先週土曜日の夏祭クラシックの練習で、ラプソディ・イン・ブルーを夏祭クラシック2022でやると聞いて、iTunes に入ってるものやYouTube にアップされてるものをいろいろ聴いていた。
アンドレプレビンに比べるとバーンスタインは古臭く、山下洋輔もさほどモダンとも思えず。
小澤・サイトウキネン・大西順子のはよりモダンで良かったが、大西のソロがやや冗長で。小曽根真がアランギルバート・ニューヨークフィルとやったのが一番グッときた。
んだけど、それで、古典派やロマン派のピアノ独奏やコンチェルトはもういいやみたいな気分になっていて。
小曽根ソロアルバムのフォーリング・ラブ・アゲインを聴いていたら、ピアノものに限らず、このところ定番クラシックに触手がわかず、現代音楽の方に気がいってたことに気づき。
で、そういう現代音楽を求める欲求は、こんな小曽根さんの現代ジャズを聴きたいという欲求と同じなんだと思って。
それはつまり、いまのぼくにとって、問題はクラシックかジャズかってことじゃなく、現代的な音楽かそうじゃないか、ってことなんだなぁ。