緑香庵通信

三軒茶屋から世田谷線で6分・松陰神社前のアロマテラピーサロン。

レコーディング更年期(レコーディング・ダイエットならぬ)

2008-10-12 10:00:00 | 女性の身体
巷ではレコーディング・ダイエットなるものが流行っているそうです。
私の身近でも実行中の方がおられますが、なんでも「記録するだけで痩せられる」とか。
実際は記録を始めてからのち、色々なノウハウがあるようなのですが、
何しろまずは記録して実態を把握することが大事なはじめの一歩
ということのようです。
このレコーディング・ダイエットの考え方、実は更年期にも応用が出来ます。
何をレコーディング(記録)するのか。それはずばり「基礎体温」。
このブログでも何度か書いておりますが、
基礎体温は自分の身体が今どの周期にあるのかを知るもっとも簡単な方法です。
古典的ですが、非常に有効です。

■ 卵巣よ「おつかれさま」
まずはおさらい。
女性の身体は、3種類の周期を繰り返しています。
「月経の時期」「月経から排卵まで」「排卵から次の月経まで」の3つです。
これらをそれぞれA期、B期、C期と呼んでいます。
リズム
それぞれの時期に、そのときの身体に即したホルモンが分泌され、
身体全体がそれに従って変化しています。
つまり身体は大きなリズム(例えば28日周期の)を刻んでいます。

これが更年期にさしかかるとどうなるか。
まず卵巣の機能が衰えるので、卵巣で作られる「エストロゲン」が不足し、
さらに排卵がスムーズに起こらなくなります。
つまり約40年間毎月排卵してきた卵巣が、その機能を終える
のに要する時間が「更年期」の実態です。

■ 変拍子が入ってくる、テンポが落ちてくる
更年期以前のノーマルな状態では
排卵へと向かうはずのB期には、
「エストロゲンを出せ」「排卵をおこせ」という命令ホルモンが
脳から出され、卵巣ではせっせとエストロゲンが作られます。
このB期は体温が低い時期です。
そして、排卵が起これば体温は一気に上がります。
つづくC期は卵巣でプロゲステロンというホルモンがたくさん出て、
体温を高く保つなど妊娠にそなえた身体作りが行なわれます。
この高温期が2週間ほど続いた後、卵が受精していなければ、
A期すなわち月経となります。

以上がノーマルのリズムですが、
排卵がスムーズに起こらない場合、色々なパターン(変拍子)があり得ます。
何度も何度も「排卵要請」が出されたあげく、
予想できないタイミングで排卵が起きたり(シンコペーション)、
ちょうど「一回とばす」計算で翌月の排卵予定の頃に排卵がおきたり、
まったく排卵の気配すらなかったり・・・。
更年期では、排卵のタイミングが徐々にまばらになって行き(リタルダンド
しまいに全く排卵が起こらなくなっていくようです
(音楽に例えてみました)。

■ 基礎体温で「見える」
具体的なパターンは個人個人まったく違うので一概にまとめられないのですが、
とにかく基礎体温さえ計っておけば、排卵が起こったか起こらないかは把握できます。

ポンと体温が上がってしばらく高温期が続けば、排卵があったと見て間違いないでしょう。
そうであればその後のC期にふさわしい対処法というのがあります。
なかなか体温が上がってこなければ、
「あーこれは排卵が起こらず、身体も困っておるのだな」と予想がつきます。
当然、脳からは激しい「排卵要請」が来ているはずですし、
卵巣もそれに応えようと努力しているはずですし、
もしかしたら副腎もいっしょに頑張っているかもしれません(エストロゲンは副腎でも作られる)。

基礎体温を測っていれば、こういった一見予想不可能な体調の変動にも納得がいったりします。
B期に必要なエストロゲンを補うタイプのサプリメントをとってみようか、
それともC期に出てくるプロゲステロンの材料に成る山芋を食べてみようか、
アクティブに過ごしたらいいのか、ゆったりとした方がいいのか、
今、自分がどの時期に居るか分れば、対処法が見えてきます。
また、これといった手だてがないように見えるときでも、
今はそういう時期だからしかたないのねと、心穏やかにいることができます。

人は普段理性によって大きく支配されています。
更年期は女性にとって人生3度目のホルモンの嵐、
野生からのメッセージに揺り動かされる時期です。
知って、理解して、納得して、身体まるごと同調することで、
翻弄されずに過ごすことが可能になるのではないかと思います。

■ 全ての女性にオススメします
方法は簡単。
枕元に基礎体温計とメモとペンを置いておき、朝目覚めたら、
起き上がる前にまず体温計をくわえること。
そして、なぐり書きで良いからメモすること。これだけです。

きれいにグラフにしようとか考えなくて良いです。
(したい人は是非してください)
記録さえとっておけば、後からいくらでも検討できます。
データがたまってくれば自分の身体が見えてきますよ。
もし、医療機関を受診する必要が出来た時にも貴重な資料になります。

実はこの方法、更年期に限らず全ての女性にお勧めしたい。
最近はプチ更年期なる若年性更年期障害というものも増えているそうです。
20代~30代でも、気づかないうちに卵巣機能が衰え、
更年期に似た症状が出てくる人が大勢いるとか。
現代に暮らすということは、生き物としての自然を殺さなければやっていけない
ことが原因でしょうか。
そんな方にも、身体の言い分をキャッチする方法を、どうか手に入れて欲しいと思うのです。

ただねえ、面倒だよね。それは分ります。
でもまあ習慣にしてしまえば意外とできますよ。
それに、とにかく役に立つのよ。

それから、体温計メーカーの方に切にお願いします。
簡単に計れて、直ぐに計れて、しかも、もしも口にくわえたまま2度寝しちゃっても
危険が無い体温計を是非作ってください。
できれば、メモリー機能みたいなのも付いてるといいよね。


老いについて

2008-10-10 10:00:00 | 女性の身体
暗くなった若林公園からアカペラを練習する声が…。
うーん、がんばれ。道は遠いぞ。


■ トシだ・・・
季節のせいか年齢のせいか、とにかく髪が抜けるのです。
老眼はますます進み、最近はちょっとした活字を見るのにも、
意識を集中するか、眼鏡をかけるかしないと
内容を把握できなくなってきました。
こうなると、いかに自分が今まで何も考えず活字情報を
取入れてきたかが分ります。
今は、その情報が欲しいかを意識的に判断した上でしか
読むことができないので、おのずとフィルターがかかります。
そうしてみると世の中の情報にはそんなに必要なことって多くないのね、
って偉そうですか。

本を読むペースも落ちたなあ。
本を読むのが好きだなんてあらためて思ったことはなかったけれど、
読み辛くなるとストレスです。多分好きなんですね。
これからは本の選択にもフィルターをかけざるを得ません。
読む物を厳選しなければ。
ひるがえって、こんな「あほブログ」でも楽しみに読んでくださる
がいるということを聞くと、本当に申し訳ないような気持ちです。
皆さんの情報のフィルターはだいじょうぶでしょうか。
なんて心配したりして。

■ 更年期・真っ最中
さて、老化話のついでですが、最近の私の更年期の状況報告を。
(私はいったい誰に向かってこんな個人的なことを報告しているんだ?)
近頃はリズミカルボディセラピーで言うところのB期-C期-B期-C期、
の繰り返しで、たまに50日~60日に一度、思い出したようにA期が来る
といった感じです。(用語は>>こちらをご参考ください )

つまり、排卵前-排卵後-排卵前-排卵後の繰り返しがほとんど。
といっても実際に排卵は起こっていないわけで、
脳からは時々狂ったように「エストロゲン出せよ、おいっ!」
という指令が出される
らしく、突然の頭痛の気配や、
副腎あたりが締め付けられるような感覚がやってきます。

そういうときはエストロゲン様の作用を持つハーブ
サプリメントやお茶でしのぎます。
アロマも大活躍。
アロマに関してはエストロゲンを補うというよりも、
脳の暴走を鎮める方向で日々就寝前に使うことが多いです。
仕事で毎日アロマに触れているのはもちろんです。

基礎体温はあいかわらず毎日計っているので、
なおさら自分が今いかにめちゃくちゃな状態かがはっきりわかります。
だからこそ、多少の体調の悪さ、気分の浮き沈みは
かえって当たり前に受け入れることができます


■ ネガティブな気持ちも尊重したい
こうして毎日少しずつ、あるいはある時はがくんと変化しながら
「老い」へと向かっているのは事実のようです。
「老い」という言葉にはいまだ抵抗がありますが、
まあ終点への過程として先人が名付けた言葉なので、
素直に使わせていただきましょう。

ただ、当たり前ながらその道筋はひとりひとり違います。
更年期に限らず、もっと先にある老化の道筋も実はみんな違う。
親の世代を見ていてもそう思います。
ともすれば世の中の平均と比べて判断をしがちですが、
それはあくまでも目安に過ぎないことを忘れてしまうことが多い。
本人の個体としての変化が実態であり、本人の感覚、実感が
本当は一番大切
だと思うのです。
仮にその年齢では当たり前のことでも、当たり前に思えない場合もある。
そういった、自分に起こる変化を恐れるネガティブな気持ちも
尊重したいと思うのです。

そのうえで、できれば、変化を受け入れ、変化の中に面白みを発見できる
ような生命の図太さを期待したいのですが、
そんなことは無理なのかしら。

いろんな歳の取り方があります。
先輩方から教わることは本当に多く、
親世代をケアしながら、ますます自分の将来がリアルに
感じられる昨今です。


次回のブログでは「更年期を前向きに」的な方向性でなく、
「客観的に」記録するだけで楽になるという方法をご提案したいと思います。


中学校でナイス予想外

2008-10-08 10:00:00 | 「緑香庵」的なもの
先日のクラス会で復活した縁がもとになり、
故あって母校の中学校へ行ってきました。
卒業して33年、学校のあった八王子を離れて30年、以来初めてです。
行けるかどうか心配になりグーグルで地図をプリントして行きました。

最寄り駅に着いたのが予定より早かったので、
以前住んでいた場所をぶらぶらと散策しながら学校へ向かいました。
不思議なことに、はっきりとした道順は覚えていないのに、
歩けば歩くほど「あーこっちだ」と確信
が沸いてきて、
迷うことなく先へ進むことができます。
建物やお店などは当然変わっているのでしょうが、
道のカーブや丘の形、雑木林といった大きな構成物は
変わっていないのでしょう。
それから、今でもあまり高い建物が建っていないので
空の感じが変わらない。
林から聞こえてくる虫の声や空気感、
これもおそらくあまり変わっていない。

何か頭の中で何かの栓が開けられたように、ドクドクと
湧いてくるものがあるようです。これが記憶でしょうか。
イメージではなく実感としての記憶です。
以前住んでいた場所を確認し、学校へ着くころには
ほとんど日が暮れていました。
このあたりは今暮らしている世田谷に比べると暗いのです。
街灯が少ない、人口密度も多分少ない。
校庭の端にテニスコートがあり、暗がりの中で部活動の後片付け
をする生徒達がシルエットになっていました。
その脇を通りながら、子供達の声を耳にして、
土ぼこりの匂いを嗅ぎながら確信しました。
「私はここで中学生だった。私はここを知っている。私はここに居た。」

思い出の中の学校はおそらく映像的なものでしたが、
この実感はまったく別のもの、もっと身体的な感覚でした。
これが記憶というものか。
私の中学生の時間は、友達との関係やエピソードにではなく、
この空気の中にあったんだと知りました。
またしてもナイス予想外

ちなみに私たちが過ごした校舎は取り壊しとなり、新しい校舎を建設中。
かっこいいデザインの学校へ生まれ変わるらしい。

後輩君達よ、君の中学時代を作っているのは、校舎や友達や先生や
「やったこと」ばかりじゃなくて、この場所そのもの、
この空気そのものなんだよ。
君が生きていた時間を君の身体は忘れないよ。
何やらかんやらいろいろあるかもしれないが、
おっさんおばさんになるまで生き延びてね。


ナイス予想外(白い犬とは関係ありません)

2008-10-06 10:56:30 | 「緑香庵」的なもの
もともとが結構保守的な性格なのです、多分。
にしてはムチャクチャな経歴ですが、それはきっと、
保守的だからこそあえて一歩踏み外して(「踏み出して」ではない
ところが微妙ですが)いこうという姿勢の現れだと
解釈していただきたい。言い訳めいているか。

初めてのこと、慣れないことへの抵抗がとても大きいのです、
子供の頃から。
几帳面と言われることはあっても、
のびのびしていると言われたことは無い。
基本的に小さくまとまるタイプ。
つまらないなあ、と自分でも思ってました。
だから、そんな私は努力が必要なのです。
「予想外」に出会うために。
「予想外」こそが脳を刺激し、人を成長させるからね。

Leafflower1
《緑香庵のコバンノキ。こちらは親株。こんなに大きくなりました》

ただこの「予想外」、私のようなタイプでなくとも、
一般的な大人にとってもなかなかの課題です。
長く生きていればたいていのことは予想がつくようになってしまう。
それが経験というもの。だから大人には意志と視点が必要なのです。
意志すなわち「関わる努力」、視点すなわち「真実は細部に宿る」。

そんなわけで、努力してきましたよ。
中学のクラス会に行ってきました。33年ぶりかな?
いままでこのてのお誘いは全て辞退してきました。
今の自分をいちいち説明するのが何となく面倒くさいし、
大人に成ったかつての子供達同士の、
予想されるお決まりの社交的なやりとりが何ともうっとうしいし。
しかーし、あえてそこへ飛び込んでみました。
結果から申せば、非常に楽しかった。行って良かった。
いやあ、ある意味おおかた予想通りではあったのです。
よく一瞬にしてその時代に帰る、子供同士に戻って
垣根無くおしゃべりができるとかいうじゃないですか。
でも私は当時既に冷めた気分を持ってクラスにいたので、
まあ思春期でしたし、濃密に友達関係の中に浸って
いたわけでもなかったし。
何とも落ち着かない関係性は、いまさら急に「ああ懐かしい」と
変わるようなことはありませんでした。
じゃ何が良かったかというと、
卒業後、一人一人がそれぞれに生きていたのだなあということが
頭の中でイメージしていたよりも
もっとはっきり感じられたからでした。

Leafflower2
《上の親株から挿し木で根付いた子株》

頭の中では中学生時代の思い出なんて、それこそ十把一絡げ、
友達もひとかたまりのイメージでしかなかったし、
実際当時も友達のことをそんな風にぼんやりとしか捉えて
いなかったのかもしれません。
50歳も間近になって、本当に一人一人が別々の生活を持ち、
それぞれに生きてきたのだという実にあたりまえのことを実感して、
心から寿ぐ気持ちになったのです。これは予想外。

おおむね予想の範囲内にありながら、
やっぱり実際に関わらなければ感じ得なかった、
小さな小さな予想外。
予想外は細部に宿っているから、やっぱり飛び込んでみないと
会えないんだね。
多分世界は脳が予想するより広いらしい。
ナイスだぜ。

(今回は文体が変ですね。これも予想外。)


鼻持ちならないヤツ それがあたし

2008-10-04 10:00:00 | 「緑香庵」的なもの
今年の初・金木犀(きんもくせい)は10月1日でした。
この香りがしてくると秋ですねえー。
Kinmokusei2

中学生のころ、体育館へ続く渡り廊下の脇にこの木がありました。
文化祭の準備の頃、強烈にこの香りを感じながら
学校じゅうを走り回っていた記憶があります。
廊下は走っちゃだめだけどね。

ここのところ中学時代の友人と会う機会が何度かあり、
自分が憶えていることと、人が憶えていることの間には
けっこうな違いがあるもんだということがありました。

私の中学時代には毎年、クラス対抗の合唱コンクールという
大きなイベントがありました(今でも合唱祭として続いているそう)。
学年の最後にクラス一丸と成って締めくくりましょうという
先生方のねらい通り当時、このイベントにはちょっとした
ツッパリ君(死語?)でも、それなりに燃えて参加したものでした。

私はピアノを習っていたこともあり、1年から3年まで
ずっとピアノ伴奏を仰せつかりました。
さらには合唱用の編曲も中学3年間、自分から進んでやっていました。
前にもちょいとお話ししましたが、
私は小学校の頃から学校をさぼって家でレコードばかり
聴いているような子供でしたので、
耳から入ったものは何でも譜面に移せる程度には、
訓練がいつのまにかできていたのか、
みんながやりたい曲であれば、譜面があろうが無かろうが、
たとえ合唱アレンジがされていなくとも、
自分でやるのがあたりまえという感じでした。
当時は市販の楽譜というのもあまり無かった時代です。
たいていは音楽の先生頼みのところを、
私のクラスは自由に選曲をし自分たちで進行することができました。
それだけでも結構、鼻高々でした。
当然やる気満々で、「私のクラスが優勝せんでどうする」くらいの勢いでした。

今思えば何たる自信過剰、嫌な中学生です。
おかげさまで3年間すべてのクラスで優勝できましたが、
いまになって、当時のクラスメートに聞けば、
「あのとき○○(私の旧姓)はノリノリで、本番ではどんどん走って
(演奏が速くなること)、みんなピアノについて行くので必死だった」
というではありませんか。
えー? そうだったの?
私の記憶の中では完璧だったんだけどなあ。

やっぱり子供だなあ。
けっこう自分では大人だったつもりなのに、
私が「気に入らないことがあるとよくキレていた」などと聞かされると、
自分の記憶との差に愕然としてしまいます。
なんだか嫌なやつじゃん、あたしってば。
「鼻持ちならないヤツ」が今はアロマテラピーやってるわけですか。

そんな思い出の舞台の体育館も、先日30数年ぶりに訪れると、
すっかり取り壊しになっていました(詳しくは次回)。
建物はなくなっても、金木犀の香りを嗅ぐと思い出はよみがえります。
匂いってすごい