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◆十日戎 「蛭子」「恵比寿」「夷」「戎」「えびす」

2012年01月10日 18時54分16秒 | 色んな情報
◆十日戎 「蛭子」「恵比寿」「夷」「戎」「えびす」
今日は本えびす。
大阪に何年も居たけれどついぞ行けなかった。
中身については周りの人には沢山聞くのに一度もその日に休みが取れない仕事だったから。
当て字が多い言葉である。
本宮の漢字は住吉も西宮も一緒。
なぜこんなに違うのかは読んで自分で納得する。

日本て何と表現豊かな国か。
地元を離れて何年も経つと殆ど使わない。
西宮に長く居たので徒歩二分のえびっさんには何度行ったことか。
結構長い間 ソレこそ目を瞑っても歩けたくらい。
今ではフラッシュみたいに目をつむると細切れのような感じでしか思い出せない場所。
三十で亡くなった甥をあやしたり時間つぶしによく出かけたもの。
甥が側にイタから出かける時間は作れた。
居なかったらキット部屋でくすぶっていただろう。
オムツを変えてオシッコよく顔にかけられたりしたことを思い出す。
ヨチヨチ歩きで転び泣いたりしていた。
懐かしい場所。


■十日戎
 毎年1月10日は十日戎といわれこの日を本戎、前日を宵戎、翌日を残り福と称し三日を祭礼の日としています。「戎(恵比寿)」様は、「七福神」の中の一人で、釣り竿と鯛を両手に持ってほほえんでいる神様です。遠くの海からやってきて人々をしあわせにする神様だといわれ、漁業の神、商売繁盛の神、福の神として親しまれています。
 この祭礼では、枝先に縁起物を飾った「笹」を売り賑わいます。その「笹」を売るときのかけ声が、かの有名な「商売繁盛、笹もってこい」なのです。
 戎様自体はは全国的に有名ですが。十日戎というのは東京の人には馴染みが薄く、西日本の行事のようです。東京にはエビス神社が30社もありませんが兵庫県や京都府は200社以上、広島県に至っては400社を超えるそうです。最も賑やかな大阪の今宮神社の十日戎。宵戎、戎、残り戎の3日間で訪れる人は100万人と言います。


◆えびす講 - Wikipedia http://bit.ly/yE9Two
えびす講(えびすこう)は、おもに10月20日ないし11月20日に催される祭礼または民間行事。
秋の季語。
大鳥大社など日本各地の鷲神社で行われる酉の市は由来が異なり全く関係がない。
神無月(旧暦10月)に出雲に赴かない「留守神」とされたえびす神(夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須)ないしかまど神を祀り、1年の無事を感謝し、五穀豊穣、大漁、あるいは商売繁盛を祈願する。
地方や社寺によっては、旧暦の10月20日であったり、秋と春(1月20日)の2回開催したり、十日えびすとして1月10日や1月15日とその前後などに行うこともある。
えびす祭やえべっさんとも言われる。
えびすを主祭神とするえびす神社のみならず、摂末社として祀っている社寺でもおこなわれる。


◆えべっさん入門 予備知識編 http://www.geocities.jp/kotekoteland/ebessan/
大阪の祭りといえば「えべっさん」。
大阪の人間にとっては「いまさら」ですが、関西以外の人たちの中には、まだまだよく知らない方もいる様子。
毎年1月9日~11日。9日が「宵戎(よいえびす)」、10日が「十日戎(とおかえびす)」、11日が「残り福(のこりふく)」と呼ばれます。
やはり本命の十日戎が一番混雑しますが、縁起物を買うんなら「値切れる」残り福の夜がお勧め。

「えべっさん」とは「神様」のことを「神さん」と呼ぶ、関西人得意の馴れ馴れしい(笑)表現で、全国的には「えびす様」または「恵比寿神」と呼ばれている七福神の一人です。
もともとは持ち物の釣り竿と鯛からも分かるように海の神様ですが、後に農業や商業の神様としても信仰されるようになりました。
日本の国を(その辺の土をかき集めて)作ったとする、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)の息子とされ、七福神の中では唯一国産の神様とされています。
しかし「夷」や「戎」とも書かれることから、異民族の漂流者との説もあります。


◆十日戎 - 今宮戎神社 http://bit.ly/y0SQti
◆今宮戎神社・十日戎 (1) 商売繁盛 - 大阪DEEP案内 http://osakadeep.info/125.shtm
商都・大阪の代表的な祭り、年の始めのえべっさん。大阪の商売人ならここへお参りし なければ気が済まない。
室町時代から続く伝統行事は毎年1月9日から11日までの3日間でのべ100万人の人出を誇り、狭い境内は人でごった返す。


◆西宮えびす【十日えびす大祭】 http://bit.ly/zWKOxj
年の始めに商売繁盛を祈願するお祭りとして知られている十日えびすの祭典は、古くは御狩神事(みかりしんじ)とか忌籠祭(いごもりさい)といわれていました。
かっては、狩猟をして神意を窺うために謹慎斎戒の忌籠(いごもり)が行われていたようです。
◆十日戎 - 堀川戎神社 http://bit.ly/z0NEbJ
堀川戎神社は、今を去る約1400年以上もの昔、欽明天皇の時代(539~571)に蛭子大神(えびすのおおかみ)を主神に祀られた由緒あるお宮です。浪速年中行事随一の「十日戎(とおかえびす)」は、関西一円の人々から「えべっさん」と親しまれ、江戸時代 中期 ...

◆西宮神社のえべっさん http://bit.ly/ygOMTc
この十日戎とは商売繁盛を祈願するお祭りとして有名である。
えびすさん自体もえびすビールがあるくらいだから全国的に有名なのだが、1月10日の十日戎はなぜか関西が中心。
西日本の方にもあるらしいが関東にはないとの事。


◆兵庫県の主なえびす神社・十日戎(えびすまつり) 兵庫のえべっさん http://bit.ly/x42Ew3



◆蛭子(ヒルコノカミ)神 http://bit.ly/z7RmHK
別称:恵比寿神、恵比須神、戎(エビス)大神
ヒルコ(水蛭子、蛭子神、蛭子命)は、日本神話に登場する神。
◆ヒルコ - Wikipedia http://bit.ly/xYQUHJ
『古事記』において国産みの際、イザナギ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)との間に生まれた最初の神。
しかし、子作りの際に女神であるイザナミから声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦の舟に入れられオノゴロ島から流されてしまう。
次に生まれたアハシマとともに、二神の子の数には入れないと記されている。

『日本書紀』では三貴子(みはしらのうずのみこ)の前に生まれ、必ずしも最初に生まれる神ではない。
不具の子に生まれるのも、後で流されるのも同じである。

始祖となった男女二柱の神の最初の子が生み損ないになるという神話は世界各地に見られる。


◆えびす【恵比須/夷/戎/恵比寿/蛭子】国語辞書 - 大辞泉
《「夷(えびす)」と同語源》古くは豊漁の神。のち七福神の一人として、生業を守り、福をもたらす神。狩衣(かりぎぬ)・指貫(さしぬき)・風折烏帽子(かざおりえぼし)をつけ、右手に釣りざおを持ち、左わきに鯛(たい)をかかえている。
  ◆歴史的仮名遣いは「えびす」で、「恵(ゑ)」の字は仮名遣いを無視した当て字。


◆夷(い、えびす) - Wikipedia http://bit.ly/zz929F
・東夷。古代中国東方の異民族の総称。また転じて、古代日本の東方の異民族。
・えびす。神道の神。


◆戎 - Wikipedia http://bit.ly/w2vepM
戎(呉音:にゅう、漢音:じゅう、拼音:Róng)は、中国の五帝時代から戦国時代にかけて 、中国の西および北に住んでいた遊牧民族。
たびたび中国の歴代王朝に侵入しては 略奪をおこなった。大別して西の戎を西戎といい、北の戎を北戎という。
また、戎が滅んだ後世になっても、中国では蔑称として西戎や戎狄の語を用いた。

<< 鈴音さんの日記 ● 春の七草 ・ 七草粥 2012年01月07日16:43

2012年01月10日 17時51分30秒 | 色んな情報
<< 鈴音さんの日記 ● 春の七草 ・ 七草粥 2012年01月07日16:43
今日、一月七日は七草粥です。


本来七草と書いた場合は秋の七草を指し、小正月1月15日のものも七種と書いて七草と読みます。
この行事は平安時代には行われていましたが、室町時代の汁物が原型ともされているようです。


「セリ、ナズナ(ペンペン草)、ゴギョウ(母子草)、ハコベ、ホトケノザ、 スズナ(蕪)、スズシロ(大根)」
これが七草です。
地域によっては採れないものもあるので、多少変化もあったり、七種類でない場合もあり、
延喜式には 「餅粥」 という名称で七種登場するようです。


邪気を払い万病を除く占いとして食される呪術的な意味ばかりでなく、
御節料理で疲れた胃を休め、野菜の乏しい冬場に不足がちな栄養を補う効果もあり、
先人の知恵を生かした体に優しい食事といえるようです。


七草は前日の夜にまな板に乗せて、囃子歌を歌いながら包丁で叩き、
当日の朝に粥に入れます。


囃子歌は鳥追い歌に由来するものであり、
これは七草粥の行事と、豊作を祈る行事が結び付いたものと考えられています。


歌の歌詞は、
「七草なずな、唐土の鳥が、日本の土地に、合わせて、バタクサ・バタクサ」等と、
地方によって違いがあるようです。


七草の行事は「子の日の遊び」とも呼ばれ、正月最初の「子の日」に、
野原に出て若菜を摘む風習がありました。


「枕草子」にも、「七日の若菜を人の六日にもて騒ぎ・・・」とあり、
水田周辺で摘まれたのではないかとされています。


「延喜式」には、餅粥という名称で七種粥が登場し、
餅粥は毎年、一月十五日(小正月)に行われ、粥に入れていたのは、
「米、粟、黍(きび)、稗(ひえ)、みの、胡麻、小豆」の穀物だったようです。
(これは昔の七種と言われています)


これを食すれば邪気を払えると考えられ「小野宮中行事」には、
弘仁主水式に既に記載されていたとされ、宇多天皇自らが寛平年間に、
民間の風習を取りいれて宮中に導入したとされています。


その後、春先(旧暦の、一月・二月の初旬)に採れる野菜を入れるようになったが、
種類は地方によって異なるようです。


現在の七種は、1362年頃に書かれた「河海抄(かかいしょう)」の、
「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハクベラ、仏の座、スズナ、スズシロ。これぞ七種」が、
初見とされているようです。


七草が店頭に出始めたのは、ここ十数年位前ではないでしょうか?
七草の値段はここ数年、100円ずつ位値上がりして販売されていますが、
体に優しい七草も庶民の懐には、ちょっと手厳しいと言えるかもしれません。
・・が、伝統行事を残す意味に於いては高くても仕方がないのかもしれません。


そんな時、冬場の運動不足解消と新春の新しい発見を求めて、
野草辞典を片手に、春の七草探しに野原に出かけてみませんか?
きっと、素敵な発見が出来るかもしれません。


日本では、暦の上で沢山の行事が生きています。
私達の先祖が子孫を思い私達に大切に伝えて来たように、
現代の私達もそのまた子孫に伝えていく義務と精神は、
きっと、明日の日本を豊かにするものと信じ、
一日一日を豊かに大切に過ごしたいものです。


暦に彩られた沢山の行事を大切に過ごしたいものです。

疲れた体を優しい七草で労わってみてはいかがでしょう・・。

ありがとうございます。