◇玄関も北側
幕末の志士、坂本龍馬が設立した商社「亀山社中」跡(長崎市伊良林2)を改修中の長崎市は14日、社中が活動した1865年当時の間取りが判明した、と明らかにした。龍馬らは南側の10畳間を執務室としたとみられ、玄関も現在の南側でなく北側だった。市は改修後の8月1日に「亀山社中記念館」としてオープン予定だが、調査結果を受けて設計変更を決めた。
建物は、江戸時代に製造され幕末に途絶えた陶磁器「亀山焼」の絵付け場として、1808年に建てられた木造平屋。龍馬らはここを1865年から2年間、亀山社中の活動拠点とした。その後は民家となり、2階など増改築を繰り返した。89~06年に公開されたが、現在は閉鎖中。
長崎市はNHK大河ドラマ「龍馬伝」の10年放送を前に再公開を目指し、所有者から無償で借り受け、往時を復元する改修工事を3月に開始。その過程で間取りが分かった。南側の10畳間を中心に8畳間と3畳の玄関間で構成され、便所は別の場所にあったらしい。改築工事では、玄関は「今の人の動きを変えると公開時に混乱する」として南側のままとするが、北側の玄関は土間を復元しガラスで表現するという。
調査を担当した鮫島和夫・長崎総合科学大教授(建築学)は「龍馬がいた部屋が、なんで玄関近くなんだろうと不思議だった。当時の姿が正しく伝えられる」と語った。
5/15 毎日新聞
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幕末の志士、坂本龍馬が設立した商社「亀山社中」跡(長崎市伊良林2)を改修中の長崎市は14日、社中が活動した1865年当時の間取りが判明した、と明らかにした。龍馬らは南側の10畳間を執務室としたとみられ、玄関も現在の南側でなく北側だった。市は改修後の8月1日に「亀山社中記念館」としてオープン予定だが、調査結果を受けて設計変更を決めた。
建物は、江戸時代に製造され幕末に途絶えた陶磁器「亀山焼」の絵付け場として、1808年に建てられた木造平屋。龍馬らはここを1865年から2年間、亀山社中の活動拠点とした。その後は民家となり、2階など増改築を繰り返した。89~06年に公開されたが、現在は閉鎖中。
長崎市はNHK大河ドラマ「龍馬伝」の10年放送を前に再公開を目指し、所有者から無償で借り受け、往時を復元する改修工事を3月に開始。その過程で間取りが分かった。南側の10畳間を中心に8畳間と3畳の玄関間で構成され、便所は別の場所にあったらしい。改築工事では、玄関は「今の人の動きを変えると公開時に混乱する」として南側のままとするが、北側の玄関は土間を復元しガラスで表現するという。
調査を担当した鮫島和夫・長崎総合科学大教授(建築学)は「龍馬がいた部屋が、なんで玄関近くなんだろうと不思議だった。当時の姿が正しく伝えられる」と語った。
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