佐賀市教育委員会は12日、同市諸富町の三重津海軍所跡の発掘調査で、礎石跡や柱跡の建物跡が見つかったと発表した。1800年代のものと推測され、海軍所関連の遺構の可能性が高いという。この結果、同市川副町にまたがる遺跡の範囲は北東に約60メートル広がる。
同海軍所は佐賀藩が1858年、海軍学校の「御船手稽古(けいこ)所」を設置して以降、幕末に整備された。
今回調査したのは、同稽古所があったとされ、1920年代の海軍所の絵図で「兵学校」と記された場所。遺跡の範囲を確認するため、4月16日から発掘していた。
見つかったのは礎石跡4基と掘っ立て柱跡8基。遺構の配置から、礎石を使った建物と土中に固定する掘っ立て柱の建物の二つがあったとみられる。掘っ立て柱跡には、直径20~25センチの柱の根元や柱の下に敷いた板もあった。
礎石を地固めするための陶器片も出土した。出土品の年代と盛り土による大規模な造成跡から、稽古所か兵学校に関連した遺跡の可能性が高いという。
海軍所跡は同市が世界遺産登録を目指している幕末遺産の一つ。
5/13 毎日新聞
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同海軍所は佐賀藩が1858年、海軍学校の「御船手稽古(けいこ)所」を設置して以降、幕末に整備された。
今回調査したのは、同稽古所があったとされ、1920年代の海軍所の絵図で「兵学校」と記された場所。遺跡の範囲を確認するため、4月16日から発掘していた。
見つかったのは礎石跡4基と掘っ立て柱跡8基。遺構の配置から、礎石を使った建物と土中に固定する掘っ立て柱の建物の二つがあったとみられる。掘っ立て柱跡には、直径20~25センチの柱の根元や柱の下に敷いた板もあった。
礎石を地固めするための陶器片も出土した。出土品の年代と盛り土による大規模な造成跡から、稽古所か兵学校に関連した遺跡の可能性が高いという。
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