧侶が皆殺しにされたことにあります。
それで仏教はインドから消えていますので、彼らは十分に知っているわけです。(中略)
やはり、彼らにも「戦わなければ、占領されるかもしれない」という危機が迫っていると思います。(中略)
日本に関しても、私は同じことを言っています。
基本的には、平和を守る考え方はよいと思います。
最近のニュースでも、「核廃絶の声明に百二十数カ国が参加し、そのなかに日本が初めて入った」というものがありました。
しかし、日本に核攻撃をしかける可能性がある北朝鮮や中国は、それに参加しているわけではありません。
ですから、非常に危険な面があります。
また、それには、アメリカも参加していないので、そうであれば、日本は、「アメリカさんが勝手に守ってください。戦ってください」と言うしかありません。
「日本は核兵器をつくりません」ということであれば、「自主防衛をしない」と言っているのと似たようなものです。
今、政府は集団的自衛権の議論をしていながら、基本的には諦めていっており、「左翼系のほうに迎合して政権の維持を図ろうとしている、あるいは、風評を測ろうとしている」と見えると言わざるをえません。
今、そういう面を感じています。
「憲法九条を守れ」と言う人のなかには、宗教的な人や仏教を信じている人も、そうとういることはいるのですが、「不正な攻撃による侵略や殺戮を許してはならない」という教えもあることを忘れてはいけないと思います。
要するに、「悪を押しとどめ、善を推し進める」というのが、仏教の基本ですので、悪なるものに対しては、防衛しなければいけません。
それがいけないことであるならば、警察も駄目ですし、国連軍でさえあってはならないことになります。
このあたりの考え方については、やはり、「世界レベルでの正義の判定」が必要だと、私は思っています。
『比較宗教学から観た「幸福の科学」学・入門』(幸福の科学出版)P151~155
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=814
横井小楠の考えに依拠すれば、「核武装だな。これができなかったら、絶対に植民地になる。日本は中国の植民地になって、アメリカに対する不沈空母・防波堤になり、日本を舞台にアメリカと戦わなければならなくなる。」という。
朝日新聞の論説委員や、NHKの解説委員には、果たして横井小楠より俊才がいるのだろうか。
私たち、「幸福の科学」、「幸福実現党」の使命は、「正義とは何か」を考え続け、未来に対して責任を持つことだろう。
「唯物論の神が全盛を誇っている」と信じて、唯物論信仰に走る日本人たちに、「唯物論信仰は、一種の邪教だ。」という私たちの声が届くか。
正義は果たしてどちらの側にあるか。
答えは「世界の設計」にかかわる者が出すしかあるまい。
映画『神秘の法』(大川隆法製作総指揮)も考えの材料にしてほしいものだ。
『横井小楠 日本と世界の「正義」を語る』(幸福の科学出版)P138~139

日本に核があったら原爆投下はなかった 誓うべきは「過ちは繰返"させ"ませぬ」
《本記事のポイント》http://the-liberty.com/article.php?item_id=13357
- 先の大戦時、日本が核兵器を保有していたら、アメリカは原爆を落とさなかった。
- 日本の侵略戦争でなかったことは、マッカーサーも証言している。
- アメリカが行った都市への大空襲や原爆投下は、ホロコースト(大量虐殺)だった。
広島への原爆投下から72年が経つ。広島市の平和記念公園では6日、「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が行われた。
今回は、7月に国連で核兵器禁止条約が採択されてから、初の「原爆の日」であることが注目されている。松井一実・広島市長は平和宣言で、日本政府に対して「核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んで頂きたい」と述べ、同条約に参加しなかった政府を暗に批判した。
しかし今回は、北朝鮮の核の危機が一線を越えようとしている中での「原爆の日」であることも、忘れてはならない。同国は今年に入って、17回も日本の方向にミサイルを発射している。そしてそのミサイルに核を積み、アメリカ本土に撃ち込むことも可能になりつつある。アメリカの「核の傘」が、退けられつつあるのだ。
もちろん、核を廃絶することは人類の理想であり、その道筋は探り続けるべきだ。しかし、今すでに日本に照準が向けられ、発射台に設置されているかもしれない核から、日本人を守る最善の手段が、「核禁止条約」なのだろうか。
日本に核があったら原爆投下はなかった
ここに一つ、「原爆投下」に関して日本人が知っておくべき事実がある。
トルーマン大統領が、1945年8月に広島と長崎に、原爆を投下することを決めた会議が、ホワイトハウスで開かれた。そこに出席していた、ジョン・マクロイ元陸軍長官は、後にこのような主旨のことを語っている。
「もし、日本があの時に原爆を一発でも持っていたとしたら、日本に対して(原爆を)使用することは、ありえなかった」
外交評論家の加瀬英明氏が、本人から直接聞いた話として書いている。
この話を素直に聞けば、「原爆の日」に日本が確認すべき教訓は、「十分な守りを固めていなかったこと」「核装備をしなければいけない」ということになる。
「原爆は侵略したから」も間違い
また「原爆の日」には、「そもそも日本が侵略戦争しなければ、原爆を落とされることもなかった」という"反省"も語られる。
しかし、GHQの最高司令官だったダグラス・マッカーサーは、1951年の米上院の軍事外交委員会で「日本が戦争に突入したのは、主に自衛の必要に駆られてのことだった」と証言したことは有名だ。
アメリカのフーバー大統領も著書の中で、「日本との戦争の全てが、戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲望であった」と語っている。「太平洋戦争」はルーズベルトが望んだものであり、日本を追い込んだことで起こしたということだ。
原爆投下こそ「ホロコースト」
原爆投下に関して反省すべきは、日本ではなくアメリカだ。
現代日本の研究の第一人者である、カーディフ大学教授のデービッド・ウィリアムズ氏は、本誌の取材に対して、「アメリカの東京大空襲、2度にわたる原爆投下こそ『ホロコースト(大量虐殺)』です」と語っている。
アメリカ陸軍出身のジャーナリスト、ジョン・コスター氏も、本誌の取材に「(原爆投下は)日本を降伏させるとともに、ソ連のスターリンにその威力を見せつけて牽制したかったのです。ただ、その背後には、有色人種への強い差別意識があった」と語っている。
元ニューヨーク・タイムズ東京支局長のヘンリー・S・ストークス氏も、本誌の取材に「大空襲や原爆投下という破壊行為に比べたら、日本軍がなしたと言われる戦争犯罪は、大した問題ではないとさえ言えます」と語っている。
つまり、「日本が原爆を落とされたのは、侵略戦争を起こしたから」という考えも、「核をなくせば、核を防げる」という考えも、成り立たない。むしろ日本は、唯一の被爆国だからこそ、あの悲劇を二度と繰り返さないために、核装備をする権利があると言える。
広島の原爆死没者慰霊碑には「過ちは二度と繰返しませぬから」と刻まれている。これは、「過ちは二度と繰返"させ"ませぬから」に書き換える必要があるのではないか。
「原爆の日」こそ、国防を真剣に考える機会としたい。
(馬場光太郎)