縄文人の反乱 日本を大事に

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炭酸飲料でアレルギー

2013年06月17日 19時54分20秒 | 色んな情報
炭酸飲料でアレルギー

NAGAIpro


炭酸飲料は、二酸化炭素を含んでいるので、
... 飲むと二酸化炭素の血中濃度が上がる。


そして、この増えた二酸化炭素が副交感神経を刺激する。

炭酸飲料を飲むと何となくボーっとして眠くなる時があるが、
これは副交感神経が刺激されるから。


副交感神経の過緊張では、血流障害、低体温に加え、リンパ球が増加する。
リンパ球が必要以上に増加すると、免疫の過剰反応によって発症する病氣になりやすくなる。


具体的に挙げると・・・

・喘息
・アトピー
・花粉症

などの「アレルギー疾患」である。


アレルギーは、ハウスダストや動物の毛、花粉、食物中のたんぱく質など
特定のアレルゲンをリンパ球が抗原と誤認することで起きる免疫過剰による病氣だ。


そして、この「誤認」を起こさせていたのが、リンパ球が増え過ぎるという
「免疫過剰」である。


大人も飲まないに越したことはないが、子どもには炭酸飲料を飲ませすぎないように
するべきである。


昨今、アレルギーの幼少化が進んでいるため、軽視できない問題である。もっと見る

    「記者が汽車で帰社した」

2013年06月17日 19時54分20秒 | 色んな情報
    「記者が汽車で帰社した」
作成者: 京免 史朗さん
http://p.tl/EhbZ
「きしゃがきしゃできしゃした」
何のこっちゃ? 意味解ら(メ・ん・)?
「記者が汽車で帰社した」
なら 一発で判ります。映像まで浮かんできます。
漢字て本当に凄いです。
韓国はどうして感じを捨てたのでしょう。
...
ハングルは、李氏朝鮮の第4代国王。世宗大王が
『我が国の言葉は、中国と異なり(中国の)文字と互いに流通せず、従って愚かな民は言いたい事があっても終にその情を述べることが出来ない者が多く、予はこれを憐れに感じ、新しく28字を作成し、人々が習い易く、日々用いるのに便利にしたい。 』との思いで作ったのですが、愚民の為の物が、愚民を作ってしまう。
歴史は時として“喜劇”も作り出すようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
朝鮮日報日本語版より

「漢字を忘れて意思疎通ができなくなりかけている韓国社会」

【コラム】韓国の漢字教育が「失敗」した理由

 「パパ、『旅館』というのは女性だけしか泊まれない所なの?」(「旅」という字と「女」という字は共に「ヨ」と発音)
 「旅館ってなあに」という子どもの質問に、ある大学教授が「泊まる所」と答えたところ、子どもから返ってきた質問だ。次のように説明すれば、答えはもう 少し簡単だった。「旅人の『旅』に客舎という意味の『館』を使うことから、旅館とは旅行中に泊まる家のことだ」。子どもは漢字が分からず、ただハングルで 「ヨグァン」と書かれていたため、そもそも正しい答えを望むこと自体、最初から無理だったのだ。

「尹昶重(ユン・チャンジュン)元大統領府報道官を更迭する」との速報が流れたとき、ネット上では「更迭」という言葉が検索語の1位に浮上した。「ある地 位にある人を入れ替え(迭)、他の人に変える(更)」という更迭の意味を調べるためにアクセスが集中したわけだ。(中略)

 「漢字教育を強化してほしい」と主張する人々の大多数は「韓国の古典を解読できなくなった」「人格教育に問題が生じる」「北東アジアを中心とした時代に 移り変わっていく中で、隣の中国や日本との交流が困難になる」と心配する。全て間違いではないが、もっと大切な理由がある。漢字が分からないために、現在 われわれが使っている韓国語での意思疎通がうまくいかなくなってきているという点だ。

 「体罰禁止」の範囲は一体どこまでかという問題をめぐり、政府と一部の教育庁(教育委員会に相当)、現場である学校の解釈には、それぞれ開きがある。も し「体罰」の意味が「体に直接苦痛を与える罰」だということをもう少し多くの教師や生徒・児童たちが知っていれば、こうしたことにはならなかっただろう。 ある高齢の医者は「『妊婦』が陣痛を訴えている」という際の「陣痛(チントン)」と「痛みを和らげるために鎮痛剤を打つ」という際の「鎮痛(チントン)」 の区別ができない若い医者が増えている」と嘆いた。(中略)

 今では漢字が若い世代から忌み嫌われる対象となってしまった。厳格な祖父が古書を片手にむちで叱りつけながら孫たちを教えるという古いイメージから脱し ない限り「夢は恋愛人(発音が同じ『芸能人』の誤記)になること」というような誤った言葉が堂々とまかり通る社会になってしまうだろう。もっと見る

ロシアが「一線」を越えた 朝鮮半島への進出で開戦

2013年06月17日 17時40分53秒 | 色んな情報
ロシアが「一線」を越えた 朝鮮半島への進出で開戦
2013.6.16 08:30

日本会議地方議員連盟
日露戦争に至った背景を子供たちに伝えなければ、日露戦争さえも
侵略戦争と思っている子供もいるからです。

... ましてや韓国併合・シナ事変などの背景もほとんど歪曲されて伝え
られている子供たちが多い。

誇りある歴史を取り戻すことによって、日本人への誇りが高まり、
将来の日本への希望ももつはずです。きっといじめや自殺も減少す
ると思われます。

………

 昨年暮れ、北朝鮮が長距離ミサイルを発射、世界中から注目を浴
びた東倉里は朝鮮半島の北西の付け根、中国との国境である鴨緑江
河口に近い所に位置する。

 実は110年ほど前にも、この朝鮮半島北西部一帯に、世界中と
は言わなくとも東アジアの耳目が集まっていた。

 東倉里から30キロばかり北の鴨緑江河口の朝鮮半島側に竜岩浦
という所がある。小さな地図には載らないこの町が近代史に名を残
すことになるのは、日露戦争のひとつのきっかけとなったからだ。

 明治36(1903)年の5月上旬、韓国に駐在していた日本の
武官らから政府に、ロシアの動向に関するある情報が相次いで寄せ
られた。「竜岩浦を武力で占拠し、兵営工事を始めた」というもの
だった。後に森林開発を理由にしていることがわかる。

 これまでにも書いたが、ロシアは3年前の義和団事件で出兵した
軍隊を満州(現中国東北部)にとどめていた。その軍事力を背景に
、清国から租借した遼東半島の開発を着々と進めていた。その次の
狙いが朝鮮半島にあることは明らかだった。

 日本などの要求に対し、この年4月8日を撤兵期限と定めたもの
の、その日がくるとあっさりと破棄する。日本国民の間にはロシア
に対する嫌悪感が高まるばかりで「ロシア討つべし」との声が渦巻
いていた。

 それでも政府は4月21日、京都で開いた伊藤博文、山県有朋の
両元老、桂太郎首相、小村寿太郎外相の4者会談で、ロシアと「満
韓交換論」で交渉する方針を決めた。満州におけるロシアの権益に
日本が口を挟まない代わりに、朝鮮半島は日本に任せロシアは手を
出さないことで妥協する。何とか「話し合い」で解決しようという
姿勢だった。

国民感情はともかく、朝鮮半島をロシアの手に落ちないようにする
ことが、日本の安全保障にとって最重要だったのである。

 そんなときに飛び込んできたのが「竜岩浦占拠」の一報だった。
日本側から見れば、まさにロシアが越えてはならない「一線」を越
えたのだった。

 こんどは軍が動いた。陸軍参謀本部は休日返上で事態への意見書
を作成、5月12日、大山巌参謀総長から明治天皇への「上聞(じ
ょうぶん)書」の形で示された。

 「韓国にして彼の勢力下に置かるるに至らば、帝国の国防亦(ま
た)安全ならざるべし」と危機感を訴えたのである。軍内には「今
なら勝てる」という楽観論もあった。

 一方、政府は6月23日、明治天皇の臨席を仰いだ御前会議でロ
シアと本格的に交渉を始めることを決めるが、一向に進展しない。

 ロシア内部にもこの時期、朝鮮半島まで利権を伸ばすべきだとい
う強硬論と、満州にとどまってその権益を確保すべきだとの意見が
交錯し、国論がなかなか統一されなかったからだとされる。

 秋になってようやく小村とロシアの駐日本公使、ローゼンとの交
渉が本格化する。この中でロシア側は、朝鮮半島の北部に「中立地
帯」を設けようと提案する。一見建設的な妥協案に見えるが、日本
からみれば「北はよこせ」と言っているに等しかった。

 交渉はこの「中立地帯」の位置などをめぐり双方が何度も修正案
を出し合うが、ともに譲らない。この間、日本では著名なジャーナ
リストの黒岩涙香(るいこう)が主宰する『万朝報(よろずちょう
ほう)』紙が反戦論から主戦論に転じるなど、マスコミも早期開戦
論に傾いていった。

 翌明治37年1月12日、御前会議でロシア側に最後の回答を求
め、不満足なものであれば、軍事行動に移ることを決めた。そして
2月4日、ついに軍事行動と国交断絶を決めた。

正式な「宣戦布告」は2月10日となったが、日本軍はすでに8日
夜、陸軍が徹夜で朝鮮半島の仁川に上陸を敢行、さらに海軍は付近
にいたロシア艦船を攻撃した。

 日本の命運をかけたロシアとの戦争が火ぶたを切ったのである。
(皿木喜久)

『ジャパノフォビア(日本嫌いの日本人)』が日本を滅ぼす!

2013年06月17日 14時36分37秒 | 色んな情報
『ジャパノフォビア(日本嫌いの日本人)』が日本を滅ぼす!
作成者: 京免 史朗さん

500年後1000年後の世界の教科書に、やってもいない日本の蛮行が載ってもいいのですか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
知ってはならない歴史
  歴史の敗北者と国の衰滅

若狭和朋氏の著「日本人が知ってはならない歴史」の続編をご紹介しています。教育学博士若狭氏は、公立高校の教師を平成15年に退職後、現在は人間環境大学講師です。
「知ってはならない歴史」というのは、知られては困る歴史という意味である。私たち日本人に知られては困る歴史・史実とは何だろう。だれが困るのだろうか。

引用開始
 私は高校教師の時、世界史の授業は「大航海時代」から始めました。古代から始めるよりも、現代に関係事項の多いこの時代から始める方が便利だったからです。
 同類はいろいろあるようですが、ヨーロッパ人の冗談を紹介しました。
「イギリスを自慢しているやつはイギリス人だ。ドイツの悪口を言っているやつはフランス人だ。スペインの悪口を言っているやつはスペイン人に決まっている」
 この冗談の主役はスペイン人です。
 あのスペイン(イスパニア)大帝国はなぜ衰弱・没落したのか。
 それは、スペイン人が自国を悪く言うようになったからです。悪く言う、つまり自国を悪く考えるようになってからイスパニア大帝国は衰滅に至りました。
 誰がスペインを悪く言ったのでしょうか。
 イギリスやオランダです。この両国はスペインの後輩国です。イギリスやオランダが植民地でいかに酷いことをしたかは、今では広く知られています。殺されたアメリカ原住民やインドネシア人のその数を知る人はいません。

 同じことをスペインもやった「だけ」です。しかし、スペインは敗けました。悪口合戦に敗けたスペインは、歴史の敗北者になり果てました。つまりスペイン人たちはスペインの歴史に自信が持てなくなっていったのです。悪逆非道の国・虐殺の国・異端虐殺の国・暗黒の帝国・狂言の支配する国・・・無数の悪口がスペインに浴びせられました。
 プロパガンダ(宣伝)合戦に敗北したスペイン人は、国民的に元気を失い歴史の敗北者にさせられました。自信を喪失し自己嫌悪に苦しみ、自虐に親しみ、寂しく自国を嘲笑する国民には衰滅しか道はありません。

 スペイン衰滅に大きな力を発揮した一冊のパンフレットがあります。司教のバルトロス・デ・ラス・カロスの書いた『インディアスの破壊について簡素な報告』というのがそれです。岩波文庫にもあります。こんな調子です。
「・・・彼ら(スペイン人)は村々に押し入り・・・老いも若きも身重の女もことごとく捕え・・・引き裂きずたずたにした」
「彼らは誰が一太刀で身体を真っ二つに斬れるとか、誰が一撃のもとで首を斬り落とせるかとか賭けをした」
「ようやく足が地に着く程度の絞首台をつくり、十三人ずつ吊るし・・・生きたまま火をつけた・・・」
 念のために言い添えますが、これは例の「南京大虐殺」の一節ではありません。このカロスのパンフレットは、敵に徹底的に利用されました。空想で描いた残虐な場面の銅版画とともに流布されました。この銅版画は日本の高校生の持たされる教科書・参考書にも載せられています。
 イギリスが大英帝国として興隆していく過程で、スペイン帝国が衰滅していきました。科学技術や人文地理的分野からの考察はむろん必要ですが、国民国家の発展・衰滅の土台にはエトス(国民精神)の盛衰が基盤なのです。

 スペイン帝国の衰滅は、スペイン人のイスパノフォビア(スペイン嫌悪)とともに進行しました。日本人のジパノフォビア(日本嫌い・仮称)は相当に深刻ですが、大丈夫でしょうか。スペイン帝国の衰滅の原因はスペイン人のイスパノフォビアであり、1588年の「無敵艦隊」の敗北ではありません。一敗地にまみれても、国民に元気(正気)が健在なら、一会戦(海戦)の敗北で国が滅びたりはしません。・・・・・
 自国は犯罪国家だとの自意識が精神の基盤(エトス)に組み入れられると、その国は衰弱し、やがては滅亡します。イスパノフォビアを日本人は真剣に教訓としなければなりません。インカ帝国を滅ぼし、インディオを虐殺し尽くしたのがスペインだとのイスパノフォビアは、今でも公然と語られています。
 それに反して、イギリス人はオーストラリアの原住民を殺し尽くしたではないかとは言われません。アメリカ人による原住民虐殺も語られません。ユーラシア大陸内部についても同様です。シベリアの住民はどこに消えたのでしょうか。満州族も消えようとしています。チベットの運命はどうなるのでしょうか。

 イスパノフォビアの古典が、あの『インディアスの破壊についての簡素な報告』です。ジパノフォビアを植え付けるべく、日本の教科書は盛大に日本の悪口を書きまくっています。「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」のウソ宣伝は、中国の遠大な国家戦略なのです。これはナショナル・アイデンティティ・ウォーという戦争なのです。
 スペインを衰滅させたのは誰か。この設問の答は、イギリスを興隆させたのは誰かという回答と一致せざるを得ないようです。イギリス(と象徴的に言います)を興隆させたのはユダヤ人たちです。スペインはユダヤ人を迫害し、追放してしまいました。ユダヤ社会の金融・通商・信用・決済・産業技術は「産業革命」を支えるものでした。

 フランスはフランス革命などで、ユダヤ人社会をかなり解放してきました。東・中ヨーロッパはそうはいきませんでした。
 ルソーという思想家を日本人の多数は誤解しています。ユダヤ人のルソーは、迫害される自分たちを解放する思想・思考回路を創造したのです。「自然に帰れ」という彼の言葉は有名ですが、歴史・民族・伝統・文化・習俗を捨てろというのが、この言葉の意味です。つまり伝統・文化の束縛のない社会に帰れということです。なぜなら伝統・文化・国民性こそが、ユダヤ人迫害の元凶とルソーは考えたからです。・・・・
 学校教科書にこれほどルソーを登場させる国は日本くらいだと思います。彼は人間解放の名の中にユダヤ人のそれを見たのです。次のマルクスにしても同じなのです。
 マルクスは周知のようにユダヤ人ですが、イギリスに亡命してからはユダヤ社会のスポンサーに支えられてユダヤ解放の理論構築に精進したのでした。スポンサーの一人の名はレィビーと言います。大富豪です。
                       引用終わり