saddamさんの農作業日記を記録したいと思います

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梅一輪

2014-02-02 | 日記
   ***梅一輪***

梅一輪一輪ほどの暖かさ 服部嵐雪


 今朝9時から清掃と昼間パトロールに出かけた。16名ほど集まり、二手に分かれて町内と公園の清掃をした。私は町内を回った。町内はゴミがほとんどなく、190所帯ほどの家の庭を拝見しながら町内を一周、公園組と南公園で合流し、集合場所の一里塚公園に戻った。2軒ほどのお家に梅が咲いていた。まだ少ししか咲いていないが今年初めての梅見ができた。解散後、帰路に着きながら、梅が咲いていた1件のMGさんのお話を聞いた。それによると、今年は少し開花が遅れているとのこと。大寒も最終段階に入り春が待ち遠しい。天気予報によると2月4日の立春にはシベリアの寒波が来週、また真冬に戻りそうとのことです。着るものを調整して、気温の変化に備えたいと思います。

***明日は節分です***


  Wikipediaによると

節分(せつぶん/せちぶん)は、雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。節分とは「季節を分ける」ことをも意味している。江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。この場合、節切月日の大晦日にあたる。本項目では、立春の前日の節分、およびその日に行われる伝統的な行事について述べる。大寒の最後の日であるため、寒さはこの日がピークである。

一般的には「福は内、鬼は外」と声を出しながら福豆(炒り大豆)を撒いて、年齢の数だけ(もしくは1つ多く)豆を食べる厄除けを行う。また、邪気除けの柊鰯などを飾る。これらは、地方や神社などによって異なってくる(後述)。概要[編集]

季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊ばらい行事が執り行われる。

節分の行事は宮中での年中行事であり、『延喜式』では、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾っていた。

「土牛童子」ともいわれ、大寒の日の前夜の夜半に立てられ、立春の日の前夜の夜半に撤去された。『延喜式』によれば、土偶(土人形の意)も土牛も、各門での大きさは同じで、土偶は高さ2尺で、方1尺5寸・厚さ2寸の板に立てる。土牛は高さ2尺・長さ3尺で、長さ3尺5寸・広さ1尺5寸・厚さ2寸の板に立てる。陽明門および待賢門には、青色のものを、美福門および朱雀門には、赤色のものを、郁芳門、皇嘉門、殷富門および達智門には、黄色のものを、藻壁門および談天門には、白色のものを、安嘉門および偉鑒門には、黒色のものを、立てる。『公事根源』十二月には、「青色は春の色ひんかしにたつ赤色は夏のいろ南にたつ白色は秋のいろ西にたつ黒色は冬の色北にたつ四方の門にまた黄色の土牛をたてくはふるは中央土のいろなり木火金水は土ははなれぬ理有」とある。

これは、平安時代頃から行われている「追儺」から生まれた[1]。

『続日本紀』慶雲三年十二月の条によると706年にこの追儀が始まり(「是年天下諸国疫疾百姓多死始作土牛大儺」とある)、室町時代に使用されていた「桃の枝」への信仰にかわって、炒った豆で鬼を追い払う行事となって行った。

『臥雲日件録(瑞渓周鳳)』によると、1447年に「鬼外福内」を唱えたと記されている。

近代、上記の宮中行事が庶民に採り入れられたころから、節分当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり、寺社で豆撒きをしたりするようになった[1]。

Wikipediaは勉強になります。

さだむ農園0202