幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

幸福の科学の、高知の信者による共同ブログです。
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リアルブッダ「大川隆法」という光(再掲)

2017-08-28 00:33:17 | エル・カンターレ 大川隆法という偉大な光

大川隆法幸福の科学総裁 http://the-liberty.com/main_category.php?cid=10

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大川隆法幸福の科学総裁曰く。

「皆さんは、何千年に一度あるかないかの、そうした奇跡のときに巡り合わせています。」(2016年1月、「正義の法講義」)

大川隆法総裁は、とても活発でダイナミックな活動を展開します。

しかし今年は特別です

本格的に横暴な軍事的挑発行動を強めてきた北朝鮮問題や、日本を取り巻く現状等で、その必要性があるからです。

今年は22年ぶりに東京ドームでの特別講演会を行いましたが、それ以前は京都や高知で講演会を開催、開けて9月には青森にも赴く予定だとか。

それだけでも大変な過密スケジュールですが、その合間を縫って、自前施設を使ってのご法話や、霊言収録もやっています。

それだけではなく、全国で映画も上映されました。

何ゆえに、これほどまでに、宗教とは思えないくらい、激しく活発な活動が必要なのでしょうか?

それはひとえに、「大川隆法総裁が、仏陀だから。」 「仏陀は、神の最高代理人としての責任を、強く感じていらっしゃるから。」としか表現できないのです。

自教団の利益優先では、このような動きはできません。

組織仕事として、これほど短期間に、大きな行事をほぼ同時に手広く行うことは、利潤の観点から言えば、賢い動きではありません。

なぜならば、宣伝や広報が、どうしても追いつかないからです。

事実、当ブログはほぼ毎日更新しておりますが、それでも活動等の情報を、全てはお伝えできていないのですね。(爆笑)

聖地 エル・カンターレ生誕館 http://map.happy-science.jp/?m=search&t=branch&k=507

さて私は時折、大川隆法総裁のことを、「仏陀です。」と言います。

「そりゃぁ、おまんらぁだけの仏陀じゃろう?」とおっしゃる方もいらっしゃると思います。

では仏陀とは、何を指すのでしょうか?

仏陀とは、教えを説く宗教者の、言わばランクのことなんです。

仏陀と言えば、仏教的ですが、仏教的な宗教者の、格付けの最高位が「仏陀」なんですね。

仏陀と言ってすぐに思い浮かぶのはお釈迦さま・・・、というのが日本では定番ですが、仏典を読んで見ると、釈尊が説法し始めたときに、釈尊の周囲の方たちは、「これは仏陀が現れた」とすぐに判断しておりますので、「仏陀」という概念は、お釈迦様以前からインド地方にはあったことになりますよね。

そうなんです。

仏陀とは、特定の人物を指すのではなくて、相撲で言う「横綱」とか「大関」とか、ミシュランの三ツ星レストランみたいな、一種の「格」であり尊称なんです。

で・・・その「仏陀」の格の根拠になるものは何かと申しますと、「教え(法)」なんですね。

仏陀なら、仏陀の法を説くんです。仏陀だったら、必ず三法印を説かなきゃいけないんですね。

これがそう易々と説けるもんじゃぁないので、仏陀というご存在は尊いし、仏陀のご尊顔を拝するというのはとても貴重なだけでなく、人類史における歴史的なニュースなんです。

で・・・、仏陀の法とは何かと申しますと、三法印(さんぽういん・さんぼういん)です。

三法印とは何かと申しますと、諸行無常(しょぎょうむじょう)・諸法無我(しょほうむが)・涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)です。

諸行無常とは何かと申しますと、「すべての存在に、常なるものはない」ということです。

諸法無我とは、「すべての存在に、我なるものはない」ということ。

涅槃寂静とは、「煩悩が滅せられて、心が安らいだ心境」のことですね。

なんだか、このブログにしては難しい言葉が続きますが(笑)、ようわからんですよねぇ。(爆笑)

そこでこれら三法印を、現代的に表現することに、チャレンジに挑戦(笑)してみたいと思うのです。

これは完全な、私の私見ですので、まぁ、話半分に読んでくださいませ。(^^;

諸行無常で「常なるものはない」ということですから、これは「時間論」と言えると思うんですね。

もしも宇宙の始まりから終わりまでを知っていれば、「この世界に、ずっと同じことなんか、ひとつもなかったよ。」と言い切れると思うんです。

そして諸法無我「すべてのものに、我なるものはない」 

あはは、物欲にまみれた私は、まったくわかりません。(笑)

はい、正直に告白します。完全にお手上げです。(爆笑)

でももしもですよ、現在の自分とか、自分の所有物であるとか、自分が欲しいものとかを、大宇宙全体から眺めてみることができれば、それはもう点にもならないくらい、小さなものであるはずなんですね。

となれば案外、諸法無我というのは、「空間論」で表現できるんじゃないでしょうか?

そして涅槃寂静ですが、これは御仏というのは、こういう安らいだお気持ちでいらっしゃると思うんです。私なんぞと違って。(爆笑)

ということは、私のような凡夫衆生からみれば、涅槃寂静は目標、つまり目指すべき心境でもあるわけですから、一種の「修行論」とも言えるのではないかと思うんですね。

つまり、現代的な仏陀の三法印は、現代的に言えば、「時間論」「空間論」「修行論」と、言い換えることができるんじゃないかと。

で、「時間論」「空間論」「修行論」という観点から、大川隆法総裁の法(教え)を振り返ると、すべて完璧に揃っているんですね。

しかも、経典数2200冊を超え、説法数2600回を超え、英語もあり、海外でもやり、そして、「同じ話を二度としない」と言われながら、この「時間論」「空間論」「修行論」は、説法の中にすべて入っているんです。

これで、仏陀でなくて、いったい何だと言うのでしょうか?

さあ、今と言う時代は、仏陀が降臨した奇跡の時代です。

それが、日本で生まれているのです。

誰かが信じようが信じまいが、「法=仏陀の証」だけは残っていきます。

地方では、テレビ中継もなされるようです。

少しずつ、日本のマスメディアも理解してくれるようになりました。

「同じ話は二度とない」が大川隆法総裁です。

八万四千の訪問が仏教です。

その数は、日に日に多くなります。

一日一回更新の素人ブログではお伝えするのに限界がありますので、御法話とか、テレビで縫製して欲しいと、心から願っております。

大川隆法総裁の法話は、聞き逃しては損です。

録画はありますが、仏陀の本質は「法」です。

そして、「永遠のときの中の今」の教えを説きます。

仏陀が説く法と共にあるとき、それは永遠の生命を持つ神仏の子人間にとって、永遠の魂の輝きのときなのです。

そう、リアルタイムブッダの説法は、リアルタイムで聴くべきなんです。

本日は、経典『沈黙の仏陀』(幸福の科学出版)より、三法印の中の諸行無常について書かれた一節をご紹介いたします。

              (ばく) 

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すべてのものは移ろいゆくものである。

変化変転していくものとして、一切の現象を見つめなさい。

一切の現象のなかには、物質や肉体のみならず、
あなた方の心のなかに生起し、去来するものも含まれている。

すべてのものは流れ去っていくものである。

そのような、川の流れのようなものであるのだから、執着してはいけない。

何ひとつ、「自分のものだ」と思ってつかんではいけない。

「これが私だ」と思ってもならない。
「私のものだ」と思ってもならない。

そこにあるものを所有しようと思ってもならない。

すべては過ぎ去っていく。

親であったものも親でなくなり、子であったものも子でなくなる。
夫婦であっても、友人であっても同じである。

すべては変化変転のなかにある。

そのようななかにあって、ほんとうに自分自身の人生の意味を考えるならば、
執(とら)われから脱しなくては、自分自身のほんとうの姿はわからない。

人は、固定化し、固形化したもののなか、
安定したもののなか、変化しないもののなかに、
自分を求めようとするが、そうした試みが、かえって本来の自己というものを見失わせることになっている。

しかし、そうではなく、
「変化のなかにすべてがあるのだ。変化変転していくことこそが真理なのだ」と思ったときに、

「さあ、そうであるならば、流れゆく川のなかを下っていく筏(いかだ)のように、自分は生きていかねばならないのだ。この川の流れを止めることができないならば、いかに竿(さお)を操(あやつ)って川を下っていこうか」と、考えていかねばならない。

これが人生の真実なのである。
『沈黙の仏陀』(幸福の科学出版)P15~18

光の惑星 - 恍多 kouta

 


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