火葬場の使用の関係で,通夜が翌々日の8月31日,葬儀が9月1日になりました。
父と弟は,遺影にする母の写真を探していました。
わたしが昨年,"oyabaka"の撮影会に参加したときに,母と一緒に行き,撮ってもらったのを思い出し,遺影にしていただきました。
プロのカメラマンが三人の笑顔を撮れる様に何枚か撮ってくれたうちの1枚です。
これを母との思い出として,遺影にしていただきました。
通夜のあいさつはもちろん長男でもあるわたしの弟。
弟は,母を既に”自分の子どもたちのばあちゃん”という認識が強く,あいさつも孫と出掛けるのが楽しみだった・・・ とか言ってました。
わたしは,自分が小さい頃の母,わたしが学生の頃の母,ばあちゃんになったばかりの頃の母・・・ そんなことを思い出していました。
実家に帰って,棺の中に入れるものを父とみていると,たんすからわたしの三人の娘に渡し忘れたと思われるお年玉が見つかりました。
あとは,よく来ていたGパンとトレーナー,毎日枕にしていたクッション・・・
1週間前に大丸で買ったというブレスレット・・・ それらを棺の中に入れるように準備しまめした。
あと,自分の幼少期のアルバムを父に探してもらって持ってかえることにしました。
それに写っている母は今のわたしより若く,時代を感じる写真でした。
そのアルバム,よく見てたな~。
他は,弟の嫁さんが備してくれた孫からの寄せ書きを入れることに。
うちの子たちは・・・ 通夜の日に寮から戻ってきた長女は 『毎回ミュージカルなど見にきてくれてありがとう。』 と書けたけれど,
次女はこんなときに肺炎になってしまい急遽入院 三女はまだ文書なんて書けません。
二人分のメッセージをわたしが書きました。(ほぼ私の言葉ですが・・・)
そんなわけで,最後の最後まで子どものことで母のそばにはついてあげれなかった・・・・
通夜の日や葬儀のあと,いろんな方たちから母の思い出話を聞き,母が思っていたよりも皆に慕われていたことを実感しました。
自治会の方々から今年の金比羅祭りのこと,母の以前の職場の人たちに食事に行ったこと・・・等
また,母のいとこからは母との子どもの頃の話も聞きました。
母と一緒に幼少期に遊んでいたときのこと,母の父親が軍隊から帰ってきたときのこと・・・ などなど・・・
多くの参列者が母をしのび・・・ 母も喜んだか・・・ まだまだこの夜に残りたくて後悔しているか・・・
火葬場で母の最後を見,燃えていく空を見上げ・・・ 数時間後,母は骨となりました。
もう,母はいません。
リハビリに連れて行ってやりたかったのに・・・ 少しは母の世話をしたかったのに・・・
たまに帰ったときに話相手になってやったのに・・・
実家に帰っても,母はいません。
父はいるけれど,弟の子たちが権利が強く,居場所はないです。(前からですが・・・)
事故の当日は感じなかった寂しさが込み上げて,ひとりになると涙が止まりません。
いつになったら母のことの諦めがついて,心から『ありがとう』 と思えるようになるのでしょうか・・・
そして,ひとりになった父のことが心配です。