幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

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IS、KKK、マスコミ、「神の心、子知らず!」

2017-08-20 01:46:23 | 時事法談

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8月17日、スペインのバルセロナで、ワゴン車が歩行者を次々とはねるテロが起こり、一般市民13人が亡くなりました。(上画像)

どうやらまた、IS(イスラム国)が、犯行声明を発表しているようです。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170818-00010001-newsweek-int

この手のテロの背景には、主に現在のシリア地方において、IS組織が支配する地域に、欧米などによる大規模な空爆があって、その報復であることは一定の理解ができるのですが、しかしISらが信仰するアッラーの神が、何ゆえに、戦闘に何ら影響のでない一般市民を、暴力によって屠ることを望んでいると思えるのか。
 
ISらは、イスラム教の聖典コーランに書かれた神のための戦い、聖戦=ジハードを気取っているのかも知れませんが、「それが一般市民を巻き込んだテロによって、神の願う聖なる社会ができるのかどうか、一度じっくりと考えろ!」と私は言いたい。
 
 
聞くところによると、これらイスラムテロは、日本の神風特攻隊がモデルだとか。
 
「ふざけるな!」です。
 
神風特攻隊は、敵側であれ、一般市民を巻き添えなどしませんでした。
 
神風機が特攻したのは、戦艦など、大量破壊兵器だけであり、それによって、日本が免れた戦禍も多いのです。
 
もしも、ISの軍事基地を爆撃する爆撃機の発射基地への自爆テロなら、「神風がモデル」という発言も容認できますが、一般市民への無差別テロなど、武士道の国日本にとっては、恥以外の何ものでもありません。
 
どうか、「自らの復讐を正当化するために、神の聖名を使うなかれ。」です。
 
 
またアメリカでは、12日南部バージニア州で起きた、白人至上主義者が複数の黒人に自動車突っ込み、黒人女性一人が亡くなった事件から、トランプ大統領の「双方に責任がある」との発言が物議を呼んでいます。 
 
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170818/k10011103461000.html?utm_int=word_contents_list-items_003&word_result=「白人至上主義」衝突
 
ただ、トランプ大統領の発言をよく聞くと、「白人至上主義者も反対派も、暴力はいかん!」と言っているに過ぎません。
 
そのアメリカ大統領の対応を、「白人からも、有色人からも、支持が離れた。ザマぁ見ろ!」的な報道を日本のマスメディアはしていますが、「何が正しいのか?」という観点ならば、トランプ大統領の言っていることが正しい。
 
この「何が正しいか?」という観点ならば、トランプ大統領は一貫しているところがあります。
 
トランプ氏は、「何が正しいか」を求める政治家であって、それに伴い「何をすべきか」を考え、実行しようとしていると思われますし、短期間の支持率などは、あまり気にしていないのではないでしょうか?
 
 
とまれ、KKK(クー・クラックス・クラン Ku Klux Klan)など、白人至上主義の結社がアメリカ社会にはあります。
 
結社の自由は、自由民主主義社会にとって大事な権利ですが、白人至上主義は、要するに「神が愛しているのは白人だけ」というのが基本的な理念らしい。
 
しかし、白人至上主義者らが信奉するであろう聖書には、「神は白い肌の人種だけを愛している」とは、どの預言者も言っていないし、どこにも、一言も書かれてはいません。
 
大いなる神は、黄色い人も白い人も黒い人も、全てを創り賜いて、なおかつ、全てを愛していらっしゃるのです。
 
新約聖書ヨハネの福音書4章の「サマリアの女」にあるように、イエス・キリストは、異邦人(サマリア人)にも福音を述べました。
 
そして何より、白人至上主義者が信奉するイエスキリストはユダヤ人であり、今のアラブ地方の人ですので、白人至上主義者のように、アングロ・サクソンではありませんが、この歴史的事実は、矛盾してはいないでしょうか?
 
どだい、「神が白人だけを愛していらっしゃる」のなら、アングロ・サクソン系の人たちにだけ預言し、福音を降ろせばよろしいのではないでしょうか?
 
ところがどっこい世界では、どの地域に行っても、どの時代であっても、宗教は存在し続けています。
 
これは、神の愛が、全ての人類に及んでいる証であり、神が、公の中の公のご存在であるという印なのです。
 
どうか白人至上主義者の方々も、自らの立場を正当化し、他民族を愚弄し、見下すのを合理化するのに、神の聖名を使わないでいただきたいものです。
 
そして、「神が白人だけを愛している」という心情を持つのならば、どうかその誇りにおいて、神の願う理想的な世界構築のために、他の民族よりも多くの汗を流していただきたいものです。
 
それを、「高貴なる義務(ノーブレス・オブリージ)」と言います。
 
それは、幸福の科学学園の精神でもあります。
 
 
それと、日本のマスコミは、いつも肝心なことを言いません。
 
宗教のことを、詳しく語らないのです。
 
イスラムテロ然り、民族主義や人種差別主義や世界の出来事が、宗教を理解せずして、何故に理解できましょうや?
 
現在の出来事だけでなく歴史も、人の判断とそれに伴う行動の連鎖の結果です。
 
その判断の基になっているのは宗教であり、その時折の宗教の解釈ですから、宗教への理解を前提にしない時事や歴史などは、もはや、サルの生態観察日記ほどの価値しかありません。
 
「宗教など、人がつくった気安めに過ぎない。」と言うなら、どうか全世界の民族の歴史を、すべて取り上げたうえで、それらを、論理的に非難していただきたいものです。
 
でなければ、「無神論・唯物論は、死後の世界を恐れ、神の法を恐れた人による、創出された気安め」に過ぎないと思う。
 
 
とにかくも、イスラムテロ然り、人種民族問題然りが露呈している現在、世界の人々が求めているのは、「神の正義」つまり、「何が正しいのか」という問いかけに答えられる宗教なのです。
 
マスメディアに、それを権威を持って語る自信がないのなら、大川隆法幸福の科学グループ総裁の講演会の内容を、そのまま放映すれば良いと思います。
 
どうせマスメディアは、録画しているんだから。
 
おおそう言えば、地方によっては、8月2日東京ドームで行われた特別講演をテレビ放送するようです。
 
本日は、地方での幸福の科学テレビ放送の先駆けとなった岐阜で活躍する、加納有輝彦幸福実現党岐阜県本部代表のブログ、「一憂国者の紙つぶて」をご紹介します。
 
マスコミの正義の本質を「現状維持」と喝破した加納氏、智慧と慈悲の時代は、近づきつつあることを実感します。
 
               (ばく) 
  

テレビ放送決定! 幸福の科学・大川隆法総裁 東京ドーム特別大講演会「人類の選択」

【迎撃可能?】もし北朝鮮の核ミサイルで攻撃されたら?その攻撃は防げるのか?

日本の悲願「現状維持」 http://ameblo.jp/papadad/entry-12302733750.html

  

   政治的にリベラル(左翼)とは「革新」のことだ。

しかし、日本の現状を見るに、日本のリベラルは「現状維持」と読みかえるべきである。マスコミ(左翼)も同じ。

「マスコミ以外の主導による現状変更は絶対に受け入れない。安倍政権は現状変更政権。ゆえに現状維持のリベラルの結集を呼びかける。」

 

 憲法改正を目論む安倍政権に対しては「絶対護憲」。

 政治における宗教政党の「新規参入」は「マスコミの報道管制による絶対阻止」。

 一に「現状維持」二に「現状維持」三四がなくて五に「現状維持」

 

 敷衍してトランプが北朝鮮の現状変更を迫る「武力攻撃」に関しても「戦争絶対反対」の立場。いかなる武力攻撃(戦争)も絶対悪。

 ゆえに、トランプ氏が北朝鮮に対してオバマ氏のように何もしないことこそ「現状維持=正義」である。

 

 しかし、ここで見逃してはならない視点がある。確かに、北朝鮮に対して何もしない、そして北朝鮮も当面現状維持で様子見を決め込むことは日本にとっては「ホッ」と胸を撫でおろす状況だろう。

 この日本にとってホッとする現状維持は、笑顔で太っているのは金正恩ただ一人、北朝鮮の独裁、圧政下で自由を奪われ苦しんでいる民衆の悲惨も「現状維持」なのである。

 

 日本人にとって安堵する「現状維持」は、北朝鮮の苦しむ民衆の「現状維持」の上に成り立っている。

 

 人間はこれで平気でいられる。しかし、仏神は、北朝鮮の独裁、圧政を許さない。悪の「現状維持」を許さない。「現状変更」を迫るのである。

 

 日本人の「現状維持」志向は世界の悲惨に対して「見ざる言わざる聞かざる」という利己主義(一国平和主義)そのものである。

 

 だから、「戦闘行為」があったかなかったかで議論が沸騰し、自衛隊員が一人でも亡くなったら政権が吹っ飛ぶことを恐れ、部隊を帰国させるクラゲ国家となり下がった。

 

199512月に発刊された「信仰告白の時代」で著者大川隆法現幸福実現党総裁は「まえがき」にこう記されています。
「戦後50年、日本の教育は間違ってきた。宗教から遠ざかりさえすれば、第二次世界大戦のような惨禍は避けられるものと、ひたすら無宗教化をすすめてきた。その結果得られた、世界からの評価は、色・金・欲にまみれた経済奴隷としての日本人の姿に象徴される。
 理想も、理念も、正義も、気概も、なにもかも、打ち捨ててしまった『町人国家日本』は、国家からは背骨とでもいうべき『宗教』を抜き去ったら、ただただクラゲのように漂うしかないということを証明した、悲劇の文明実験国でもあった。
 本書は、『無宗教国家日本の敗北』を、思想の次元で論証する一書でもある。全国民が半世紀にわたる過ちを反省し、再び『無宗教』を国是とすることによって、来世紀の子孫を苦しめることのないように、切に願った警告の書でもある。」

 

あれから20有余年。何かが変わったのだろうか。我々の非力を恥じるばかりである。

 

 


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