縄文人の反乱 日本を大事に

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★卑弥呼   ★魏志「倭人伝」は無かった?!

2012年01月22日 20時45分37秒 | 色んな情報
★卑弥呼   ★魏志「倭人伝」は無かった?!
聖徳太子と同様謎の多い人物。
資料が少ないようで何とも言えない。
★卑弥呼 - Wikipedia http://bit.ly/yYmpap
卑弥呼(ひみこ、170年頃 - 248年頃)は、『魏志倭人伝』等の中国の史書に記されている倭国の王(女王)。
邪馬台国に都をおいていたとされる。
封号は親魏倭王。後継には親族の壹與が女王に即位したとされる。

「魏志倭人伝」によると、卑弥呼は邪馬台国に居住し(女王ノ都トスル所)、鬼道で衆を惑わしていたという(卑彌呼 事鬼道 能惑衆)。
この鬼道や惑の意味には諸説あり正確な内容は不明。
ただし中国の史書には、黎明期の中国道教のことを鬼道と記している例もある。

卑弥呼が死亡したときには、倭人は直径百余歩もある大きな塚を作り、百余人を殉葬したとされている(卑彌呼死去 卑彌呼以死 大作冢 徑百余歩)。


★(ぬひ)http://bit.ly/yeN2VT
律令制における、良民(自由民)に対する(自由のない民)の中の位置づけの一つであり、奴隷階級に相当する。奴は、男性の奴隷。婢は女性の奴隷を意味する。

は、一般的に職業の選択の自由、家族を持つ自由、居住の自由などが制限されており、一定の年齢に達したり、その他の条件で解放される場合もあった。
しかしながら基本的には家畜と同じ扱いであり、市場などで取引されていた。


★親魏倭王(しんぎわおう)http://bit.ly/yq742R
魏の皇帝・曹叡から邪馬台国の女王・卑弥呼に対して、西暦238年(239年説もある)に与えられたとされる封号のこと。『三国志』東夷伝倭人条(『魏志倭人伝』)に記述されている。

★台与(とよ) http://bit.ly/xk7y62
臺與(とよ、235年頃 - 没年不詳)
日本の弥生時代3世紀に『三国志 (歴史書)』、魏志倭人伝中の邪馬台国の女王卑弥呼の親族にして、卑弥呼の跡を継いだとされる女性・壹與のことである。
魏志倭人伝中では「壹與」であるが、後代の書である『梁書』『北史』では「臺與」と記述されている。
「台与」は「臺與」の代用。
豊国を支配拠点とした伝承がある。

臺與の表記・読みについては異説が多く詳細は後記。


★鬼道(きどう)http://bit.ly/A7oJgx
邪馬台国の女王卑弥呼が国の統治に用いたとされる。
『三国志』魏書東夷伝倭人条に記述がある。
鬼道が何であるかについては、諸説ある。


★魏志倭人伝(ぎしわじんでん)http://bit.ly/AgAxsD
中国の正史『三国志』中の「魏書」(全30巻)に書かれている東夷伝の倭人の条の略称であり、日本において一般に知られる通称である。江戸時代の漢学者の中で『三国志』という書名を用いず『魏志』『蜀志』『呉志』などと称する慣習があったため、この通称が用いられた。正式な名前は「『三国志』魏書東夷伝倭人条」である。全文で1988(又は2008)文字からなっている。

著者は西晋の陳寿で、3世紀末(280年-290年間)に書かれた。陳寿の死後、正史の扱いを受ける。現存する数種の版本のうち、「百衲本」が最も善本とされるが、現在の中国では諸本を校訂した「中華書局本」が多く通行しており日本語訳もこれを底本としている。


★封号(ほうごう)http://bit.ly/x1CTQf
授封ないし冊封に当たって授与する称号。
爵号(しゃくごう)とも。


★冊封(さくほう)http://bit.ly/yG3jZW
、称号・任命書・印章などの授受を媒介として「天子」と近隣の諸国・諸民族の長が取り結ぶ、名目的な君臣関係(宗属関係/「宗主国」と「朝貢国」の関係)をともなう外交関係の一種。
「天子」とは「天命を受けて自国一国のみならず近隣の諸国諸民族を支配・教化する使命を帯びた[要出典]君主」のこと。

★称号(しょうごう、Title)http://bit.ly/yBRreh
主に個人または団体の公的な身分や地位などを表す呼び名。


★朝貢(ちょうこう)http://bit.ly/wPdWyW
主に前近代の中国を中心とした貿易の形態。中国の皇帝に対して周辺国の君主が貢物を捧げ、これに対して皇帝側が恩賜を与えるという形式を持って成立する。
なお、周辺国が貢物を捧げることを進貢(しんこう)、皇帝がその貢物を受け入れることを入貢(にゅうこう)という。 朝貢それ自体には政治的な臣属という意味はなく、その点で冊封とは区別される。


★倭の五王(わのごおう)http://bit.ly/yv40DM
5世紀に、南朝の東晋や宋に朝貢して「倭国王」などに冊封された倭国の五人の王、すなわち讃、珍、済、興、武をいう。



★倭国(わこく)http://bit.ly/zrh7ui
古代の中国の諸王朝やその周辺諸国が、当時日本列島にあった政治勢力、国家を指して、なよなかな女性や人に委ねるという語義の漢字「倭」を用いた呼称。
漢字の朝鮮半島における百済や新羅に対応する語である。2世紀から7世紀まで、倭国と対外的に称している史料が散見されるが、倭国および倭国王の勢力範囲に関しては諸説ある。
7世紀後半に、対外的な国号を日本に改めている。なお、倭人については紀元前2世紀頃から『漢書』地理志などの史料に現れている。


★倭(わ、やまと、ワ、ヰ、ウェイ(中国南方音)、ゥオー(中国北方音))http://bit.ly/w1mifA
紀元前から中国各王朝が日本列島を中心とする地域およびその住人を指す際に用いた呼称。
1.紀元前後頃から7世紀末頃に国号を「日本」に変更するまで、日本列島の政治勢力も倭もしくは倭国(わこく)と自称した。倭の住人を倭人(わじん)という。和、俀とも記す。
2.奈良盆地(のちの大和国)の古名。倭人ないしヤマト王権自身による呼称。「大倭」とも記す。


★倭人(わじん)http://bit.ly/wYkN9y
中国の人々の名付けた日本人(日本列島住民)の古い呼称。種族名。韓(三韓)、濊などに対応する語。


★大和国(やまとのくに)http://bit.ly/zp0Bky
かつて日本に設けられた地方行政区分の国の一つである。
畿内に含まれ、延喜式での格は大国。領域は現在の奈良県にあたる。別称は和州(わしゅう)。

七世紀後半には「倭国」と表記された。藤原京出土の木簡に「□妻倭国所布評大□里」とある。
所布評(そふのこおり)は添評である。
大宝元年(701年)の大宝令で大倭国と書かれ、平城京跡唐出土した計帳の軸の木口に「大倭国志癸上群大神里」(やまとのくにしきのかみのこおりおおみわのさと)「和銅八年/計帳」と墨書した事例がある。
奈良時代の天平9年12月27日(ユリウス暦:738年1月21日)に大養徳と字を改め、同19年3月16日(747年4月29日)に「大倭国」に戻した。
「大和国」という表記が正式に決定されるのは天平勝宝9年8月18日(757年9月6日、天平宝字元年と改元)以後とされる。


★延喜式(えんぎしき)http://bit.ly/xCrfFQ
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)で、三代格式の一つである。

三代格式のうちほぼ完全な形で残っているのは延喜式だけであり、かつ細かな事柄まで規定されていることから、古代史の研究では重要な文献となっている。


★格式(きゃくしき)http://bit.ly/Aakt8i
1.「きゃくしき」と読み、律令制における法令の一種である。
2.「かくしき」と読み、対象の身分や社会的地位にもとづく等級、規範および作法。1.を語源とする。

格式(きゃくしき)とは、律令の補完のために出された法令あるいはそれらをまとめた法令集のことを指す。
格(きゃく)は律令の修正・補足のための法令(副法)を指し、式(しき/のり)は律令の施行細則を指した。


★三代格式(さんだいきゃくしき)http://bit.ly/zwjsCv
平安時代に編纂された弘仁格式、貞観格式、延喜格式の三つの格式(きゃくしき、律令の補助法令)の総称である。
なお、弘仁・貞観・延喜とは、それぞれの格式が編纂された年代の元号であるが、実際の完成には時間がかかっている。
弘仁格式は嵯峨天皇が藤原冬嗣に、貞観格式は清和天皇が藤原氏宗に、延喜格式は醍醐天皇が藤原時平に、それぞれ命じて編纂させたものである。



★律令(りつりょう)http://bit.ly/ywvtMG
東アジアでみられる法体系である。律は刑罰法令、令は律以外の法令(主に行政法)に相当する。

律令の基本思想は、儒家と法家の思想である。儒家の徳治主義に対して、法家は法律を万能とする法治主義である。
古代中国には、国家や社会秩序を維持する規範として、礼、楽、刑(法)、兵(軍事)があった。
儒家は礼・楽を、法家は刑・兵を重んじた。
刑の成文法として律が発達し、令はその補完的規範であった。次第に令の重要性が増して、律から独立し行政法的なものになった。


★卑弥呼 http://bit.ly/ynx0H5
卑弥呼は、魏志倭人伝に現れる邪馬台国の女王で、239年に魏に使者を送った。
卑弥呼は日本の古文献「古事記」、「日本書紀」の中から探すなら誰に当たるのか?


★邪馬台国発見 第四部:卑弥呼の生誕地 - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=ylloPKviRP8&feature=fvsr

★邪馬台国発見 第五部:女王卑弥呼 - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=jWJO60a16Xs&feature=related

★邪馬台国発見 第九部:卑弥呼の墓 - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=SFUeHNvsb1w

★猪群山は卑弥呼の墓だ!!!! - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=v39TepUWnkM&feature=related

★卑弥呼に関する史料   http://bit.ly/ziwDaj
出典は全て魏志倭人伝からです。
卑弥呼に関しては国内に記録がないため、これだけが頼りです。でも海を隔てた中国の歴史書なんで、どこまで正しいかはわかりません。
一説には方角が間違っていると言われています。
とりあえずそれは省きました。

★魏志「倭人伝」は無かった?! http://www.ten-f.com/yamataikoku.html
通称「魏志倭人伝」の書き出し部分。勿論、写本である。原本は散逸。
のっけから、何時か何処かで聞いた事があるような山っ気の多い見出しを立てたのは、奇をてらい読者の関心を惹こうとしただけで、別段深い理由があってのことではない。
ただ、まんざらウソでもないことは確か。何故なら、誰もが古代の日本を語るとき引き合いに出す中国の歴史書『魏志』には『倭人伝』という独立した「伝」など存在していないからである。

●日本の服装 日本の装束(しょうぞく) 日本の着物

2012年01月22日 14時19分52秒 | 色んな情報
●日本の服装 日本の装束(しょうぞく) 日本の着物
・おしゃべり人物伝 平清盛 燃えつきた男の伝説
http://www.youtube.com/watch?v=1Wj3cEsO_CY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=rIi709fdY0k&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=THBSywnBCD4&feature=related

を見て武士の服装はどうなってイタのか興味が湧いた。
服装とは言わなくて装束(しょうぞく)という。
改めて言葉が多い国であることを思い知った。


◆武士の装束  http://bit.ly/xx0tX5
装束(しょうぞく)とは単なる服装ではない。
それを身につけることに様式や格式といった特別な意味合いを伴う衣服である。
江戸時代は幕府の権威付けのために、武士の中にあっても官位や格式や身分が細かく規定されていた。
それらの差を一番はっきりと示すことができるのが「装束」であった。

◆歴史☆服装集  http://bit.ly/woF0my
ここでは、各時代の服装を載せています。

◆平安装束(へいあんしょうぞく)http://bit.ly/xLn48q
平安時代に確立された皇族・貴族の衣服。


◆白装束(しろしょうぞく)http://bit.ly/yvEVOp
広義では白い衣服のこと。また、全身白ずくめの服装のこと。
狭義では神事で神主、巫女、修験者などが身に着ける浴衣風の単衣の事。白衣(しらぎぬ/びゃくえ)とも呼ばれる。

元は平安時代において防寒用に綿などを詰めて袴などの下に用いた。
後に薄くなって各種装束に用いる肌着・下着としての役割を果たすようになった。

現在では巫女が襦袢の上に上着として着用している事で知られている。

・平安時代には天皇が神事を行う際に用いた帛の装束を初め、宮廷の男女が装束において重ね着をした際の白衣を広く「白装束」と呼んでいる。
・四国霊場を参拝するお遍路さんの服装は、基本は白装束であり、白衣(はくえ)と呼ばれる。
・死者に着せる衣装でもある。この場合には死(に)装束、経帷子(キョウカタビラ)と呼ばれる。白単衣の他、天冠(三角頭巾)、手甲、脚絆、頭陀袋(六文銭を入れる)などからなる。地方や宗派により差異がある。
・2003年、パナウェーブ研究所の構成員が全身白ずくめの服装をしていたことから、マスメディアが特異さを強調するために「白装束集団」などと呼んでいた。

◆能(のう)http://bit.ly/xXZset
鎌倉時代後期から室町時代初期に完成を見た、日本の舞台芸術の一種。重要無形文化財かつユネスコ無形文化遺産である「能楽」の一分野であり、江戸時代以前には猿楽の能と呼ばれていたものである。

◆蛮絵装束(ばんえしょうぞく)http://bit.ly/xIqLGC
雅楽の装束の一つ。「続教訓抄」「體源抄」に拠れば、興福寺で催された常楽会で喪服として着用され、やがて雅楽の装束として定着していったという。


◆女性神職装束(じょせいしんしょくしょうぞく)http://bit.ly/z0jUqs
戦後登場した女性神職のための装束である。神職ではない巫女・舞女の装束は含まれない。


◆神職(しんしょく)http://bit.ly/uskVUj
神道、神社において神に奉仕し祭儀や社務を行う者のことである。


◆巫女、または神子(みこ、ふじょ)http://bit.ly/wH5Tcf
主として日本の神に仕える女性のこと。舞姫(まいひめ)・御神子(みかんこ)と呼称される場合もある。


◆舞姫(まいひめ)http://bit.ly/xN2n6V
舞を舞う女性のこと。舞妓、踊り子など。また、一部の神社では巫女の呼称として用いられる。
神宮では「舞女」と書いて「まいひめ」と読む。


◆衣類(いるい)http://bit.ly/wuU3bI
風雨、日光、寒冷、乾燥といった気象条件から肉体を保護するため、人が身に纏うもの。この保護機能に加えて、人がその富や権力を誇示したり、一定の組織に属していること又はある思想信条を有していることを象徴する意味を持つ場合もある。衣装(いしょう)。 からだにまとうもの。着物。衣装。


◆死に装束(しにしょうぞく)http://bit.ly/ArZuE3
故人に対して施される衣装のことである。なお、古くは切腹する際の衣装(装束)も死に装束と称された。また、白を基調とすることから白装束(しろしょうぞく)とも称される。
なお、地域や宗派によって多少異なることがある。


◆采女装束(うねめしょうぞく)http://bit.ly/wM1SEL
全国の豪族から選抜されて天皇の給仕係などとして、上古の宮中に勤めた女官である采女の衣装。


◆采女(うねめ)http://bit.ly/AqQRdY
日本の朝廷において、天皇や皇后に近侍し、食事など、身の回りの雑事を専門に行う女官のこと。
平安時代以降は廃れ、特別な行事の時のみの官職となった。


◆女官(にょかん/にょうかん)http://bit.ly/xTu4tS
官職を持ち宮廷に仕える女性のこと。官女(かんじょ)、宮女(きゅうじょ)ともいう。日本の大奥の女中も女官に類型される。


◆常装束(つねしょうぞく)http://bit.ly/wx4K12
舞楽で最も普通に使われる衣装一式。正式には襲装束(かさねしょうぞく)と言う。


◆服装(ふくそう)http://bit.ly/yCH7KX
人間が着用する被服、および被服を着用した状態。
人類が地球上に出現した頃から、人間は服を着用する習性を持つ。被服がもつ働きは「装飾」、「慎みの表し」、「身体の顕示」、「身体の保護」である。
古代では怪我や温度変化から身体を守る目的であったが、現在では機能以上に動機の追求に目的が移行している。


◆鈴木 敬三(すずき けいぞう、大正2年(1913年)11月19日 - 平成4年(1992年)7月28日)は、日本の歴史学者。國學院大學名誉教授。http://bit.ly/w7LrPN

東京市浅草区神吉町(現在の台東区東上野)出身。専門は風俗史・有職故実学で、公家故実・武家故実両方に通じた。特に甲冑の研究で知られ、若くして『日本甲冑史』を著すが、東京大空襲によって原稿・図版が全て失われたのが惜しまれる。厳密な歴史考証によって古い時代の衣装を実際に再現・着用させることで、考証の正しさを実証しようとする手法は、その後の歴史学に大きな影響を与えた。

また、NHK大河ドラマ「草燃える」「徳川家康」「独眼竜政宗」「武田信玄」「太平記」などの考証もつとめた。78歳で没し、墓は谷中霊園にある。


◆菊綴(きくとじ)http://bit.ly/yb0Cki
水干・水干袴や鎧直垂・鎧直垂袴などの縫い合わせ箇所に付けられた総(ふさ)飾り。

通常の直垂は菊綴の飾り部分を総状にせず結び留めることから、「結び菊綴・菊綴結(きくとじむすび)」あるいは「もの字」と呼ぶが、これらも纏めて「菊綴」と呼ぶ場合が多い。

また、相撲の行司の直垂では、菊綴の総の色によって階級分けされている。


◆水干(すいかん)http://bit.ly/A7kIgD
男子の平安装束の一つ。
名称は糊を付けず水をつけて張った簡素な生地を用いるからとも、晴雨両用に便利なため(『続深窓秘抄』)ともいうが、いずれにせよ簡素な服飾であることからの命名のようである。


◆袴(はかま)http://bit.ly/Ag1SUa
和装において腰より下を覆うようにして着用する衣服の一種。着物の上から穿き、紐で結ぶ。弥生時代にその原型が成立し、近世期においては主に男子において用いられ、礼装とみなされてきた。

また、以上より転じて、ズボン状の男子の衣服(旧陸軍における「袴(こ)」)や下部を覆うもの、本体の外側にさらにつけるもの、などを比喩的に袴ということもある。神道における巫女や弓道の弓道衣、近代では女子大・高校通学着、現代での卒業式の礼服や成人式用の礼服などとして女子袴(+小袖、中振、振袖)は定番となっている。


◆「装束(しょうぞく)」 - Wikipedia http://bit.ly/wIcqFD
検索結果には他に1,182件でている。
和服 衣類 十二単 袿(うちき、うちぎ)などと呼ばれるものもある。
日本髪もこのくらい有るかな。
この日本という国はとてつもない国だということは言える。
楽しい国で有る。
モット勉強しないと。

◆往生(おうじょう)の関連 仏教用語

2012年01月22日 12時13分09秒 | 色んな情報
◆往生(おうじょう)の関連 仏教用語
今も生きている言葉は多い。

◆往生 - Wikipedia http://bit.ly/AA6acG
往生(おうじょう)とは、大乗仏教の中の成仏の方法論の一つである。
現実の仏である釈迦牟尼世尊のいない現在、いかに仏の指導を得て、成仏の保証を得るかと考えたところから希求された。
様々な浄土への往生があるが、一般的には阿弥陀仏の浄土とされている極楽への往生を言う。
これは極楽往生(ごくらくおうじょう)といわれ、往とは極楽浄土にゆく事、生とは、そこに化生(けしょう)する事で、浄土への化生は蓮華化生という。

化生とは生きものの生まれ方を胎生・卵生・湿生・化生と四種に分けた四生(ししょう)の中の一つ。
1.胎生 人間や獣のように母の胎(からだ)から生まれる事
2.卵生 鳥類のように卵から生まれる事
3.湿生 虫のように湿気の中から生まれるもの
4.化生 過去の業(ごう)の力で化成して生まれること。天人など
極楽浄土への往生は、そこに生まれる業の力で化生すると言う。蓮華化生とは極楽浄土の蓮華の中に化生するという意味。


◆大乗仏教(だいじょうぶっきょう、Mahāyāna Buddhism)http://bit.ly/zuZXMB
伝統的に、ユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の分派のひとつ。
自身の成仏を求めるにあたって、まず苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)を救いたいという心、つまり大乗の観点で限定された菩提心を起こすことを条件とし、この「利他行」の精神を大乗仏教と部派仏教とを区別する指標とする。


◆往生要集(おうじょうようしゅう)http://bit.ly/x3Zksk
比叡山中、横川(よかわ)の恵心院に隠遁していた源信[1]が、寛和元年(985年)に、浄土教の観点より、多くの仏教の経典や論書などから、極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書で、1部3巻からなる。

死後に極楽往生するには、一心に仏を想い念仏の行をあげる以外に方法はないと説き、浄土教の基礎を創る。
また、この書物で説かれた厭離穢土、欣求浄土の精神は貴族・庶民らにも普及し、後の文学思想にも大きな影響を与えた。

また、その末文によっても知られるように、本書が撰述された直後に、北宋台州の居士で周文徳という人物が、本書を持って天台山国清寺に至り、中国の僧俗多数の尊信を受け、会昌の廃仏以来、唐末五代の混乱によって散佚した教法を、中国の地で復活させる機縁となったことが特筆される。


◆成仏(じょうぶつ)http://bit.ly/zlvSUs
仏教用語で、悟りを開いて仏陀になることを指す。成仏への捉え方は宗派によって異なる。


◆仏陀(ブッダ、梵:बुद्ध buddha)http://bit.ly/ArkAHl
仏ともいい、悟りの最高の位「仏の悟り」を開いた人を指す。
buddha はサンスクリットで「目覚めた人」「体解した人」「悟った者」などの意味である。


◆阿弥陀如来(あみだにょらい)http://bit.ly/x74NCY
大乗仏教の如来の一つである。梵名は「アミターバ」(अमिताभ Amitābha[amitaabha])、あるいは「アミターユス」 (अमितायुस् [amitaayus])といい、それを「阿弥陀」と音写する。「阿弥陀仏」ともいい、また略して「弥陀仏」ともいう。


◆如来 (にょらい)http://bit.ly/xCOAJC
仏教で釈迦を指す名称(十号)のひとつ。あるいは、大乗仏教における諸仏の尊称。

元になったサンスクリット語のतथागत(tathāgata タタ-ガタ)は、「真如(tathā タタ-)から来るもの、真如へと去っていくもの」という意味である。これが漢訳されて如去如来や如来如去となり、さらに縮まって如来となった。音写である多陀阿伽陀(ただあがだ)も同じ意味である。


◆サンスクリット (梵: संस्कृत; saṃskṛta, Sanskrit) http://bit.ly/sfutpr
古代から中世にかけて、インド亜大陸や東南アジアにおいて用いられていた言語。

現在の母語話者は少ないが、インドでは憲法で認知された22の公用語の一つである。
宗教的な面から見ると、ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語であり、その権威は現在も大きい。

日本では、一般には言語であることを明示して「サンスクリット語」と呼ばれる。
また、古くは梵語(ぼんご、ブラフマンの言葉)とも呼ばれた。
なお、日本における仏教関連の辞典や書物では skt などと略称される。

◆真如(しんにょ、tathata、 bhUtatathatA भूततथता)http://bit.ly/z7FAEH
「あるがままであること」という意味があり、真理のことを指す。
金剛般若経 のサンスクリット本に出て、「真如性」と訳されている。
「真」とは真実、「如」とは如常の意味である。
諸法の体性虚妄を離れて真実であるから真といい、常住であり不変不改であるから如と言うとされる。
真如はまた、自性清浄心、仏性、法身、如来蔵、実相、法界、法性、円成実性と同体異名であるとされる。


◆極楽(ごくらく、Skt:sukhaavatii)http://bit.ly/x3cpfT
阿弥陀仏の浄土であり、サンスクリット語「スクヮーヴァティー」は「スクヮー」(sukhaa)に「ヴァト」(vat)を加えたもので「幸福のあるところ」「幸福にみちみちてあるところ」の意味。
須呵摩提(しゅかまだい)、蘇珂嚩帝(そかばってい)、須摩提(しゅまだい)、須摩題などと音表され、安楽、極楽、妙楽などと訳出された。

『阿弥陀経』には「衆苦あることなく、ただ諸楽を受くるが故に極楽と名づく」というが、梵蔵文では、衆苦を身心の諸々の苦といい、諸楽を楽の材料というから、極楽とは身心が共に苦を離れていて、幸福の材料だけがあるところの意味。


◆幸福(こうふく、英:Happiness)http://bit.ly/zpkxkE
心が満ち足りていること。幸せとも。


◆四生(ししよう)http://bit.ly/xROvPH
仏教における生物の分類方法で、その出生方法によって4つに分類したものである。
なお、胎卵湿化、卵胎湿化ともいうことがある。
   四生の分類
・胎生(たいしょう) 母親の胎内から出生するもの。
・卵生(らんしょう) 卵からふ化するもの。
・湿生(しっしょう) 湿気の中から出生するもの(虫など)。
・化生(けしょう)  胎生・卵生ではなく、業により忽然と出生するもの。


◆輪廻転生(りんねてんせい、りんねてんしょう)http://bit.ly/AsKpbg
1.輪廻のこと。
2.転生のこと。
3.1と2をあわせた言い方。
転生輪廻(てんしょうりんね)とも言い、死んであの世に還った霊魂(魂)が、この世に何度も生まれ変わってくることを言う。ヒンドゥー教や仏教などインド哲学・東洋思想において顕著だが、古代のエジプトやギリシャ(オルペウス教、ピタゴラス教団、プラトン)など世界の各地に見られる。
輪廻転生観が存在しないイスラム教においても、アラウィー派やドゥルーズ派等は輪廻転生の考え方を持つ。

「輪廻」と「転生」の二つの概念は重なるところも多く、「輪廻転生」の一語で語られる場合も多い。この世に帰ってくる形態の範囲の違いによって使い分けられることが多く、輪廻は動物などの形で転生する場合も含み(六道など)、転生の一語のみの用法は人間の形に限った輪廻転生(チベット仏教の化身ラマなど)を指すニュアンスで使われることが多いといえる。
また、キリスト教などにおける「復活」の概念は「一度限りの転生」と見なすことも出来よう。
ただし、復活の場合はより狭く、生前と同じ人格を保ったままの転生である。


◆業(ごう)http://bit.ly/xXklc3
仏教の基本的概念である梵: कर्मन् (karman) を意訳したもの。サンスクリットの動詞の「クリ」(kR)の現在分詞である「カルマット」(karmat)より転じカルマンとなった名詞で、「行為」を意味する。

業はその善悪に応じて果報を生じ、死によっても失われず、輪廻転生に伴って、アートマンに代々伝えられると考えられた。
アートマンを認めない無我の立場をとる思想では、心の流れ(心相続)に付随するものとされた。
中国、日本の思想にも影響を与える。「ウパニシャッド」にもその思想は現れ、のちに一種の運命論となった。


◆ブラフマン(ब्रह्मन् brahman)http://bit.ly/zlJmBl
ヒンドゥー教またはインド哲学における宇宙の根本原理。自己の中心であるアートマンは、ブラフマンと同一(等価)であるとされる(梵我一如)。


◆アートマン(आत्मन् Ātman)http://bit.ly/A1K8sH
ヴェーダの宗教で使われる用語で、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。真我とも訳される。


◆梵我一如(ぼんがいちにょ)http://bit.ly/wDjNAQ
梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。
古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる。
不二一元論ともいう。

◆ヴェーダ(梵: वेद 、Veda)
紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけてインドで編纂された一連の宗教文書の総称。
「ヴェーダ」とは、元々「知識」の意である。

バラモン教の聖典で、バラモン教を起源として後世成立したいわゆるヴェーダの宗教群にも多大な影響を与えている。
長い時間をかけて口述や議論を受けて来たものが、後世になって書き留められ、記録されたものである。

「ヴェーダ詠唱の伝統」は、ユネスコ無形文化遺産保護条約の発効以前の2003年に「傑作の宣言」がなされ「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に掲載され、世界無形遺産に登録されることが事実上確定していたが、2009年9月の第1回登録で正式に登録された。


◆ヴェーダの宗教 (Vedic Religions) http://bit.ly/yB9Zgd
古代インドの聖典であるヴェーダ群を起源とする宗教(単一神教)で、英国人の名づけたバラモン教(Brahmanism、ブラフミンの宗教)がこれである。


◆バラモン教(婆羅門教、ブラフマン教、Brahmanism)http://bit.ly/w4GzIO
古代インドの民族宗教を指す。ヴェーダなどの聖典を持つ。

◆バラモン http://bit.ly/xyudDN
インドのカースト制度の頂点に位置するバラモン教やヒンドゥー教の司祭階級の総称。
サンスクリット原語のブラーフマナ (braahmaNa ब्राह्मण)が漢字に音写された婆羅門を片仮名書きしたものであり、正確なサンスクリット語形ではない。
ブラーフマナとは古代インド哲学で宇宙の根本原理を指すブラフマンから派生した形容詞転じて名詞。つまり「ブラフマンに属する(階級)」の意味である。ブラフミン( Brahmin )ともいう。


◆民族宗教(みんぞくしゅうきょう)http://bit.ly/xVJaSF
一部の民族の範囲内で伝播し、広まっていく宗教。民間信仰とは異なる。

◆往生(おうじょう)

2012年01月22日 12時10分39秒 | 色んな情報
◆往生(おうじょう)
往生はいろんな場面に使う。
説明出来無い「往生こいた」「往生した」こんな事。
何となく解って使っているのだろうけど自分では説明できない。
こんな言葉は他にも沢山有る。
日本語とはこういうものだと最近では理解している。
言葉の数 その使い方 外国から見たら理解出来ないはず。
英語で否定のノーを肯定の意味に使っている。
英語が出来無いのでニコニコで字幕入りの映画をよく見る。
見ていて最近何となく判って来たこと。
その場の雰囲気で理解しないと行けないことは多い。
立ち往生  立ったままの姿勢で死ぬことで「弁慶の立ち往生」くらいしか使わない。
「吹雪で汽車が立ち往生する」「壇上で立ち往生する」コレなどの使い方はよく使う。

諦め付かない時よく往生際が悪くなる。
大往生することもシバシバ。
仏教用語が生活には沢山生きている。
コレもそのひとつである。


◆大往生(だいおうじょう)大辞泉
[名](スル)少しの苦しみもなく安らかに死ぬこと。また、りっぱな死に方であること。
「大往生を遂げる」

◆おう‐じょう〔ワウジヤウ〕【往生】 大辞泉
[名](スル)
1.仏語。現世を去って仏の浄土に生まれること。特に、極楽浄土に往(い)って生まれ変わること。
2.死ぬこと。「大―を遂げる」
3.あきらめて、行動などをやめ、おとなしくすること。「もう観念して、往生しろよ」
4.どうにもしようがなく、困り果てること。閉口。「自転車がパンクして往生した」
5.「圧状(おうじょう)2」に同じ。「無理往生」

◆おうじょう‐ぎわ〔ワウジヤウぎは〕【往生際】 大辞泉
1.死に際。
2.ついにあきらめなければならなくなった時の態度や決断力。「往生際が悪い」

◆おう‐じょう〔アフジヤウ〕【▽圧状】 大辞泉
1.脅しつけて強制的に書かせた文書。
  「乞素(こっそ)―と申して政道にも用ひず」〈盛衰記・二三〉
2.無理に押しつけて同意させること。当て字で「往生」とも書く。→往生(おうじょう)尽(ず)くめ

した

◆生と死  ◆生命  ◆命  へのコメント

2012年01月22日 10時18分14秒 | 色んな情報
◆生と死  ◆生命  ◆命  へのコメント
GRAZIEさんからのコメントで
◆生と死  ◆生命  ◆命を読んでさらに調べて考えてみました。
生と死は志葉楽さんのおっしゃる通り精神的世界みたいです。
エロスとタナトス、リビドーとデストルドー。
一度、調べてみるといいと思います。
私には理解できるようで難しい話でしたが
私の中ではこのお話には答えが出ないものだと感じました。
ただいろいろ考えてみて生きているうちは苦しくても楽しく生きていけるようにしたいという気持ちになりました。


私は二十歳の頃に色んな物にのめり込む自分を発見した。
ソレが為に精神病院へ何度も通い自殺までした。
それから余り深く考えないようにしてきた。
精神的世界は難しい。
高に何となくの捉え方をいつもしている。

エロス〈生の本能〉とタナトス〈死の本能〉とは初めて知った。
何となくエロスは淫靡なものと捉えていたために この年代のものは何かに覆われているように教育されてきた。
だから何時も遠回りして生きてきた。
ソレがペターだと思い込んで。

GRAZIEさんの言うように理解できないなりに大まかな事だけは知っておかないといけないと感じた。

生きる糧には通じる問題。
理屈 理論は専門化の仕事。
デモソレをし過ぎて勝手に独り歩きしている部分はある。

今の政権をになっている人たちで自分勝手な理論を作り出し「恥」を忘れてしまっている。
人として生きる最低限の理屈も通らない世の中。
自分の間違いなどに気がついているのか周囲から責められれば勘付くはず。
それに対してうそぶく態度を何時も続けている。

嘘も何万回も言い続ければ真実に成ると。
私も含め色んな分野でソレはなされて来た。
洗脳というもので。
ブロバガンだとも言う。
生活の隅々迄 それは入り込んでいる。

外から帰ったら石鹸もしくはハンドソープで手洗いをする。
水洗いでも十分な時は結構多いのではなかろうか。

朝は朝シャンして綺麗にして出かける。
これはバリヤーという動物に備わった防衛手段を取り除いて裸で外気と接触することに成る。

ソレ以上の部分には専門化が敷いた難しいというバリヤーで防衛して。
一般庶民は決して足を踏み入れられ無い分野。

でも今回の指摘は今まで以上に私には思えた。

人は動物は本能の中に素晴らしく大きな力を持ち蓄えていることを。



●エロスとタナトス http://bit.ly/w7Wa5X
フロイトは、本能としての生と死が存在していると言った。これを彼は、エロス〈生の本能〉とタナトス〈死の本能〉と呼んだ。
フロイトの攻撃性を語るのに、この2つの本能を説明しなければならない。生の本能と死の本能は、一緒になって融合している。
この2つの本能は、生物の同化作用と異化作用のように全く別種のものである。

●リビドーとデストルドー http://bit.ly/xMmXEm
今日のテーマ「リビドーとデストルドー」
リビドー、デストルドーというのはフロイトの説いた精神分析論です。
難しいことを書いても分かりにくくなるだけですので、簡単に説明させて頂きます。
まず、リビドーとは、自分の生きることの欲望です。生きたいと願う本能的な部分のことです。
デストルドーはその逆で死の願望ということになります。
そしてリビドーとデストルドーは人が必ず持っている本能だと言われています。

●リビドーとデストルドー | OKWave http://okwave.jp/qa/q2462557.html

●リビドー - Wikipedia  http://bit.ly/wB5iM3
リビドー(羅: Libido)とは、日常的には性的欲望または性衝動と同義に用いられる。これはジークムント・フロイトが「性的衝動を発動させる力」とする解釈を当時心理学で使用されていた用語Libidoにあてた[1]ことを継承したものである。一方で、カール・グスタフ・ユングは、すべての本能のエネルギーのことをLibidoとした。

対義語はデストルドーと誤認されることもあるが、これはフロイト晩年の『快楽原則の彼岸』における「タナトス(死の欲動)」(独: Todestrieb)の言い換えであって、正確な対義語ではない。フロイト自身はしばしば性的欲動の対義語として、死の欲動または攻撃欲動という言葉を使っている。ただし、1920年以前においては、リビドーは対象に向けられる欲動を指しており、その正反対の力として自我欲動を想定していたようである。これは「愛と飢え」という、古来からいわれる詩人の言葉によってしばしば表される。

●デストルドー - Wikipedia http://bit.ly/wnkn2E
デストルドー(英語: Destrudoまたは英語: Death drive、ドイツ語: Todestrieb)とは、ジークムント・フロイトの提唱した精神分析学用語で、死へ向かおうとする欲動のこと。
タナトス(英語: Tanatos、英語: Thanatos)もほぼ同義で、死の神であるタナトスの神話に由来する。


●フロイト・セミナー中級篇    http://bit.ly/yD96k4
第1回 『夢判断』にみる退行の理論 http://bit.ly/yIJeqX
第2回 欲動理論における愛と憎しみ http://bit.ly/xk4uMN
第3回 メランコリーと同一視    http://bit.ly/AAuAjg
第4回 超自我と罪悪感       http://bit.ly/A5WM2D
第5回 死の欲動と涅槃原則     http://bit.ly/yRtmB7
第6回 不安と防衛         http://bit.ly/zMFd0g