21鬼國:キ[貴kiu ]
久留米市、うきは市が該当する。
水分遺跡、秋成・亀王遺跡、塚堂遺跡などがある。
図20
上古音は(kIu?r キウア)、従来の読み方は「き」。
[貴kiu ]目に見えない変化
「景行天皇」の記事における「的邑(いくはのむら)」の解説
皇軍がある場所で食事をした際、膳夫(料理人)が盞(うき、杯)を忘れてしまった。そこでこの盞(うき)を忘れた場所を浮羽(うきは)といい、訛って的邑(いくはのむら)という。後に生葉郡(いくはぐん)と改められた。
「うきは」が訛って的邑(いくはのむら)になったというのだ。
その後、的邑(いくはのむら)→?生葉(いくは)郡?→?浮羽(うきは)郡?→?うきは市 と変遷してきた。「き」にこだわっているのは確かだろう。
実は鬼国は理由付けが大変困った。
該当する地名が見つからない。
当初「うきは」は新しく、古くは「いくは」といった記事をみつけた。「うきは」が先だったらよかったのにと思った。そこに、この伝説を発見した。「いくは」の前は「うきは」だったというのだ。うきはの「き」の同一性から、鬼国と特定する。
もう一つ見つけて置いた地名がある。亀王(かめお)村。亀の王様とは一体何だ。意味がよくわからない。朝鮮から来た一族のキョ(橋)さんをキオと呼びならわし、亀王と漢字を当てはめたのではないか。そして、後にカメオと読むようになったのだろうという物語を作った。亀王天満宮が久留米市田主丸町秋成にあり、亀王村の地名は消えてしまったが、その地域を代表する名前であったのだろうと思う。
22爲吾國:イネ[囲根wi nai]
久留米市が該当する。
南薫本村遺跡、市ノ上遺跡、安国時甕棺墓群などがある。
図21
上古音は( ?iuar ?agヒワー ナーグ)、従来の読み方は「いご」
[囲wi]局部[根nai]秩序変換
これら遺跡の北側に御井郡御井町がある。かつてこの地域にあった井戸の呼び名である「御井戸」が「御井」に変化したと言われている。
この井戸のイがユマ仮名のイ[囲wi]に対応するすのではないか。
[囲wi]の意味を全部書き出すと、局部・局部の現象・囲まれる。
井戸という意味にとってもよさそうである。
井戸によって秩序変換することはありうると思う。ユマ仮名のネ[根nai]の意味も生きて来る。水利が改善したら大幅に収穫が増えるだろうから。
筑後川からの高低差により取水は難しいかったのかも知れない。この地域の河川を見てみると、か細い河川や、直角に曲がる河川つまり人工的な河川が多い。すぐ北側は2から3キロくらいで高良山になる。水利が悪いから井戸を掘ったのかも知れない。その為、地名になるほどのありがたいものであったに違いない。
以上の事をふまえて、ここが爲吾国と推定する。
23鬼奴國:キナ[貴成kiu na]
久留米市の西側が該当する。
久保遺跡、高三潴遺跡、道蔵遺跡などがある。
図22
上古音は( 上古音:キウア ナグ kIu?r nag)、従来の読み方は「きな」
[貴kiu]目に見えない変化[成na]秩序整然
三潴(みずま・みづま)地域は、3?4世紀には有明海の海岸線が現在よりもっと近く、洪水を繰り返していた。筑後川から溢れた水が、たくさんの沼を作った湿地帯だったことから、「水の沼」と書いて「みぬま」と呼ばれていた。これがなまって鎌倉時代頃から「みずま」と呼ばれるようになった。
海が近いとどうなるか。霧が頻繁に発生する。倭人語で霧はキリ[貴座kiu ri]。[貴ki](目に見えない変化、その動詞)[座ri](完了形。動作が終わった)、夜明けが近付くと目の前が次第に見えないもので包まれて行く。これが現在でも使われている霧だ。
霧の奴国でキの奴国、鬼奴国と推定する。
24邪馬國:ヤマ[因゛増yau mau]
福岡県みやま市(瀬高町)を中心に柳川市・筑後市・大川市・大牟田市など沢山の弥生遺跡が存在する。
図23
上古音は(?iag magニヤグ マーグ)、※従来の読み方は「やま」。
[因゛yau]いよいよ、更に[増mau]増加する
[因゛増]は熟語で、山の意味となる。
この地域は、遺跡の分布状況から、海が入り込んでいて島状だったと思われる。
ヤマ国はヤマト国が省略されたものだと思う。本来はヤマト[因゛増保yau mau to]だろう。ト[保to]とは蓄える意味だが、戸締りの戸の意味もある。
山の戸、山門。邪馬壹国成立以前から、ここはヤマトと呼ばれていたと思う。
魏志倭人伝には「南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月」とある。海周りで有明海から来ると10日、築紫平野を歩いて来たら1カ月の所。築紫平野の南端、大牟田市あたりが境界となるだろう。「女王の都する所」とは女王に属するすべての所という意味だ。「都」には全部という意味がある。この場合は都市とか、女王国を意味するのではないと思う。
「其南有狗奴國(省略)不屬女王」その南は狗奴国で女王に属していない。邪馬壹国の女王の統制には従っていない。南にあるのは熊本だ。
残りの国は別の所を探さなければならない。
ここで、ちょっと話は脱線するが、福岡平野築紫平野の地図を見ていると、やたらと牟田とか古賀という地名が出て来る。どうしてだろう。漢字の意味としては良くわからない。
ユマ仮名を当てはめてみた。
ム[醸mu]増殖が進む。発展する。生物の繁茂、繁殖。
タ[垂ta]溢れ出る。田んぼ、たわわ、たくさん、垂れる、足す・・・のタ
牟田とは新田、新田開発のことだと思う。
コ[凝kou コゥ]塊。形成する。固まる。
カ[狩xa クァ]獲得する。刈り取る。
xaは喉音であり、喉から音をだすと、カという綺麗な音ではなく、クァとかガに近い音となるのだろう。それで「賀」が当てられたのではないか。
古賀とは、穀物(米)を刈り取って集積した場所のことを言うのではないか。米は保存がきく。雨風に対応した座、動物に食べられないように管理する必要がある。
これで、各地にやたらと牟田や古賀があることに納得できた。
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久留米市、うきは市が該当する。
水分遺跡、秋成・亀王遺跡、塚堂遺跡などがある。
図20
上古音は(kIu?r キウア)、従来の読み方は「き」。
[貴kiu ]目に見えない変化
「景行天皇」の記事における「的邑(いくはのむら)」の解説
皇軍がある場所で食事をした際、膳夫(料理人)が盞(うき、杯)を忘れてしまった。そこでこの盞(うき)を忘れた場所を浮羽(うきは)といい、訛って的邑(いくはのむら)という。後に生葉郡(いくはぐん)と改められた。
「うきは」が訛って的邑(いくはのむら)になったというのだ。
その後、的邑(いくはのむら)→?生葉(いくは)郡?→?浮羽(うきは)郡?→?うきは市 と変遷してきた。「き」にこだわっているのは確かだろう。
実は鬼国は理由付けが大変困った。
該当する地名が見つからない。
当初「うきは」は新しく、古くは「いくは」といった記事をみつけた。「うきは」が先だったらよかったのにと思った。そこに、この伝説を発見した。「いくは」の前は「うきは」だったというのだ。うきはの「き」の同一性から、鬼国と特定する。
もう一つ見つけて置いた地名がある。亀王(かめお)村。亀の王様とは一体何だ。意味がよくわからない。朝鮮から来た一族のキョ(橋)さんをキオと呼びならわし、亀王と漢字を当てはめたのではないか。そして、後にカメオと読むようになったのだろうという物語を作った。亀王天満宮が久留米市田主丸町秋成にあり、亀王村の地名は消えてしまったが、その地域を代表する名前であったのだろうと思う。
22爲吾國:イネ[囲根wi nai]
久留米市が該当する。
南薫本村遺跡、市ノ上遺跡、安国時甕棺墓群などがある。
図21
上古音は( ?iuar ?agヒワー ナーグ)、従来の読み方は「いご」
[囲wi]局部[根nai]秩序変換
これら遺跡の北側に御井郡御井町がある。かつてこの地域にあった井戸の呼び名である「御井戸」が「御井」に変化したと言われている。
この井戸のイがユマ仮名のイ[囲wi]に対応するすのではないか。
[囲wi]の意味を全部書き出すと、局部・局部の現象・囲まれる。
井戸という意味にとってもよさそうである。
井戸によって秩序変換することはありうると思う。ユマ仮名のネ[根nai]の意味も生きて来る。水利が改善したら大幅に収穫が増えるだろうから。
筑後川からの高低差により取水は難しいかったのかも知れない。この地域の河川を見てみると、か細い河川や、直角に曲がる河川つまり人工的な河川が多い。すぐ北側は2から3キロくらいで高良山になる。水利が悪いから井戸を掘ったのかも知れない。その為、地名になるほどのありがたいものであったに違いない。
以上の事をふまえて、ここが爲吾国と推定する。
23鬼奴國:キナ[貴成kiu na]
久留米市の西側が該当する。
久保遺跡、高三潴遺跡、道蔵遺跡などがある。
図22
上古音は( 上古音:キウア ナグ kIu?r nag)、従来の読み方は「きな」
[貴kiu]目に見えない変化[成na]秩序整然
三潴(みずま・みづま)地域は、3?4世紀には有明海の海岸線が現在よりもっと近く、洪水を繰り返していた。筑後川から溢れた水が、たくさんの沼を作った湿地帯だったことから、「水の沼」と書いて「みぬま」と呼ばれていた。これがなまって鎌倉時代頃から「みずま」と呼ばれるようになった。
海が近いとどうなるか。霧が頻繁に発生する。倭人語で霧はキリ[貴座kiu ri]。[貴ki](目に見えない変化、その動詞)[座ri](完了形。動作が終わった)、夜明けが近付くと目の前が次第に見えないもので包まれて行く。これが現在でも使われている霧だ。
霧の奴国でキの奴国、鬼奴国と推定する。
24邪馬國:ヤマ[因゛増yau mau]
福岡県みやま市(瀬高町)を中心に柳川市・筑後市・大川市・大牟田市など沢山の弥生遺跡が存在する。
図23
上古音は(?iag magニヤグ マーグ)、※従来の読み方は「やま」。
[因゛yau]いよいよ、更に[増mau]増加する
[因゛増]は熟語で、山の意味となる。
この地域は、遺跡の分布状況から、海が入り込んでいて島状だったと思われる。
ヤマ国はヤマト国が省略されたものだと思う。本来はヤマト[因゛増保yau mau to]だろう。ト[保to]とは蓄える意味だが、戸締りの戸の意味もある。
山の戸、山門。邪馬壹国成立以前から、ここはヤマトと呼ばれていたと思う。
魏志倭人伝には「南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月」とある。海周りで有明海から来ると10日、築紫平野を歩いて来たら1カ月の所。築紫平野の南端、大牟田市あたりが境界となるだろう。「女王の都する所」とは女王に属するすべての所という意味だ。「都」には全部という意味がある。この場合は都市とか、女王国を意味するのではないと思う。
「其南有狗奴國(省略)不屬女王」その南は狗奴国で女王に属していない。邪馬壹国の女王の統制には従っていない。南にあるのは熊本だ。
残りの国は別の所を探さなければならない。
ここで、ちょっと話は脱線するが、福岡平野築紫平野の地図を見ていると、やたらと牟田とか古賀という地名が出て来る。どうしてだろう。漢字の意味としては良くわからない。
ユマ仮名を当てはめてみた。
ム[醸mu]増殖が進む。発展する。生物の繁茂、繁殖。
タ[垂ta]溢れ出る。田んぼ、たわわ、たくさん、垂れる、足す・・・のタ
牟田とは新田、新田開発のことだと思う。
コ[凝kou コゥ]塊。形成する。固まる。
カ[狩xa クァ]獲得する。刈り取る。
xaは喉音であり、喉から音をだすと、カという綺麗な音ではなく、クァとかガに近い音となるのだろう。それで「賀」が当てられたのではないか。
古賀とは、穀物(米)を刈り取って集積した場所のことを言うのではないか。米は保存がきく。雨風に対応した座、動物に食べられないように管理する必要がある。
これで、各地にやたらと牟田や古賀があることに納得できた。
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