緑香庵通信

三軒茶屋から世田谷線で6分・松陰神社前のアロマテラピーサロン。

施設入所と私のこれから

2023-06-21 15:42:11 | 介護

母93歳が介護施設に入所して数ヶ月、呆れるほど楽になった。色々ありまして、自宅での独居を支え続けるのはこれ以上不可能となって、ついにその先のステージに駒を進めたことになる。

これで介護生活が終わったわけではないけれど、週の半分は実家に通い生活のほぼ全てをサポートしていたことを思えば、ほんと楽。楽すぎて罪悪感すら覚える。何かしら懸案事項が発生しても、施設の職員さんに相談して託すことができる。ありがたい。ふと気がつくと、母のことを忘れている瞬間を自覚して愕然とする。ほぉ〜これほどまで母のことが通奏低音のように無意識の底にあったのだな、今までは、と、それで知る。

で、気が抜けてしまったのか、疲れがいよいよ出てきたのか、しかとはわからないけれど、何だか気が晴れない。

人は人から何かをしてもらうTAKEより、人に何かをしてやるGIVEの方が幸福感が持続するという(脳内物質の話)。なるほどね、母の生活にまつわるあれこれをするうちに、知らず知らず私は幸福感をもらっていたのか。あらま、ストレスかと思っていたけどそれだけじゃなかったのね。ま、このようにして共依存という関係ができてくるということも一方で納得できる。

本来であれば、こうしてまともな時間を取り戻したのだから、先送りにし続けたこと、優先順位を下〜の方に追いやって薄眼で見ないことにしてきたこと、ひとつひとつ仕切り直して自分自身の人生を整え、先に進めなければならない。私だって時間が無限に残されているわけではない。ということはわかっているのだが、う〜んはかどらないなあ。

もう少し、回復のための時間をうだうだ使わせてもらおうかな。13年は長かった。


梅干と救急車

2018-08-13 13:17:44 | 介護

猛暑です。

おかげで今年の梅は良く干せました。

梅自体は天候不順で小さめでしたが、梅干の出来はすこぶる良好です。

 

で、できた梅酢も美味しい。

スイカにちょろっとかけると最高です。

猫も暑いと。

 

こんな暑さが続くと、確かにこたえますね。

高齢者はなおさら。

一昨日の朝、実家の母(88歳)の件で久しぶりに救急車に同乗してきました。

ってそんな簡単に言っちゃあダメなことか。

大事には至らなかったので、どうか軽く語ることをお許しください。

父が他界する頃はよくお世話になったので、心なしか慣れているような気もしていたのですが、さすがに完全に意識消失した母を前に慌てました。

朝起きて会話をしてお茶を飲んでおめざの和菓子を食べ、さて朝食の支度をと私が台所に立ちふと振り返ると、そこには椅子に座ったまま魂の抜けた表情で頭を後ろにガクンと反らした母がおりました。声をかけてもさすっても反応がなく、とにかく頭を守らなきゃと後ろから体を支えつつ、携帯の片手操作で兄を呼び出し、119番へ通報。

救急車が到着するまで5分もあったでしょうか、早かったなあ。

で、サイレンが聞こえ始めると「トイレに行きたい」と、いつ目覚めたのやら母が言いだし、救急隊員の方をトイレでお出迎え。あとはどんどん覚醒していき、さて「搬送先が決まりました、病院へゴー」という頃には、「なんで行くの?何があったの?」と、本人は訝しがるばかりという状態。当然、本人には意識消失の自覚はなく。

結果、脳や心臓にこれといった異常は見られず、午前中のうちに帰宅OKとなったわけです。

特に診断名は言われませんでしたが、ざっくりまとめるなら、原因はわからないが体の調整がうまくいかなかったということなのでしょうか。???。

父も晩年は突然異常な血圧上昇があったり、起立性の低血圧が現れたり、本来の持病とは違う、体の機能のもっとベーシックなところがだんだんと調整が難しくなってきているんだなあ、と思わせられることがありました。その時の主治医の先生が、「老化というのは緩やかに坂を下っていく自然な流れです。その流れの中でいろいろなことが起こります。それぞれに病名をつけることも可能ですが、要は終わりに向かう「老化」の一環です。「治る」というものではありません。この流れは止められません。」とおっしゃっていたことをまた思い出しました。

それにしても、患者家族に対する救急隊の方々の声がけは、いつも的確で暖かく、地に足がつかなくなっている私たちが、段差につまづいたり、鍵を忘れたり、火の始末を誤ったりしないように、ゆっくり落ち着いた声で確認してくれます。こんな素晴らしいサービスを受けて、保険診療ですから格安です。申し訳ないやら、ありがたいやら。いい国だなあ。保険料も税金も頑張って払わなきゃなあ。

 


今年も満開

2018-03-28 11:18:15 | 介護

春が来ましたね。

松陰さんの桜も満開。

 緑香庵のマンションの大規模修繕工事も佳境です。

室内に取り込んだ鉢もついに全て芽を出しました。

 最後に芽吹いたのはライラックでした。一時はダメかと思った〜。

 ついでに切り落として水に挿した八重桜の枝から、葉っぱだけではなく花芽まで出現。

咲く気なの?

植物ってどこまですごいんだ。

 

毎年桜が咲くたびに、今年88歳になる母と「去年の桜はどうだったろうか、父が他界した年の花見はこうだったね。」などと話します。

瞬間瞬間の会話の応酬は見事に返してくる母ですが、数分後にはその内容も会話したこと自体も忘れている。

(こういった症状にも波があるんですけどね)

直近の短期記憶ほど消えやすい典型的なもの忘れです。

母を観察していると、時間というのは記憶でできているのだと気付かされます。

過去があり現在があり未来があるという「時間の概念」はしっかりあるにもかかわらず、

冷蔵庫の中には同じ豆腐が何週間でも居座り続ける不思議。

古い豆腐は危険という知識はある。

豆腐を買ったという記憶はない。

しかし冷蔵庫の扉を開けるたびにそこには豆腐がある。

普通であれば、これはいつ買ったものだろうか、記憶がないならないなりに「傷んでないか?」という疑念が湧きそうなものだが、いつもその瞬間が新しい唯一の瞬間で、前回扉を開けた時の記憶がないから、前回から今回まで幾らかの時間が経過したという「感覚」が生じない。

母にとっては積み重なる記憶がないから、時間は一定方向に流れていくものではないようです。

記憶がなければ時間は生まれない。

そんな母にとってはドラマの筋を追うことも困難。でも登場人物の感情に同調することは得意なので、なぜ泣いているかわからなくても一緒に泣きます。様々な生き残りスキルが研ぎ澄まされていく中で、大切なのは意味がわかることではなく目の前の誰かの心に共感することと教えてくれます。

いや面白い。

週に数日ですが年寄りと一緒に暮らすのは、人の本質的なところを見せてくれるという意味で、本当に興味がつきません。


弱いもの

2016-03-28 18:00:00 | 介護

今年86歳になる母が、ベランダの手すりに両腕を突っ張り、斜め前へ乗り出すようにして、夕方の空を眺めている。正確には、どこかを眺めているというより、全身でまわりの気配を呼吸しているようにも見える。

このごろは、私が尋ねるとすっかり家事は私におまかせで、自分の時間に入ってしまうようになった。本当は一緒に夕食作りをして、機能の衰えを防ぐべきなのはわかっているが、1週間の大半はまだ自分で食事作りをしているのである。それが、まっ茶色のぐずぐずの煮物一辺倒であったとしても、それなりに過ごしているのだから、まあ、私がいるときぐらいは美味しいものを作ってあげましょうということで、よいことにしている。母が一人暮らしになって4年が過ぎた。そもそもずっと外で仕事をしてきた人である。小さな頃から食事作りは私の役目だった。まあ、昔に戻ったのと同じか。

 

 

父を見送るにあたっての介護疲れから「鬱」→「認知症の前駆症状」へと混乱を極めたころ(本人の名誉のため具体的な症状については差し控えるが)に比べれば、今は嘘のように落ち着いている。しかし、気持ちは回復しても年相応の記憶力・理解力の低下は否めない。歳とともに子供に帰るというが、人間力はさておいて、生活のスキルだけに限って言えば、ちょうど小学生くらいなんじゃないだろうか。小学生のとき私は家事をだいぶ受け持っていたが、本物の小学生ならやればやるほどどんどん技術が上がっていくのに対し、こちらはまあほぼ逆というわけで。いつもやっていることならどうにかこなしているが、ちょっと変わったことにはもう対処できない。慣れたことでも、同時に並行して物事を処理するのは無理なので、ひとつひとつ一生懸命に向き合っている。本当に丁寧に暮らしているのだ。それでもタンスの引き出しを開ければカオスだけど。

こんな調子なので、一人暮らしといえども完全な自立状態ではない。どうしても何かしらの手助けが必要である。そんな母がぽわっと空なんかを見ていると、そこだけ不思議にふんわりと光があたっているように感じることがある。家の中に、他の助けを必要とするものがいるというのは、そうじゃなきゃ生きられないものがいるというのは、なんだか良いものだ。母親を犬や猫のように言っているように思われるかもしれないが、うまく言えない。なんか嫌じゃないのだ。むしろ、いい感じ。どうしてなんだろう。弱いものの力か。役に立つとか立たないとか、社会のやりとりから自由で、生きることをシンプルに遂行してる生き物の力か。

いやいや、次の瞬間すぐに駆け引きまみれのめんどくさい婆さんに戻るよね。私が必要とされている感じとも違うんだよね。なんだろうな~こんな感じが続けばいいなあ~と思った、そんな夕暮れ、と。