倭人語のすすめ

倭人の言葉が残されていた。古事記の神々の多くは、秘文とされた文書を基にしていた。一音一義の倭人語を解き明かしたいと思う。

邪馬壹国(21鬼国22爲吾国23鬼奴国24邪馬国)

2024-10-14 08:35:49 | 邪馬壹国

21鬼國:キ[貴kiu ]

 久留米市、うきは市が該当する。
 水分遺跡、秋成・亀王遺跡、塚堂遺跡などがある。
 図20

 上古音は(kIu?r キウア)、従来の読み方は「き」。
 [貴kiu ]目に見えない変化
 「景行天皇」の記事における「的邑(いくはのむら)」の解説
 皇軍がある場所で食事をした際、膳夫(料理人)が盞(うき、杯)を忘れてしまった。そこでこの盞(うき)を忘れた場所を浮羽(うきは)といい、訛って的邑(いくはのむら)という。後に生葉郡(いくはぐん)と改められた。
 「うきは」が訛って的邑(いくはのむら)になったというのだ。
 その後、的邑(いくはのむら)→?生葉(いくは)郡?→?浮羽(うきは)郡?→?うきは市 と変遷してきた。「き」にこだわっているのは確かだろう。
 実は鬼国は理由付けが大変困った。
 該当する地名が見つからない。
 当初「うきは」は新しく、古くは「いくは」といった記事をみつけた。「うきは」が先だったらよかったのにと思った。そこに、この伝説を発見した。「いくは」の前は「うきは」だったというのだ。うきはの「き」の同一性から、鬼国と特定する。


 もう一つ見つけて置いた地名がある。亀王(かめお)村。亀の王様とは一体何だ。意味がよくわからない。朝鮮から来た一族のキョ(橋)さんをキオと呼びならわし、亀王と漢字を当てはめたのではないか。そして、後にカメオと読むようになったのだろうという物語を作った。亀王天満宮が久留米市田主丸町秋成にあり、亀王村の地名は消えてしまったが、その地域を代表する名前であったのだろうと思う。




22爲吾國:イネ[囲根wi nai]

 久留米市が該当する。
 南薫本村遺跡、市ノ上遺跡、安国時甕棺墓群などがある。
 図21


 上古音は( ?iuar ?agヒワー ナーグ)、従来の読み方は「いご」
 [囲wi]局部[根nai]秩序変換
 これら遺跡の北側に御井郡御井町がある。かつてこの地域にあった井戸の呼び名である「御井戸」が「御井」に変化したと言われている。
 この井戸のイがユマ仮名のイ[囲wi]に対応するすのではないか。
 [囲wi]の意味を全部書き出すと、局部・局部の現象・囲まれる。
 井戸という意味にとってもよさそうである。
 井戸によって秩序変換することはありうると思う。ユマ仮名のネ[根nai]の意味も生きて来る。水利が改善したら大幅に収穫が増えるだろうから。
 筑後川からの高低差により取水は難しいかったのかも知れない。この地域の河川を見てみると、か細い河川や、直角に曲がる河川つまり人工的な河川が多い。すぐ北側は2から3キロくらいで高良山になる。水利が悪いから井戸を掘ったのかも知れない。その為、地名になるほどのありがたいものであったに違いない。
 以上の事をふまえて、ここが爲吾国と推定する。


23鬼奴國:キナ[貴成kiu na]

 久留米市の西側が該当する。
 久保遺跡、高三潴遺跡、道蔵遺跡などがある。
 図22

 上古音は( 上古音:キウア ナグ kIu?r nag)、従来の読み方は「きな」
 [貴kiu]目に見えない変化[成na]秩序整然
 三潴(みずま・みづま)地域は、3?4世紀には有明海の海岸線が現在よりもっと近く、洪水を繰り返していた。筑後川から溢れた水が、たくさんの沼を作った湿地帯だったことから、「水の沼」と書いて「みぬま」と呼ばれていた。これがなまって鎌倉時代頃から「みずま」と呼ばれるようになった。
 海が近いとどうなるか。霧が頻繁に発生する。倭人語で霧はキリ[貴座kiu ri]。[貴ki](目に見えない変化、その動詞)[座ri](完了形。動作が終わった)、夜明けが近付くと目の前が次第に見えないもので包まれて行く。これが現在でも使われている霧だ。
 霧の奴国でキの奴国、鬼奴国と推定する。



24邪馬國:ヤマ[因゛増yau mau]

 福岡県みやま市(瀬高町)を中心に柳川市・筑後市・大川市・大牟田市など沢山の弥生遺跡が存在する。
 図23

 上古音は(?iag magニヤグ マーグ)、※従来の読み方は「やま」。
 [因゛yau]いよいよ、更に[増mau]増加する
 [因゛増]は熟語で、山の意味となる。
 この地域は、遺跡の分布状況から、海が入り込んでいて島状だったと思われる。
 ヤマ国はヤマト国が省略されたものだと思う。本来はヤマト[因゛増保yau mau to]だろう。ト[保to]とは蓄える意味だが、戸締りの戸の意味もある。
 山の戸、山門。邪馬壹国成立以前から、ここはヤマトと呼ばれていたと思う。
 魏志倭人伝には「南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月」とある。海周りで有明海から来ると10日、築紫平野を歩いて来たら1カ月の所。築紫平野の南端、大牟田市あたりが境界となるだろう。「女王の都する所」とは女王に属するすべての所という意味だ。「都」には全部という意味がある。この場合は都市とか、女王国を意味するのではないと思う。
 「其南有狗奴國(省略)不屬女王」その南は狗奴国で女王に属していない。邪馬壹国の女王の統制には従っていない。南にあるのは熊本だ。
 残りの国は別の所を探さなければならない。


 ここで、ちょっと話は脱線するが、福岡平野築紫平野の地図を見ていると、やたらと牟田とか古賀という地名が出て来る。どうしてだろう。漢字の意味としては良くわからない。
 ユマ仮名を当てはめてみた。
 ム[醸mu]増殖が進む。発展する。生物の繁茂、繁殖。
 タ[垂ta]溢れ出る。田んぼ、たわわ、たくさん、垂れる、足す・・・のタ
 牟田とは新田、新田開発のことだと思う。
 コ[凝kou コゥ]塊。形成する。固まる。
 カ[狩xa クァ]獲得する。刈り取る。
 xaは喉音であり、喉から音をだすと、カという綺麗な音ではなく、クァとかガに近い音となるのだろう。それで「賀」が当てられたのではないか。
 古賀とは、穀物(米)を刈り取って集積した場所のことを言うのではないか。米は保存がきく。雨風に対応した座、動物に食べられないように管理する必要がある。
 これで、各地にやたらと牟田や古賀があることに納得できた。

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