その方向を「成長」とよぶか「老化」と名付けるか。
それは社会が決めることですが、いずれにしても
人は絶えず変化しています。
変化しながら、変わらないものを生み出し続けることは、
実はとても難しいこと。
「マンネリ」と言う言葉がありますが、
漫然としていては「マンネリ」すらままならない。
自らが変化の途中にありながら
変わらぬ品質を生み出す方法とは何なのでしょう。
20年程前にしばらく住んだ町、自由が丘へ、
先日久方ぶりに行ってきました。
馴染みのお店で食事をし、お茶を飲み、
その見事な迄の変化の無さ、しかも大変高いクオリティを
保っての相変わらずぶりが、本当に嬉しく、和みました。
当時むしろ苦手であったコーヒーを大好きにしてくれたお店が、
自由が丘「十一房珈琲店」。
それまでの私の認識「コーヒー=濃くて苦い」が、
このお店を知って「甘くていい香り」に変わりました。
常連であろうとも馴れ馴れしくならず、
かといって気難しい頑固職人風でもなく、
普段通りにリラックスしていられる絶妙な距離感を
保ってくれるマスターが、自ら丁寧に焙煎して入れてくれる
コーヒーは、ぬる過ぎず熱過ぎず、これまた丁度いい。
飲み物によって最適な温度というものがあることをここで知りました
(ちなみに、紅茶やハーブティーはちんちんに沸いた
瞬間のお湯でないとだめなのね)。
まあるく淡い複雑な倍音をもった雑味の無いコーヒーを、
住まいが少し遠くなってしまった今でも時々飲みたくなります。
ここの味が私にとっては基準になっています。
それから「金田」でちょっとお酒をいただく。
結構ご年配のご夫婦やおじさまがさっぱりと飲んでいらして、
実に気持ちがよい。もちろんつまみは、お品書きの
端からぜーんぶ食べたくなるくらい美味いです。
そして、「瀬戸」でイカリング入りの定食。
実はイカリング大好き。いつも玄米だ、有機野菜だと
身体に良いものばかり食べているわけではないのです。
たまにはガツンと身体に負荷をかけるのも悪くない。
もちろん「心に美味しい」が前提ですが。
お父さんお母さんともお元気そうでうれしかったなあ。
で、最後は「アンセーニュダングル」(通称「カフェかど」)でまたしてもお茶。
あー、遊んだ遊んだ。
それにしても見事なまでの変わらなさぶり。
ある一定のレベルを維持し続けるということの大変さを、
自分でサロンを始めた今なら少しだけ理解できます。
生み出している本人が変わって行くのに、
生み出されるものの質を変えないためには
より大きな努力が必要ということ。
緑香庵も2年経っていよいよ業務が日常化してきました。
目が慣れて、手が慣れて、なにか見失っていることはないか。
向上をめざすのはもちろんのこと、
最初の志(こころざし)を忘れてはいけないと自らを顧みた次第です。
それにしてもあの変化の激しい町で何十年も続いている店は
侮れないぞ、自由が丘。
それは社会が決めることですが、いずれにしても
人は絶えず変化しています。
変化しながら、変わらないものを生み出し続けることは、
実はとても難しいこと。
「マンネリ」と言う言葉がありますが、
漫然としていては「マンネリ」すらままならない。
自らが変化の途中にありながら
変わらぬ品質を生み出す方法とは何なのでしょう。
20年程前にしばらく住んだ町、自由が丘へ、
先日久方ぶりに行ってきました。
馴染みのお店で食事をし、お茶を飲み、
その見事な迄の変化の無さ、しかも大変高いクオリティを
保っての相変わらずぶりが、本当に嬉しく、和みました。
当時むしろ苦手であったコーヒーを大好きにしてくれたお店が、
自由が丘「十一房珈琲店」。
それまでの私の認識「コーヒー=濃くて苦い」が、
このお店を知って「甘くていい香り」に変わりました。
常連であろうとも馴れ馴れしくならず、
かといって気難しい頑固職人風でもなく、
普段通りにリラックスしていられる絶妙な距離感を
保ってくれるマスターが、自ら丁寧に焙煎して入れてくれる
コーヒーは、ぬる過ぎず熱過ぎず、これまた丁度いい。
飲み物によって最適な温度というものがあることをここで知りました
(ちなみに、紅茶やハーブティーはちんちんに沸いた
瞬間のお湯でないとだめなのね)。
まあるく淡い複雑な倍音をもった雑味の無いコーヒーを、
住まいが少し遠くなってしまった今でも時々飲みたくなります。
ここの味が私にとっては基準になっています。
それから「金田」でちょっとお酒をいただく。
結構ご年配のご夫婦やおじさまがさっぱりと飲んでいらして、
実に気持ちがよい。もちろんつまみは、お品書きの
端からぜーんぶ食べたくなるくらい美味いです。
そして、「瀬戸」でイカリング入りの定食。
実はイカリング大好き。いつも玄米だ、有機野菜だと
身体に良いものばかり食べているわけではないのです。
たまにはガツンと身体に負荷をかけるのも悪くない。
もちろん「心に美味しい」が前提ですが。
お父さんお母さんともお元気そうでうれしかったなあ。
で、最後は「アンセーニュダングル」(通称「カフェかど」)でまたしてもお茶。
あー、遊んだ遊んだ。
それにしても見事なまでの変わらなさぶり。
ある一定のレベルを維持し続けるということの大変さを、
自分でサロンを始めた今なら少しだけ理解できます。
生み出している本人が変わって行くのに、
生み出されるものの質を変えないためには
より大きな努力が必要ということ。
緑香庵も2年経っていよいよ業務が日常化してきました。
目が慣れて、手が慣れて、なにか見失っていることはないか。
向上をめざすのはもちろんのこと、
最初の志(こころざし)を忘れてはいけないと自らを顧みた次第です。
それにしてもあの変化の激しい町で何十年も続いている店は
侮れないぞ、自由が丘。