●随神(かんながら)
★かむながら 【〈随神〉】
(副)
〔「な」は格助詞「の」に同じ、「から」は本性・性格を意味する語〕
(1)神でいらっしゃるままに。神として。かんながら。
「やすみしし我が大君―神さびせすと/万葉 38」
(2)〔神の御心のまま人為を加えないことから〕神慮のまま。かんながら。
「葦原の瑞穂の国は―言挙げせぬ国/万葉 3253」
・・・・・・・・・・
・かんながら 【〈随神〉/〈惟神〉】
(副)
⇒かむながら(随神)
★随神
読み方:カムナガラ
神でおありになるまま
★かむながら 【随神・惟神】 世界宗教用語大事典
カンナガラとも。日本で、〈神として〉〈神の御心のまま〉の意。ナは格助詞のノに同じ、カラは本性のこと。→ 神習
★
★随身(ずいじん、ずいしん)http://p.tl/cJvq
平安時代以降、貴族の外出時に警護のために随従した近衛府の官人のことである。
また、日本の神道において、神を守る者として安置される随身姿の像のことも「随身」といい、この場合は随神とも書かれる。
門守神(かどもりのかみ)、看督長(かどのおさ)、矢大神・左大神とも言う。
なお、神社の門のうち、門の左右に随身(随神)を安置した門のことを「随身門」と呼ぶことがある。
★
★矢大臣(やだいじん)http://p.tl/T1Rv
神社の随身門の左右に安置されている、随身の装束をした2神像のうち、向かって左方の弓矢をもっている神像。
神社の門守(かどもり)の神である。 闕腋袍を着て、巻纓の冠をかむり、緌をし、剣を佩き、弓箭を帯する。 箭を負うことから矢大臣といい、随身門を矢大臣門ということがある。 しかし大臣ではなく、看督長(かどのおさ)である随身である。
天石門別神をいうとも、天孫降臨のとき天忍日命および天久米命が、天石靭をとり、頭椎の太刀を佩き、天波十弓をとりもち、天真児矢をたばさみ、先に立ったさまをうつしたともいう。
★
★袍(ほう)(闕腋袍から転送)http://p.tl/vviS
日本や中国などで用いられる上衣である。日本においては、朝服の上衣のひとつ。
闕腋袍(けってきのほう)と縫腋袍(ほうえきのほう)がある。
★
★朝服(ちょうふく)http://p.tl/yBaQ
飛鳥時代から平安時代にかけて、官人が朝廷に出仕するときに着用した衣服である。
上衣である袍には脇の縫われた文官用の縫腋袍と、袖付けから下が縫い合わさせておらず、脇が開いている武官用の闕腋袍とがあった。
唐の服飾に影響されて制定されたが、制定されてからしばらくの間は、唐風の見栄えであったと想像されている。後に国風文化の影響を受けて束帯や衣冠・直衣などに変化していった。 なお唐においては日本の朝服に相当するものを「常服」と呼んだ。唐の「朝服」は裳をともなう日本の「礼服」に相当する衣服である。
★
★国風文化(こくふうぶんか)http://p.tl/LHbW
日本の歴史的文化の一つである。10世紀の初め頃から11世紀の摂関政治期を中心とする文化であり、12世紀の院政期文化にも広く影響を与えた。
★
★
★天石門別神(あまのいわとわけのかみ)http://p.tl/tqgW 日本神話に登場する神である。
『古事記』の天孫降臨の段に登場する。邇邇芸命が天降る際、三種の神器に常世思金神・天力男神・天石門別神を添えたと記され、同段で天石戸別神は又の名を櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、豊石窓神(とよいわまどのかみ)といい、御門の神であると記されている。天孫降臨の段に登場する神の多くはその前の岩戸隠れの段にも登場しているが、この神は岩戸隠れの段には見えない。
天石門別神は古来より天皇の宮殿の四方の門に祀られていた神である。天太玉神の子ともいう。
天石門別神(櫛石窓神・豊石窓神)を祀る神社に天岩門別神社(岡山県美作市)、櫛石窓神社(兵庫県篠山市)、大祭天石門彦神社(島根県浜田市)、天石立神社(奈良県奈良市)などがある。
★
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★天孫降臨(てんそんこうりん)http://p.tl/Im6W
天照大神の孫である瓊瓊杵尊(邇邇藝命・ににぎ)が、葦原中国平定を受けて、葦原中国の統治のために降臨したという日本神話の説話である。
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★葦原中国平定(あしはらのなかつくにへいてい)http://p.tl/1VFs
日本神話において、天津神が国津神から葦原中国の国譲りを受ける説話。国譲り(くにゆずり)ともいう。
★かむながら 【〈随神〉】
(副)
〔「な」は格助詞「の」に同じ、「から」は本性・性格を意味する語〕
(1)神でいらっしゃるままに。神として。かんながら。
「やすみしし我が大君―神さびせすと/万葉 38」
(2)〔神の御心のまま人為を加えないことから〕神慮のまま。かんながら。
「葦原の瑞穂の国は―言挙げせぬ国/万葉 3253」
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・かんながら 【〈随神〉/〈惟神〉】
(副)
⇒かむながら(随神)
★随神
読み方:カムナガラ
神でおありになるまま
★かむながら 【随神・惟神】 世界宗教用語大事典
カンナガラとも。日本で、〈神として〉〈神の御心のまま〉の意。ナは格助詞のノに同じ、カラは本性のこと。→ 神習
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★随身(ずいじん、ずいしん)http://p.tl/cJvq
平安時代以降、貴族の外出時に警護のために随従した近衛府の官人のことである。
また、日本の神道において、神を守る者として安置される随身姿の像のことも「随身」といい、この場合は随神とも書かれる。
門守神(かどもりのかみ)、看督長(かどのおさ)、矢大神・左大神とも言う。
なお、神社の門のうち、門の左右に随身(随神)を安置した門のことを「随身門」と呼ぶことがある。
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★矢大臣(やだいじん)http://p.tl/T1Rv
神社の随身門の左右に安置されている、随身の装束をした2神像のうち、向かって左方の弓矢をもっている神像。
神社の門守(かどもり)の神である。 闕腋袍を着て、巻纓の冠をかむり、緌をし、剣を佩き、弓箭を帯する。 箭を負うことから矢大臣といい、随身門を矢大臣門ということがある。 しかし大臣ではなく、看督長(かどのおさ)である随身である。
天石門別神をいうとも、天孫降臨のとき天忍日命および天久米命が、天石靭をとり、頭椎の太刀を佩き、天波十弓をとりもち、天真児矢をたばさみ、先に立ったさまをうつしたともいう。
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★袍(ほう)(闕腋袍から転送)http://p.tl/vviS
日本や中国などで用いられる上衣である。日本においては、朝服の上衣のひとつ。
闕腋袍(けってきのほう)と縫腋袍(ほうえきのほう)がある。
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★朝服(ちょうふく)http://p.tl/yBaQ
飛鳥時代から平安時代にかけて、官人が朝廷に出仕するときに着用した衣服である。
上衣である袍には脇の縫われた文官用の縫腋袍と、袖付けから下が縫い合わさせておらず、脇が開いている武官用の闕腋袍とがあった。
唐の服飾に影響されて制定されたが、制定されてからしばらくの間は、唐風の見栄えであったと想像されている。後に国風文化の影響を受けて束帯や衣冠・直衣などに変化していった。 なお唐においては日本の朝服に相当するものを「常服」と呼んだ。唐の「朝服」は裳をともなう日本の「礼服」に相当する衣服である。
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★国風文化(こくふうぶんか)http://p.tl/LHbW
日本の歴史的文化の一つである。10世紀の初め頃から11世紀の摂関政治期を中心とする文化であり、12世紀の院政期文化にも広く影響を与えた。
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★天石門別神(あまのいわとわけのかみ)http://p.tl/tqgW 日本神話に登場する神である。
『古事記』の天孫降臨の段に登場する。邇邇芸命が天降る際、三種の神器に常世思金神・天力男神・天石門別神を添えたと記され、同段で天石戸別神は又の名を櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、豊石窓神(とよいわまどのかみ)といい、御門の神であると記されている。天孫降臨の段に登場する神の多くはその前の岩戸隠れの段にも登場しているが、この神は岩戸隠れの段には見えない。
天石門別神は古来より天皇の宮殿の四方の門に祀られていた神である。天太玉神の子ともいう。
天石門別神(櫛石窓神・豊石窓神)を祀る神社に天岩門別神社(岡山県美作市)、櫛石窓神社(兵庫県篠山市)、大祭天石門彦神社(島根県浜田市)、天石立神社(奈良県奈良市)などがある。
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★天孫降臨(てんそんこうりん)http://p.tl/Im6W
天照大神の孫である瓊瓊杵尊(邇邇藝命・ににぎ)が、葦原中国平定を受けて、葦原中国の統治のために降臨したという日本神話の説話である。
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★葦原中国平定(あしはらのなかつくにへいてい)http://p.tl/1VFs
日本神話において、天津神が国津神から葦原中国の国譲りを受ける説話。国譲り(くにゆずり)ともいう。