緑香庵通信

三軒茶屋から世田谷線で6分・松陰神社前のアロマテラピーサロン。

ただいま夏の体に変身中

2007-06-30 07:00:04 | 「緑香庵」的なもの
先日、梅雨の合間にとてつもなく暑い日が何日か続いた時、
軽い熱中症のようなものを経験しました。

冷房はあまり好きではないので
極力クーラーを避けるようにしています。
お客様のいらっしゃる時はちょっとだけつけたりしますが、
1人でPC業務をするときなど、ダラダラ汗をかきつつ
過ごした方がかえって体が楽になるような気もします。

そんな夏の記憶があるので、今年もまだクーラーをつけず、
「今日の暑さはまた格別」と思いつつも
そのまま仕事をしていたら、
夕方になってから頭がガンガンしだしました。
どうやら熱も出ています。「しまった」と思い、
急いで頭や脇の下を冷やし水分を補給しましたが、
ぼーっとした辛さは夜中まで続きました。

いやあ本当に迂闊でした。
まだ体が暑さに追いついてなかったんですね。
手足もあんなに火照っているのに、
汗がさほど出ていなかったということは、
体の熱を放出するシステムがまだ充分機能できなかった
ということでしょう。

そういえば、冷えをしみじみ実感する冬を過ぎてから
しばらく、足湯も半身浴もさぼっていました。
そうでした、思い出しました。
今この梅雨時こそが夏の準備の大事な時期でした。
この時期に汗のかける体になっておかないと、夏、辛いです。

というわけで、さっそく夏の体に変身するための色々を始めました。
タイムリーなことに、「冷え」についてのセミナーにも
参加して来たのでやる気満々です。

まず、半身浴か足浴、どちらかを毎日必ずですね。
もちろん全身お風呂に浸かるのはとてもよいことですが、
汗をかくという目的がはっきりしている場合は、
全身浴よりも部分浴の方が体のバランスに刺激を与える
意味で効果的だそうです。
つまり、バランスをくずしたまま固まっている体を
揺り動かすには、全身を同じように暖めるよりは、
部分を刺激することによって、全身を一定に整えようとする力
(体の持つ恒常性)を利用してより大きなインパクトを
期待するわけです。
それじゃ、なぜ足なの? 下半身なの? というと、
基本的には、人間が立って生活している以上、
体液を心臓に戻すのは大変なことで、
どうしても下の方に老廃物が溜まってしまいがちだということ。
また、足にはリフレクソロジーなどでもお馴染みの通り
反射区がたくさんあり、東洋医学的にも、冷えに対するツボが
多く見られること。
また、足湯では副交感神経が優位になる傾向があり、
手浴では交感神経が優位になる傾向があると言われていること。
などの理由が考えられますね。
私は手浴も大好きで、頭を弛めるためによくしますが、
ここは汗をかいて冷え予防ということを目的にすると、
やはり、下の方に刺激を与えるのがよさそうですね。

さらにエッセンシャル・オイル。
私は丁度リズミカルボディセラピー的に言うC期
(排卵から月経までの体が老廃物を溜め込みやすい時期)
に入ったという周期にもあたり、やたらに足やら顔やら
むくむので、セントジョーンズワートの浸出油+ジュニパーを
お腹・仙骨・膝・足首・ふくらはぎに塗布。
塗ったまま足湯するもよし、足湯の後マッサージするもよし。


    ちょっと寄り道。
    このセントジョーンズワートのオイルは優れものです。
    冷え=血行不良、どちらが原因で結果かはさておき、
    あらゆる不調の底にはこの血行不良と冷えが潜んでいる
    といっても過言ではないでしょう。
    それを改善するのにとてもいいオイルです。
    私もまだ自分の体で実験中ですが、あらゆる場面で役に立ちます。
    若干酸化しやすい、向精神薬などとの取り合わせに注意が必要、
    等のネガティブ要素はありますが、それを補って余りある
    このおりこうさん具合。
    いつかこのオイルについてもきちんとレポートしましょうね。



そして得意の腹巻き登場。Tシャツ一枚で自転車を飛ばすときも、
汗で冷やさないようにお腹にタオルを巻いたり、挟んだり。
寝るときは、先っちょを切り取った靴下をつけて寝ています。
去年の夏も愛用しました。これを履いておくと、
布団からいくら足が飛び出ていても、起きた時に足首が
冷たくなっていません。でも、足先が露出しているので
暑くないんです。

そしてそして、今日はこれから久々に銭湯に行って
サウナに入ってこよーっと。
でもって、今日はビール我慢しよーっと。


サマーモーニングキャンペーン

2007-06-20 23:57:04 | 営業日誌
大好きな紫陽花の季節になりました。
雨は自転車通勤の敵ですが、
紫陽花がひたひたと葉っぱを光らせて嬉しそうにしているので、
ま、いいことにしましょう。
Hydrangea_gaku

東京もやっと梅雨入りしましたね。
その前に、大急ぎで緑香庵のハーブ類を剪定間引きしました。
バジルやミントなど、盛大に茂ったまま梅雨に突入すると
蒸れてよろしくないので。
その収穫したてのフレッシュな葉っぱを、
トリートメントの後のハーブティにお出ししました。
ほんの少しでしたので、味わっていただけた方は僅かでしたが、
この季節ならではのお楽しみ。
やっぱりドライのものとは香りがぜんぜん違います。

Hydrangea_white
《緑香庵の紫陽花》

植物らしい青い香りも加わって、あらためて
私の普段接しているのは生きている植物なんだなあと
しみじみ感じた次第です。
毎日、小さなボトルに入った精油やベースオイルばかり
眺めていると、ともすれば何かそれが薬の代用品
のように思われて、本来の姿、人とは何の関係もなく
ただ生きている植物のそのものであることを
忘れてしまいがちです。
私たちは、横から自分達に役立ちそうな部分だけを
ちょっと拝借しているだけなのに。
手元のボトルになる以前の段階、姿をイメージできるか否かは、
効果効能には直接関係ないかもしれませんが、
セラピストの態度としては大切な部分だと思います。

Hydrangea_blue2

さて、緑香庵を始めてもう少しで1年になろうとしています。
まだまだよちよち歩きですが、たくさんの方に支えられて、
なんとか歩き続ける力を頂いています。
感謝の意味もあり、7・8月とサマーモーニングキャンペーンを
行なうことにしました。
午前中のスタートで50分5,250円のコースです。
ゆったりリラックスというには時間が短いのですが、
午前中の時間を有効活用して、しゃきっとリフレッシュ
していただくのには、お手軽なコースです。
体が目覚める方向へ向かっている午前中のうちに、
それをサポートするアロマの刺激をあたえることによって、
乱れたリズムが復活するのを助けます。
同じトリートメントでも午前中に受けるのと、
夕方に受けるのでは、体の反応が違いますよ。
そんな自分の変化の違いを見るのも面白いです。

特に女性の場合は、月経後から排卵までの間、
体がパワー全開でいたい周期にあたる時の午前中に
トリートメントを受けると、元気に弾みがつきます。
初めての方にも、試しでちょっと受けてみるのには、
お値段的に気軽なコースではないでしょうか。

このコースで一回アロマトリートメントなるものを
経験してみて、気に入ったら、ぜひゆっくり時間をとって
他のコースを試してみてください。
Hydrangea_blue1












たまにはこんな話(お店情報)

2007-06-05 10:00:00 | 営業日誌
緑香庵は松陰神社ですが、住まいは世田谷の経堂にあります。

最近、経堂にすごーく美味しいクレープ屋さんが出現しました。
クレープ大好きなんです、いい歳をして。
ナチュラルクレープといって、
お店の名前の通り厳選した素材を使っているそうです。
私は生クリームがいっぱい入ったクレープはちょっと苦手で、
どちらかというとあの生地そのものが好きなので、
いつもバターシュガーとかはちみつとか、
シンプルなのを食べます。

その種のクレープは生地の味が命ですが、
ここの生地は本当に美味しい。
普通の生地と豆乳の生地とがありますが、
どちらもすごく美味しいです。
国産の小麦粉で胚芽のプツプツが混じっているのもいい食感だし、
なにより、こんがりパリッと焼いてくれるのが嬉しい。
ときどき適当に焼いた水っぽいふんにゃりクレープの
お店がありますが、アレはねえ、嫌なのね。
このお店には小豆などを使った「和もの」メニューも
あるようですが、私はもっぱら生地を堪能しております。

ご夫婦二人で始めたお店だそうです。
経堂ピーコック前に販売車が出ていることもあります。
今一番熱烈応援したいお店ですね。

たまにはこんな情報もいいでしょ。
経堂情報も時々は入れていきましょね。



お母さんとは実はけっこう長いつきあいという話

2007-06-04 10:00:00 | 女性の身体
知ってました?
私の半分は、お母さんが赤ちゃんの時から
お母さんの体の中に存在していたこと。

お母さんが生まれてから私を生むまでの人生を、
「私」は、ずっといっしょに生きていたことを。


■「私」の準備は母親生誕のときから!
卵子と精子が出会って一つの生命が生まれる。
誰でも知っていますよね。
でも、その卵子が(正確には将来卵子になるべき元の細胞が)、
すでに母親が赤ちゃんの時から、
母親の体内にある
ことはあまり知られていない
のではないでしょうか。

たとえばお母さんが成長の過程で、
誰かを好きになったり、失敗したり、
そんなことも全部一緒に経験してるんですよ、
私の中の「半分」は。

もちろん、お母さんがお父さんと結婚しようと決心した時も、
既に私の半分となるべき細胞は
お母さんの中にいた
んですね。
まさに文字通り子供は母親の分身なんです。


■女子に説教する根拠(?)
女性は子供の頃から将来生む予定の卵子の元細胞を持っている。
---この事実を知ったのは、アロマの勉強を初めて間もなくのころ。
私はとても衝撃を受けました。
(ちなみに、精子の方は毎日作られていて、寿命は1日~3日。
まさに『すべての男は消耗品である(村上龍)』といえましょう)

女性は子供を授かる「畑」どころか、
次の生命そのものじゃないですか。

そりゃあもう女の子は赤ちゃんの時から大切に
されなくちゃだめです。
これは、社会的に男女同権だのという話じゃなく、
女は「人としていつも幸せでいる義務」があります。
もう次の世代が体の中にいるのですからね。
女の子が自分をないがしろにするということは、
次の世代をないがしろにするということです。

時々「誰にも迷惑かけてないからいいじゃん」
と豪語してはやんちゃをはたらく女子がいますが、
とんでもないです。
将来結婚したらちゃんとするとか、
子供ができたら気をつけるとか、そんなんじゃ遅いです。
子供にしてみたらものすごい迷惑ですからね。

はい、女子は今すぐ煙草やめてね。
ヘソ出しで体冷やさないようにしてね。
腹巻きをしましょう。足首も暖めましょう。
ばあちゃんになったら好きなだけお腹出していいから。
誰も見たくないか。


■女性が主役
女性ホルモンというと、名前のせいか生殖にのみ
関係があるもののように思われがちですが、
骨の形成や、血管の保護など、全身で様々な働きをしています。

女性は女性ホルモンをたくさん持っているせいで、
体調を維持していくのに大きな恩恵を被っているのです。

男性は女性ホルモンが少ない分、
自力で体調を維持しなければいけない面があります。
女性も更年期を迎えて、女性ホルモンが減ると男性に近づいてきます。

女性ホルモンは女性の味方ですが、
本人よりもむしろ、
その女性がかかえている「次世代の卵」を守ってくれている
といってもよいでしょう。

人を含めて動物は、次世代を守るための様々な仕掛けを持っており、
その主軸を担うのは、どうやらやはり女性のようなのです。


■だから母子ってのは...
母親が赤ちゃんの時からその体の中にいたのだから
子供が少々マザコンだったりしてもこりゃ仕方ないし、
母親にとっても子離れが大変なのが道理というものです。

母子関係に何らかの問題を抱えている大人は少なくありません。
精神分析的にもいろいろ解釈があるでしょうが、
単純に体に焦点を当てただけでも、
母子の分離がいかに大変なことか理解できます。

私も、別にそれほどトラブルがあったわけでもないですが、
それなりに面倒くさい十代二十代をすごしてきました。
でもこの歳になって何だかいろいろな意味で
母親との関係が納得できるようになりました。

母親と自分のお互いを許せるような気になってきたのは
最近のことです。
しょうがないよ、分身だもの。そんなうまいこと
「他者としての関係を築く」なんてできないでしょ。

生んでくれて感謝とか、育ててくれてありがとうは
もちろんあるけれど、何より、
「母親が子供の頃から」ずーっと一緒に生きてたんだねえ、
と思ったら愛おしくなりました。

一緒にいたのは十月十日どころじゃありません。
私の場合は約30年間です(母親が30才の時の子供ですから)。
産むということは、別れる(分かれる)ということです。
そりゃ大変なことです。


■男ってやつは...
こう考えると、女性は頭で考えなくても本能的に
過去や未来との繋がりを体で感じているといえるかもしれません。
だからこそ、現在を楽しむこと、今に全精力を費やすことを躊躇無く、
安心してできるような気がします。

それに対して男性の方が、過去の実績や未来のプランに固執する
傾向があるように思われます(あくまでも一般論で個体差はあります)。
これは男性が生物として「刹那を生きる」ことを
運命づけられているせいではないかという気がします。
女性のように過去と未来を自動的に実感できないからこそ、
逆に社会的な意味での過去や未来との繋がりを求めずにはいられない
ということがあるのではないでしょうか。

そう考えると、男の人って切ないですなあ。
男性には少々つまらないお話でしたでしょうか。
はああ、やっぱり男は使い捨てかあ、と。
でもねえ、だからこそ、今にフォーカスしてその一瞬一瞬を
楽しくいることを軽んじないでいて欲しいです。
反対に女性は、ずーっと繋がる生命の糸の一部であることを
忘れずに自分を大切にしたいものですね。


■ホルモンの先へ
さて、生命の繋がりの中の女性云々とか言っておいて、
47歳、子供無し、少子化問題推進中が自らこういうことを言う
のはややはばかられますが、でもね、
女性の皆さん、子供という可能性から解放される
この年齢からが本当の冒険の始まりかもしれません。
事実、閉経を迎えてから女性の脳は再び重くなる
という説もあります。

新しいことに出会い、学び、感受性を磨いて、
巨大な脳をもって生まれて来た人類の特性を享受しましょう。

また長くなってしまいました。
今日はホルモンの関係か変にハイです。
いいじゃん、更年期、楽しいじゃん。




フィードバック! フィードバック! フィードバック!

2007-06-02 18:03:40 | 「緑香庵」的なもの
今回、ちょっと長いです。

私は自転車通勤をしています。
自転車に乗って季節の変化を感じるのは、
夜の帰り道の方が多かったりします。

暗くて視界があてにならないからでしょうか、
感覚がより鋭敏になる気がします。
まず、音が違う。
ある日を境に突然に虫が鳴き出しましたが、
この音を聞いて初めて、
「そういえば冬の間、夜は随分しーんとしていたなあ」
と気づきました。

冬は窓をぴったり閉め、カーテンも厚いので
生活音も漏れて来ませんが、
この季節はいろんな音が聞こえますね。

それから香り。
ちょっと以前ですが、近所の夏みかんの花が
あっという間に最盛期を終えました。
ネロリに似た濃厚でメロメロになりそうな甘い香り。
夏みかんの花は昨シーズンの実と同居するんですね。
枝の高いところにはまだ黄色い実が残っていました。
夜になるとより香りが強まる気がします。
本当に強く香ったのはほんの2~3日。

こんな変化を楽しみながら自転車をこいでいると、
自分自身も随分緊張が弛んでいることに気づきます。
いろんな感覚が開いている感じです。

冬はやっぱり相当、身体も意識も硬くしていたんですねえ。

バイオフィードバックという技術をご存知でしょうか。
例えば血圧。
本来は自分の血圧というのは自分では感知できません。
感知できないものは意識で制御できず、すなわち
自律神経の管轄です。
しかし、例えば血圧がある数値を超えたらブザーで知らせる
というような、生理現象を科学的に検知する装置を装着すると、
自分の血圧の状態を自分で認識できるようになり、
訓練によって自分の血圧が高くない状態というのを
意識的に作り出すことができるようになる、という技法です。

注目したいのは、感知できない(意識にのぼらない)
ことは制御できない(意識でコントロールできない)ということ。
反対に感知できるようにすれば、
たとえ血圧そのものをコントロールできなくても、
血圧の低い(高い)体の状態というものを
意識の力で再現できるということ。

五感と一口に言いますが、人は
「今、視覚を使おう、聴覚を使おう、
ちょっとだけ触覚も使っちゃおう」
などと区別している訳ではありません。
一斉に押し寄せる情報丸ごとを、
同時にあらゆる感覚器を通して受け取り、
瞬時に判別して、処理するということを絶えず続けているワケです。

目を開けていれば主に視覚を使っているようですが、
実は他の感覚器もフルに動いているといってよいでしょう。
ただし、それを全部感知していては
情報量が多すぎて処理しきれないでしょうから、
感知の主役という部分はでてくるでしょうが、
たとえ主役の感覚器が遮断されても、その他の部分が
一斉にパワーを上げて生命を維持できるよう頑張る訳です。

たびたびこのブログでも申し上げてきた、
感覚を磨く、よく感じるということは、
普段、意識の下に潜っている主役以外の感覚を
一度意識の上に持って来てみましょう、ということと
同じ意味になります。

つまり、フィードバックの回路を増やしましょうということ。
そのことにより、硬直した主役の感覚をやすめ、
意識下に溜まったゴミを整理し、
さらにより豊かな感覚を育てようというものです。

 ◆  ◆  ◆

ここまでは前振り。結構硬かったですね。
今日の気になることはヘッドフォンなんです。

Natsumikan
《なつみかん》

ウォークマンとかiPodとかね。携帯もか。
といっても、モラルやマナーがテーマじゃありません。
あくまでも緑香庵的に考察してみました。

ヘッドフォンを着けて街を歩いている人は
だいぶ前からたくさんいましたが、
最近特に増えているように思うのです、傍若無人な感じの人が。

どうでしょう。
メールしながら、携帯で話しながら自転車に
乗っている人もいます。
何だかすごく変に感じる今日この頃です。
ある感覚を(例えば聴覚を)完全にひとつのものに
あてがってしまって、街をびゅんびゅん歩いている。

いわば、この現実界においてある感覚を一つ
完全に遮断している状態と同じです。
これって怖くないですか?

そのせいか、そういう人の振る舞いはどこか変です。
周りの空気とマッチしていません。
いわゆる気配というものをぜんぜんキャッチ
していないからです。
聴覚を遮断しているだけじゃなく、
それ以外の感覚もすごく鈍くなっている。
誰かに迷惑をかけていなくても何だか違和感があります。

多分本人は目も見えているし、行動に支障が出ていないので
気づいていないでしょう。
でも、変です。振り向き方とか、
ちょっとした動き、反応が。
これは動物として、もしかしたら凄く退化しようと
しているのじゃないでしょうか。

 ◆  ◆  ◆

ちょっと話は飛びます。
お酒をのんで酔った時を考えてください。
アルコールで少しだけ神経が麻痺します。
理性のたがが外れてリラックして気が大きくなり楽しくなります。
ここまでは良しとしましょう。
それからが問題。さらに飲み続けるとどうなるか。
記憶がなくなったりしますね。
つまり理性はどんどん麻痺の方向へ行くのです。

しかし、ちゃんと家には帰らなきゃならない。
人に迷惑かけないようにしなくちゃならない。
さらには、ちゃんと死なないように心臓を動かさなきゃいけない。
意識の下で脳はさらに回転スピードを増し、
緊張が高まっていることを知っていますか。

つまりお酒を飲んでリラックスしたはずが、
実は普段よりもっと脳は頑張っている
のです。
そしてこれを繰り返すことにより、
脳はより簡単に緊張するようになりイライラしやすくなります。
その緊張を解きたくてまたすぐお酒が欲しくなり、
この悪循環が依存症への道。


 ◆  ◆  ◆

これと似たようなことがヘッドフォンにもないでしょうか。

聴覚を現実界とは全く別の物にゆだねたまま、
次から次へと刺激がやってくる街中を移動するということ。
それは、聴覚以外の他の感覚器に膨大な負荷がかかり、
脳に極度の緊張を強いるということにならないか。

確かに不快な満員電車の時間をせめてお気に入りの音楽で
やり過ごすというのは悪くないのですが、
でも、そのことがますます、ヘッドフォンなしではいられない
という状況を助長しているかもしれません。
しかも、まだそれでも普通にやっていられるうちはいいけれど、
最近の変な振る舞いの人たちを見ていると、
完全に他の感覚器官じゃカバーしきれていないのを感じます。
これは生き物として完全にヤバくないですか?
せめて、感覚器官まるごとひとつ何かに預けるなら、
自分が安全だと心から思える場所で楽しんで欲しいです。
それでないと逆効果ではないかと思うのです。

感知する能力をあえて放棄するというのは、
生物にとってとてつもなく大きなリスクを伴うことです。
感知できないことは制御できません。
体中のあらゆる感覚をはたらかせ、気配を感じ、
それに対応して自分が変化するという
あたりまえのことをあたりまえにしていかないと、
生きていくのがますます大変になるのではないでしょうか。

くそ面白くもない現実でも、
味わって何ぼのもんじゃいと開き直っていかないといけないなあ、
と感じる今日この頃です。

長文失礼。