緑香庵通信

三軒茶屋から世田谷線で6分・松陰神社前のアロマテラピーサロン。

自由が丘ウロウロ報告

2008-09-29 13:10:44 | 「緑香庵」的なもの
その方向を「成長」とよぶか「老化」と名付けるか。
それは社会が決めることですが、いずれにしても
人は絶えず変化しています。
変化しながら、変わらないものを生み出し続けることは、
実はとても難しいこと。
「マンネリ」と言う言葉がありますが、
漫然としていては「マンネリ」すらままならない。
自らが変化の途中にありながら
変わらぬ品質を生み出す方法とは何なのでしょう。


20年程前にしばらく住んだ町、自由が丘へ、
先日久方ぶりに行ってきました。
馴染みのお店で食事をし、お茶を飲み、
その見事な迄の変化の無さ、しかも大変高いクオリティを
保っての相変わらずぶりが、本当に嬉しく、和みました。

当時むしろ苦手であったコーヒーを大好きにしてくれたお店が、
自由が丘「十一房珈琲店」。
それまでの私の認識「コーヒー=濃くて苦い」が、
このお店を知って「甘くていい香り」に変わりました。
常連であろうとも馴れ馴れしくならず、
かといって気難しい頑固職人風でもなく、
普段通りにリラックスしていられる絶妙な距離感を
保ってくれるマスターが、自ら丁寧に焙煎して入れてくれる
コーヒーは、ぬる過ぎず熱過ぎず、これまた丁度いい。
飲み物によって最適な温度というものがあることをここで知りました
(ちなみに、紅茶やハーブティーはちんちんに沸いた
瞬間のお湯でないとだめなのね)。
まあるく淡い複雑な倍音をもった雑味の無いコーヒーを、
住まいが少し遠くなってしまった今でも時々飲みたくなります。
ここの味が私にとっては基準になっています。

それから「金田」でちょっとお酒をいただく。
結構ご年配のご夫婦やおじさまがさっぱりと飲んでいらして、
実に気持ちがよい。もちろんつまみは、お品書きの
端からぜーんぶ食べたくなるくらい美味いです。

そして、「瀬戸」でイカリング入りの定食。
実はイカリング大好き。いつも玄米だ、有機野菜だと
身体に良いものばかり食べているわけではないのです。
たまにはガツンと身体に負荷をかけるのも悪くない。
もちろん「心に美味しい」が前提ですが。
お父さんお母さんともお元気そうでうれしかったなあ。

で、最後は「アンセーニュダングル」(通称「カフェかど」)でまたしてもお茶。
あー、遊んだ遊んだ。


それにしても見事なまでの変わらなさぶり。
ある一定のレベルを維持し続けるということの大変さを、
自分でサロンを始めた今なら少しだけ理解できます。
生み出している本人が変わって行くのに、
生み出されるものの質を変えないためには
より大きな努力が必要ということ。

緑香庵も2年経っていよいよ業務が日常化してきました。
目が慣れて、手が慣れて、なにか見失っていることはないか。
向上をめざすのはもちろんのこと、
最初の志(こころざし)を忘れてはいけないと自らを顧みた次第です。

それにしてもあの変化の激しい町で何十年も続いている店は
侮れないぞ、自由が丘。


笑いについて

2008-09-04 10:00:00 | 「緑香庵」的なもの
くすぐりエルモをご存知ですか。
セサミストリートに出てくるあの赤くて小さなエルモが、
床をたたいて笑い転げるおもちゃです。
本気で笑えます、しかも可愛い。

子供の頃「笑い袋」というものがありました
(今もあるかな)が、あれを初めて開けた時に、
それこそお腹がよじれるほど笑った記憶があります。
なーんにもおかしいことはないのに、
人が笑っている声を聞いただけで、
こちらもおかしくてたまらなくなる。
エルモを見て、その感じを思い出しました。
エルモは動画サイトにいくつが画像が上がっているので、
興味のある方はそちらをどうぞ。

■ ハッピーじゃなくても笑える
笑うという行為は不思議です。
別にハッピーじゃなくても人は笑うことができる。
学校を自主的に(というのはもちろん親に内緒でということ)
長期ずる休みしていた小学校5年生の時、
学校の先生からその事実を親に知らせる電話が
かかってきたのは、忘れもしない土曜日の夜
「8時だよ、全員集合」の最中でした。
親の対応の気配で、バレたということに気づいたのですが、
私はやっぱりドリフターズを見て笑っていました。
自分でもなんでこのヤバい状況で笑ってしまうのか
不思議でしたが、やっぱりドリフは面白かった。

あの頃はまだ登校拒否などという言葉はなく、
もしあったとしても、私の場合は全く当てはまらないケース。
親が共稼ぎで不在なのをいいことに、
雨戸をしめきってレコード聴いていただけなので、
「ずる休み」以外の何ものでもなかったのです。

それでも、それなりの気持ちの「揺れ」があってのずる休み
でしたので、ペロっと舌を出して、コラッと怒られれば
それで終いという状況では決してありませんでした。
事実、その後10年以上、このことを私は色んな意味で
引きずることになります。「ずる休みしてたんだよ」と
笑って言えるようになるのはさらにもっと先の話。
でもねえ、そんな時でも人は笑うんですよ、
面白いことがあれば。

■ 笑いってすばらしい
笑いというのは、何か他の感情とは違う所にスイッチが
あるような気がします。
笑いの効能も色々言われています。
免疫が上がるとか、自律神経を調整するとか…。
いずれにしても、楽しい嬉しいおかしいという精神面とは
別のところで、何かが作用するのでしょうね。
芝居や映画でもコメディが好き、落語やお笑いのライブにも
ちょいちょい出かけます。私の笑い声がでかくて恥ずかしいと
連れは申しますが、ごめんね、ヴォイストレーニングで
鍛えちゃったからね、腹からでちゃうのよ、
しかも息は無駄無く声にするのよ、癖だから許してね。
笑いを作り出す人は本当に素晴らしい。

客席で笑っているときは本当に幸せですが、
それを超える幸せをこの間みつけちゃいました。
それはトイレに行こうと途中で席を立った時。
劇場から漏れてくるドッとおこる笑い声をロビーで聞いた瞬間。
人が笑っているのを聞くのは本当にいい気持ち。
ばあさんになったら、小さなお笑いの劇場で仕事したいわ
なんて思ったりして。


ホーホケキョおじさん

2008-09-01 17:41:09 | 営業日誌

気づいたのは去年の春だったと思います。
窓が開いている季節でないと、外の音はあまり聞こえないので。

あまりにも上手にうぐいすが鳴いてるなあ
という日が度々ありました。
しかもその声は横に移動するように感じます。
これは変だなと窓の外をぞいてみると、
かならず同じおじさんが歩いている。

どうも鳴き真似名人がいるらしい。
図書館へ向かう道すがらご機嫌にまかせて奏でているのか、
ほんとうにとても上手。
そして聞いた私も何だかいい気分。

今日は残暑厳しいなか久々に聞いてしまいました。
ん、おじさん元気らしい。

もし緑香庵でトリートメント中に
「ケキョケキョケキョケキョホ~ホケキョ」を聞くことができたら、
その日はラッキーデイですよ。