縄文人の反乱 日本を大事に

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●『三行半(みくだりはん)』

2014年07月20日 20時57分35秒 | 色んな情報

●『三行半(みくだりはん)』
◆『三行半(みくだりはん)』の意味 http://urx.nu/aisq
 
◆三行半の話  http://urx.nu/aisA
 
◆三行半(みくだりはん) - 日本語俗語辞書
三行半とは、夫婦や恋人の関係を絶つこと。
【年代】 江戸時代~   【種類】 -
『三行半・三下り半』の解説
三行半とは夫婦の縁を絶つという意味で使われるが、もともとは離縁の際、夫が妻の家族に出した離別状のことである。この離別状には離婚を決めたという宣言と、妻の再婚許可が3行半にまとめられていたことから三行半と呼ばれた。夫婦連名による離婚届になってからも、離婚することを意味して三行半という言葉だけが残った。なお、三行半といった場合、どちらか一方が愛想をつかすなど一方的な離縁に使われる。後に恋人関係でも使われるようになり、離縁まではしなくても、愛想をつかしたという意思表示程度でも「三行半をつきつけた」といわれるようになる。
 
◆離縁状(りえんじょう)http://urx.nu/aitt
江戸時代に庶民が離婚する際、妻から夫、夫から妻(または 妻の父兄)に宛てて交付する、離婚を確認 ... 長さの線を1本書くことにより離縁状と同等 の取扱がされていたため、庶民の間では三行半(みくだりはん)という呼称が広まった。
現代の離婚届が夫婦連名で国に対して行う確認的届出の文書であるのと異なり、離縁状は夫の単独行為である離縁を証する文書である。

女性の労働力によって支えられている養蚕や製糸・織物業が主体となっている地域では離婚後も女性の収入源が確保されているため、離縁状は養蚕地帯において多く残されていることが指摘されている。
 
◆三行半 【みくだりはん】
江戸時代において,離婚に際して,夫から妻へ交付される離縁状。3行半に書く慣習が江戸中期以降一般的となったために,この呼称が生じた。なお,離縁状の交付を必要とするのは,庶民のみであり,武士階級は届け出をもって足りるから,これは庶民法上の慣行である。
 
◆世界大百科事典内の三行半の言及.
【離縁状】より
 〈勝手ニ付〉は離縁状の代表的離婚事由であり,離婚に至ったのは夫のつごうによったこと,いいかえれば妻の所為(責任)ではないことを表示している。離縁状は離別状,去状(さりじよう),暇(いとま)状,隙(ひま)状などといい,また3行半に書かれることが多かったので三行半(みくだりはん)と俗称されたのである。【高木 侃】。
 
◆日本史の「言葉」11 三行半(みくだりはん)http://urx.nu/aiu6
時代劇などで、夫が妻に向けて、この「三行半(みくだりはん)」を
突きつけるシーンを見たなら、まあ大抵は、この時代の離婚は
夫の一存・自由裁量で決めてしまえたものと、受け止めたくなる
ところでしょう。

ところが、必ずしも実態はそうでなく、夫婦どちらかが一方的な
不利益を背負うことのないよう、先人達もそれなりの配慮の上で、
結構慎重に扱っていた様子が窺えます。

さて、離婚の際に夫婦相互間で交わすこの書面を、現在では
そのものズバリの名称「離婚届」と呼んでいますが、
江戸時代の庶民は、多少の余裕としゃれっ気を感じさせる
「三行半」との俗称を使っていました。

これは、離婚の内容を一般的に三行半の文言に納めたことから
このように呼ばれたとされていますが、実際には必ずしも
三行半の形式にこだわっていなかったようです。

ちなみに、武士の場合は、案の定、堅苦しくしゃちほこばって、
離縁(りえん)状・去(さり)状・暇(いとま)状と呼んでいました。

いずれにせよ、この三行半は正規の手続きをもってその離婚を
成立させましたが、一方でこの後の妻の自由な再婚を認める
「証明書」、つまり「再婚許可証」?の性格も備えていましたから、
案外これを待ち望んでいた妻も少なくなかったかもしれません。

その上に、時代劇ドラマのように、夫側が一方的に三行半を
突きつけるなどの理不尽があった場合には、妻側を守るために、
一種のペナルティ(現在でいう「慰謝料」)が科されることも
あったようです。
・・・・では、
~この時代の女性は夫に抑えられ家に縛られ自由もなかった~
この幻想的な解釈はどこから降って湧いたものなのか?

それは、この日本にその昔からある「判官びいき」の心情に違い
なく、つまりは弱者・敗者である夫に対して、せめてお話の中だけ
でも威勢の良い思いをさせてやろうする深い同情心が創り出した
バーチャル・リアリティに過ぎない・・・ということなのかも?

~あゝ、(昔も今も)弱き者よ、汝の名は夫~


●土用

2014年07月20日 13時31分45秒 | 色んな情報

●土用
◆ど よう 【土用】
① 〔陰陽五行説で,春・夏・秋・冬をそれぞれ木・火・金・水に配し,土を各季節の終わりの18日間に当てはめたことからいう〕 二十四節気中の立春・立夏・立秋・立冬の前の各18日間。
② 特に,夏の土用のこと。7月20日頃から立秋の前日までの一年中で最も暑い時期。 [季] 夏。
[句]土用布子に寒帷子
 
◆土用   歴史民俗用語辞典
読み方:ドヨウ
各季にあるが、一般的には夏の土用を指し、立秋の前18日間をいう。
 
◆どよう 【土用】 世界宗教用語大事典
立夏・立秋・立冬・立春のそれぞれ前一八日を春・夏・秋・冬の土用というが、ふつうは立秋前一八日の夏の土用をさす。社寺で行事があり、虫干しをする。土用の丑の日にウナギを食べると夏負けしないとの伝いがある。うどん・梅干し・牛馬の肉などウの字のつくものを食する風もあった。疫病除の神水を出す社もある。丑の湯(菖蒲やヨモギを入れる)もある。物忌の期間であった。
 
◆土用(どよう)ご贈答マナー
土用は、陰陽五行節の五行の内、「木」を春、「火」を夏、「金」を秋、「水」を冬と分けて、残った「土」を各々の季節の終わりに割り当てたもので、従って以下のように年4回の土用があります。通常「土用」と言われるのは下記の内、夏の土用を指して言います。期間の第1日目を土用の入りと言い、通常「土用の日」と言われるのはこの日を言います。土用はそれぞれ季節の変わり目にあることから、土用の期間中は特に健康に留意する必要を説いています。夏の土用前後の丑の日に、極暑を乗り切る体力を保持する目的で「土用の丑」と称して「うなぎ」を蒲焼きにして食べる習慣がありますが、現在では土用の日に食べるのが一般的です。

・春の土用 立夏の前の18(又は19)日間、4月18日(又は17日)縲5月5日(又は4日)
・夏の土用 立秋の前の18(又は19)日間、7月20日(又は19日)縲8月7日(又は6日)
・秋の土用 立冬の前の18(又は19)日間、10月21日(又は20日)縲11月7日(又は6日)
・冬の土用 立春の前の18(又は19)日間、1月18日(又は19日)縲2月3日(又は4日)
   ・・・・・・・・・・
土用(土用の丑)
土用(土用の丑)とは
 
元々は、立春・立夏・立秋・立冬の前18日間を土用として行事が行なわれていたが、現在では立秋(8月8日か9日)の前18日間(7月20日縲怐jの夏の土用だけが土用として残り、虫干しをする「土用虫干し」、丑の日(18日間内の丑の日)に暑気払いとして鰻(うなぎ)を食べる「土用の丑」の習しがある。
・ひとくちMEMO
土用の由来
中国の古い暦の太陰太陽暦の四季である二分(春分・秋分)と二至(夏至・冬至)を、中国の古い学説である五行説の木・火・土・金・水に当てはめた(春=木・夏=火・秋=金・冬=水)残りの土を、それぞれの四季の終わり(次の季節の始まりである立春・立夏・立秋・立冬の前)に18日間を設けて、春の土用・夏の土用・秋の土用・冬の土用とした
 
◆土用  季語・季題辞典
読み方:ドヨウ
各季の終わりの一八日間ずつ土が支配する日のこと
季節 夏
分類 時候
 
◆土用(どよう)http://urx.nu/ai5A
五行に由来する暦の雑節である。1年のうち不連続な4つの期間で、四立(立夏・立秋・立冬・立春)の直前約18日間ずつである。
 
俗には、夏の土用(立秋直前)を指すことが多く、夏の土用の丑の日には鰻を食べる習慣がある。
 
各土用の最初の日を土用の入り(どようのいり)と呼ぶ。最後の日は節分である。
 
◆土用(どよう)
1.五行思想に基づく季節の分類の一つで、各季節の終り即ち立春、立夏、立秋及び立冬前の約18日間のこと。
2.特に、立秋前の夏のもの。
 土用波、土用の丑の日
・語源
 五行思想では、四季に各々、木、火、金、水を当てているが、残った土を季節の変わり目に当てたもの。


●ほうい

2014年07月20日 11時18分58秒 | 色んな情報

●ほうい
◆ほう い はうゐ【包囲】
( 名 ) スル
とりかこむこと。 「 -網」
   ・・・・・・・・・・
・ほう い はうゐ【方位】
① 地平面上のある点における方向が,基準の方向とどのような関係にあるかを表す語。一般に,東西南北の四方向を基準とし,順次八・十六・三十二方向に細分する。三十二方向の場合,北・北微東・北北東・北東微北・北東・北東微東・東北東・東微北・東の順に北微西・北と一巡する。羅針盤はこれによる。測地・天文など精密を必要とする場合は北15度東・南28度西のように表す。古くは,東西南北を基準とした一二方向に十二支を配した。北を子(ね),東を卯(う)とし,その間に丑(うし)・寅(とら)を配し,以下順次辰(たつ)・巳(み)・午(うま)(南)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)(西)・戌(いぬ)・亥(い)・子(ね)と一巡する。また,東西南北とその中間との八方向に周易による八卦(はつけ)を配し,坎(かん)(北)・艮(ごん)(うしとら・北東)・震(しん)(東)・巽(そん)(たつみ・南東)・離(り)(南)・坤(こん)(ひつじさる・南西)・兌(だ)(西)・乾(けん)(いぬい・北西)・坎(かん)と一巡する。
② 各方向に陰陽・五行・十干十二支・八卦などを配し,各方角によって吉凶があるという俗信。恵方(えほう)・金神(こんじん)・鬼門の類。現在も,家相の吉凶の判断などに用いる者がある。
   ・・・・・・・・・・
・ほう い 【布衣】
「 ほい(布衣) 」に同じ。 「 -の兵を殿上の小庭にめしおき/平家 1」
   ・・・・・・・・・・
・ほう い は【芳意】
相手を敬ってその心遣いをいう語。
   ・・・・・・・・・・
・ほう い 【宝位】
天子の位。皇位。宝祚(ほうそ)。
   ・・・・・・・・・・
・ほう い はうゐ【抱囲】
両手で抱えこむこと。また,その長さ。
   ・・・・・・・・・・
・ほう い 【法衣】
⇒ ほうえ(法衣)
   ・・・・・・・・・・
・ほう い ほふゐ【法位】
〘仏〙
① 存在のあるがままの姿。真理。
② 僧位。
   ・・・・・・・・・・
・ほう い ほふゐ【法威】
仏法の威力。
   ・・・・・・・・・・
・ほう い はふ-【法意】
法の趣旨。
「包囲」に似た言葉» 類語の一覧を見る廻る  囲う  裹む  巻く  包む
 
◆【包囲】(ほうい)  航空軍事用語辞典++ひ
envelopment
自軍の戦力を集結させつつ、敵戦力を分散させる事。
基本的には自軍をいったん分散させ、一つの敵部隊に対して2カ所以上から一斉に攻撃する事を指す。
そうする事によって敵は応戦のための戦線を2カ所以上作らなければならなくなり、火力が分散する。
反面、分散によって個々の部隊の戦力が低下するため、各個撃破される恐れがある。
 
◆方位    建築用語大辞典
【用  語】方位
【よみがな】ほうい
【意  味】
 建築図面は原則として上向きを北とするが、このル-ルに従わない時は図面に東西南北を明記しなければならない。これを方位という。
 
◆方位(ほうい) http://urx.nu/ahTS
ある地点における水平面内の方向を、基準となる一定の方向との関係で表した物。または、基準となるべき幾つかの方向に付けた名称である。方角(ほうがく)もほぼ同義である。
 
◆東洋の方位   http://urx.nu/ahU0
東洋(中国を中心とする東アジア)では、昔は十二支による以下の12方向の方位が用いられていた。それぞれの方位間隔は30°である。
 
◆東洋24方位  http://urx.nu/ahXN
東洋で伝統的な方位の表現で、方位を24分割したもの。名称は東洋12方位または東洋8方位に属するものはそれを使用し、足りない部分には十干のうち中央に割り当てられる土行のもの以外の名称を埋めていく。東洋12方位と東洋8方位の名前が重なる部分は12方位のものを使用するので八卦の内4個は使用しない。従って12+8?4+10?2=24でめでたくきれいに埋まる。なお下の図は東洋の伝統に従い南を上に書いている。西洋式とは上下が逆なので注意のこと。
 

 
◆方角 ‐ 通信用語の基礎知識  http://urx.nu/ahXZ
ある地点を基準とした、東西南北などで表わされる方向。「方位」(ほうい)とも。


●祇園祭

2014年07月20日 08時27分26秒 | 色んな情報

 

●祇園祭
祇園祭が初めて官祭として実施(970年 - 天禄元年6月14日)
 
◆官祭(かんさい)は、公祭(こうさい)とも呼ばれ、http://urx.nu/ahQI
国家行事としての位置づけがなされた神社の祭礼のこと。
元は神祇官の神名帳に記載され、祈年祭の班幣に預かる資格を有した官社が行う祈年祭のことを指した。また、官社のうち「大社」に分類された神社については、新嘗祭・相嘗祭・名神祭に対しても班幣が捧げられ、それらも官祭と位置づけられていた。班幣を捧げるのは神祇官あるいはその旨を受けた諸国の国司の役目であったが、平安時代中期以後に衰退し、二十二社などの例外を除いては行われなくなった。

 

明治維新後に官祭再興の動きがあり、明治4年5月14日(1871年7月1日)の太政官布告によって近代社格制度の基礎が作られるとともに四時祭の時には神祇官から官幣が出されることになった。2年後に定められた官幣諸社官祭式によって具体的な内容が整備された。

 

第二次世界大戦で日本が敗北すると、日本を占領した連合国軍最高司令部は昭和20年(1945年)12月15日に「神道指令」を出して神道と国家の分離を図った。これを受けて翌昭和21年(1946年)1月16日に官社・官祭を廃止する勅令と内務省令(内務省の省令)が出され、官祭としての形式は廃止された(祭礼自体の廃止ではない)。
 
◆祇園祭(ぎおんまつり)http://urx.nu/ahQN
京都市東山区の八坂神社(祇園社)の祭礼で、明治までは「祇園御霊会(御霊会)」と呼ばれた。貞観年間(9世紀)より続く。京都の夏の風物詩で、7月1日から1か月間にわたって行われる長い祭である。祭行事は八坂神社が主催するものと、山鉾町が主催するものに大別される。一般的には山鉾町が主催する行事が「祇園祭」と認識されることが多く、その中の山鉾行事だけが重要無形民俗文化財に指定されている。山鉾町が主催する諸行事の中でもハイライトとなる山鉾行事は、山鉾が設置される時期により前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)の二つに分けられる。山鉾行事は「宵山」(よいやま、前夜祭の意。前祭7月14日〜16日・後祭7月21〜23日)、「山鉾巡行」(前祭7月17日・後祭7月24日)が著名であり、八坂神社主催の行事は「神輿渡御」(7月17日神幸・7月24日還幸)などが著名である。
 
◆ぎ おんまつり 【祇園祭】
① 京都八坂神社の祭礼。もと陰暦6月7日から14日まで。現在は7月17日の山鉾巡行・神輿渡御を中心に,7月1日の吉符(きつぷ)入り(神事の打ち合わせ)からほぼ一か月行われる。 [季] 夏。
② 陰暦6月15日前後に,各地の八坂神社で行われる祭礼。祇園会。祇園御霊会。 [季] 夏。
 
◆ぎおんまつり 【祇園祭】世界宗教用語大事典
 → 八坂神社
 
◆祇園祭   季語・季題辞典
読み方:ギオンマツリ
京都市・八坂神社の祭礼で、京の三大祭の一つ
季節 夏
分類 宗教
月日 七月一~二十九日
 

 
◆『●葵祭り』 http://amba.to/1yJejJR
京都三大祭 葵祭 祇園祭 時代祭 <京都おこしやす.com> http://urx.nu/8kB3
京都では毎日どこかしこで祭事や神事が行われています。その中でも初夏5月の葵祭(あおいまつり)、盛夏7月の祇園祭(ぎおんまつり)、秋10月の時代祭(じだいまつり)は、“京都三大祭”と呼ばれ、毎年多くの方が全国から観覧に訪れます。
 
◆『●祇園囃子』 http://amba.to/1yJeHYE

 


■ 国際派日本人養成講座 ■■■■ きものの叡智 ~ 愛・美・礼・和

2014年07月20日 08時27分26秒 | 色んな情報

■ 国際派日本人養成講座 ■■■■ きものの叡智 ~ 愛・美・礼・和
きものに込められた我が先祖の叡智を知ろう
■1.法王ヨハネ・パウロ2世ときもの■
 1985(昭和60)年、バチカン市国のサン・ピエトロ寺院講堂
には、法王ヨハネ・パウロ2世に拝謁するために世界中から8
千人の人々が集まっていた。法王が姿を現すと、どよめきが起
こり、全員で厳かに祈りを捧げた。
 最前列の1番から100番までの席には、和服を着た日本人
の一行が座っていた。法王はそれらの人々に向けて、日本語で
こう挨拶した。
 日本の皆様、よくいらっしゃいました。世界を回って
日本の伝統的なきものと、きものの美しさを世界に紹介し
ておられる装道きもの文化使節団の皆様に、私も心からの
挨拶を贈ります。ありがとう。
 その後、法王はわざわざ壇上から下りて、使節団の団長・装
道きもの学院院長の山中典士氏の手をしっかりと握り、記念の
メダルとロザリオを贈った。山中氏は、こうお礼を述べた。
 法王様にまじかにお目にかかることができ、また日本語
で暖かいお励ましのお言葉をいただき、大変感激しており
ます。この感激を忘れずに、世界平和に役立ちたいと思い
ます。今日は法王様に日本の平和の象徴のきものをお贈り
しますので、ぜひお召しいただきたいと存じます。
 山中氏がきもの一式を献上し、羽織を広げると、法王はその
場で法衣の上から羽織られ、「ありがとう」と何度もお礼を述
べ、使節団一人ひとりの手を堅く握られた。この異例の光景に、
8千人の観衆は期せずしてどよめき、拍手が湧き上がった。
[1,p193]
■2.「こんなに美しい衣服が地上には存在するのですね」■
 昭和45(1970)年に第一回の「装道礼法きもの文化使節」を
香港・マカオに送って以来、毎年100名から150名の使節
団が海外に派遣されてきた。これまで訪問した国は100カ国
に達し、87都市で「きものパレード」、67会場で「装道講
演ときものショー」を行っている。参加者は出発から帰国まで、
きもので通す。
 使節団に参加した若い女性は、次のような感想を語っている。
 どんなに豪華なものを身につけても、ドレス姿では欧米
の女性には気おくれしてしまいます。プロポーションが違
いますから。でも、きものを着ると、最高級ホテルでもレ
ストランでも、格式の高いパーティーの席でも、自信を持っ
て胸を張っていられます。[1,p199]
 男性も同様で、袴(はかま)をつければ、腰が据わり、腰板
がついているので、背筋も自然に伸びる。外国人から見れば、
立派なサムライに見える。
 別の若い女性は、こんな感想を漏らしている。
 きものは、世界のどんな国の人が見ても、美しく魅力的
なのだということがわかりました。私たち日本の女性には、
きものという外国人に向かって誇るべきものがあるのです
ね。私はこれから、洋服を着ているときも、心にきものを
装わせることにします。そうすれば、どんな人にも引け目
やコンプレックスを感じずに、胸を張ってつきあっていけ
ると思います。
「きものは、世界のどんな国の人が見ても、美しく魅力的なの
だ」とは、使節団からきものを贈られた人々の感想が証明して
いる。スペインのソフィア妃殿下は、贈られたきものを着て、
こんな実感の籠もったメッセージを寄せた。
 美しい。美しいというしかありません。こんなに美しい
衣服が地上には存在するのですね。
■3.愛と美と礼と和の四つの叡智■
 この使節団訪問とともに行われるのが、山中氏による装道講
演である。山中氏は国連本部からの招請を受けて、1980(昭和
55)年に「きものと日本の精神文化」、その2年後に「世界
を包むきものの愛」と題した講演も行っている。
 装道講演は、まず歴訪の目的から語り始める。
 世界は今、物質文明、科学技術文明が進歩し、人間生活
が大変便利に、豊かに、快適になりました。人類は今、宇
宙までも征服しようとしています。しかし、世界各地では、
宗教や民族の違いによる憎しみなどで、殺戮が繰り返され
ています。また、自然破壊や環境汚染で、地球が危機に瀕
しているといわれていますが、これは、人間が本来持って
いる優しい愛の心や、美しく生きようとする美の心、周囲
の人を尊敬する礼の心、皆と仲良くしようとする和の心を
現代文明によって失ってしまったからだと思います。
・・・
 私は、この日本のきものの中に、現代人が失った、人間
の理想である愛と美と礼と和の四つの叡智が込められてい
ることを発見しました。今日は皆様方にそれをお目にかけ
てご理解いただきたいと思います。[1,p201]
■4.きものに込められた愛の智慧■
 この後で、反物を持った5人のモデルが舞台に登場する。幅
38センチ、長さ約13メートルの反物を広げて見せて、これ
がきものの原型であることを紹介する。その布はあらかじめ裁
断され、マジックテープでつないである。
 テープをはずして、それぞれの布を身ごろ、袖、襟などとし
てモデルの身体にかけて糸で留めていくと、きものの形がほぼ
できあがる。
 数十年前まではこの布を織り上げるにも愛の心を込め、
さらにこれを妻は夫のため、母はわが子のために、一針一
針に愛の心を込めて縫い上げたのです。そうすることで、
きものは深い愛の心が込められていくのです。
 ついで、きものから糸を引き抜き、マジックテープでつなぐ
と、また元の反物に戻る。観客は驚いて、一斉に拍手を送る。
 洋服は身体にフィットさせるために曲線裁ちをして、余った
部分は捨ててしまうが、きものは直線裁ちで、余った部分は端
を折って調整する(「端折る」から「はしょる」という俗語と
なった)ので、元の反物に戻せるのである。
 このように、きものはすべて直線裁ちのため、何度も仕
立て直し、デザインの染め替えができるのです。ですから
きものは、親から子、子から孫へと、代々引き継がれてゆ
きます。そしてさらに、手さげ鞄、風呂敷、装飾品、掛け
軸、布団、座布団、子供の遊具、雑巾など最後までリサイ
クルできるのです。
 これが、地球環境を守る愛の智慧なのです。また、きも
のが引き継がれるときには、愛の心を伴った役目も果たし
ています。実際、私の着ている黒紋付きのこのきものは、
約百年前、父が結婚式の折りに仕立てたものを兄が着て、
さらに母が私の寸法に合わせて仕立て直ししてくれたもの
です。このきものを着ると、父の導き、母の愛をひしひし
と感じます。[1,p203]
■5.美の智慧■
 次に山中氏は、きものに込められた美の智慧について語る。
 洋服は、着る前にデザインが完成されるのに対して、き
ものは、着る人が着るときにデザインを完成させるのです。
ですから、一枚のきものは、着る人によって優雅にも無粋
にも装われます。また、きものはプロポーションを見せる
表現をしないのが特長です。ですから、きものを美しく装
うことは芸術であり、教養や品性や感性という心の美の表
現になるのです。[1,p206]
 西洋のイブニング・ドレスの場合は、着る人はデザイナーが
デザインしたドレスを身につけるだけで、選択の余地は少ない。
それに対して、きものの場合は、その下に着て襟元や袖口を見
せる長襦袢、そして帯、履き物、バッグまたは巾着など、着る
人自身で、さまざまなコーディネートができる。
 また、イブニング・ドレスは身体の線がそのまま出てしまう。
若いスタイルの良い女性にはそれで良いだろうが、お年を召し
た女性、恰幅のよくなった女性にはまことに気の毒である。
 それに対して、きものは身体の線を見せない。したがって、
若い女性はあでやかさなきもの、中高年女性はしっとりとした
落ち着いたきもの、というように、年齢や個性に合った美しさ
を表現することができる。
 まさに、自分に合ったきものを選び、装うことは、それ自体
が芸術であり、「教養や品性や感性という心の美」の表現なの
である。
■6.礼の智慧■
 第三は、礼の智慧である。
 日本には、昔から、襟を正す、折り目正しく、つつまし
く、袖振り合うも他生の縁、辻褄が合う、躾をする、など
の礼を表現する言葉があります。これらはすべて、きもの
から生まれた礼を表現する言葉で、謙虚な心を表し、相手
に対する尊敬を表しています。きものは先に述べたように、
肉体をすっぽりと包みますから、つつましい謙虚な心を育
むのです。だからこそ以前の日本人は、自己主張を避け、
相手を尊敬する礼儀作法の習慣を身につけたのです。
[1,p207]
「つつましい」の語源は「包む」と同じで、むき出しの心を包
んで覆う意味である。辻褄の「辻」は「縫い目が十文字に合う
ところ」、「褄(つま)」は「長着の裾の両端の部分」で、合
うべき部分が合わないことを「辻褄があわない」という。「躾」
とは仕立てが正確にできるように、「仕付け糸」で仮縫いをす
ることから来ている。
 きものを作り、着こなす技術は、日本人に礼の智慧を教えて
きたのである。
■7.立ち居振る舞いの礼■
 さらに、山中氏はきものを着たときの立ち居振る舞いを「装
道礼法」として教えている。その一部を紹介しよう。[1,p53]
 美しい姿勢
頭まっすぐ、顎(あご)引いて
視線は遠く、水平に
背筋伸ばして、胸を張り
両腕真横に、指先そろえ
おなかを引いて、両足そろえ
天地と我と一直線
 美しい立ち方
上体ゆらさず、腰うかせ
爪先たてて、左右の踵(きびす)はなさずに
左足より、半足すすめ
上体おしあげ、起ちながら
左足後ろに引いて、そろえつつ
すうっと静かに、直立姿勢
 このような気品ある立ち居振る舞いは、自らの姿勢を正すと
共に、相手に対する礼の心を育てる。
■8.人と自然の和、人と人との和■
 最後に、山中氏はきものに込められた「和」の智慧を語る。
[1,p209]
 日本は、春夏秋冬の美しい四季に恵まれています。昔は
きものを装う場合に、装う季節の自然の紋様を選んで装い
ました。そこで、きものを装うことが、自然と調和する心
を育んできたのです。季節ごとの花鳥風月をきものの絵画
模様に取り入れてきました。これが自然と調和して生きる
智慧なのです。
 また、不思議なことに、きものを着ると女性は女性らし
さを、男性は男性らしさを、男女それぞれの特質を発揮し、
平等の立場で調和していきます。きものは、人と人とを結
び、調和させていく、すばらしい智慧の衣服なのです。
 まさに、きものは、人と自然の和、人と人との和を育む働き
を持っている。
■9.形から心に至る「道」の文化■
 講演のしめくくりに、山中氏は、日本の「道」の文化を紹介
する。[1,p211]
 日本には、繰り返し稽古をすることで身につけていく叡
智があります。それが形から心に至る「道」の文化です。
「茶道」「華道」などに代表される「道」の文化は、その
行為の中で、技術を身につけるだけではなく、礼から道へ、
人間性を高めていくのが目的です。
 西洋では紅茶の入れ方や、フラワー・アレンジメントは技術
や芸術とはなっても、それが人間性を高める「道」とまでは考
えられなかった。「道」こそ日本文化の本質である。
 そこで私は、世界中の人々の共通行為である衣服の装い
に着目し、それを「道」に高める「装道」を展開していま
す。毎日繰り返し行う装いの中で、きものに込められてい
る愛美礼和を身につけ、理想的な美い人生を実現していた
だきたいのです。
 この装道を教育改革に活かしたいという文部省からの依頼も
あって、昭和49(1974)年から毎年100人以上の高校の先生
に装道の教育が行われてきた。以来、3千校の先生方が受講し、
全国各地の高校できもの教育が行われてきた。あるアンケート
調査では、きもの教育を受けた女子高生の実に94%が「きも
のを着たい」と答えている、という。
 平成10(1998)年には、衆議院において「中学校における和
装教育実施に関する請願」が全会一致で採択され、平成14
(2002)年度から小中学校の「技術・家庭」の中で、きもの教育
ができるようになった。
 こうしたきもの教育を通じて、日本のすべての子供たちに、
我々の先祖が数千年の歳月をかけて育んできた愛・美・礼・和
の智慧に触れて欲しいと思う。
(文責:伊勢雅臣)