たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子57

2019-04-20 11:30:01 | 日記
高見峠を過ぎもうすぐで宇陀の里あたりとなった時陽は傾き、大津が「道作、馬も疲れている。しばし休憩を。」と声をかけた途端左頬の皮膚あたりがびゅんと唸った風に当たった。矢だった。

「道作!矢だ!」と大津が声をかけた瞬間大津の左肩を目掛け矢が飛んできたと同時に道作が矢を用意し「南の樹の茂みあたりだ!」と大津が指摘すると同時に道作の矢が放たれ、どすんという音とともに人が落ちた。
「大津さま、お怪我は。」と道作が駆け寄ったが「大丈夫だ。甲冑を幸いかすめてくれた。」と大津は言い、人が倒れた場所まで歩みを進めた。
倒れた人は左の心の臓を貫いていた。即死のようだった。「草壁、不比等の間者か。」「恐らく。」と道作が答えた途端背後から刀が唸る音がした。刀で止め受け大津は首元を一指しにした。
「4、5人いるな。道作。」
「我らを相手にそんな数人で舐められたものですな。」

大津は天武の息子の中でも高市皇子と一、二を争う武の持ち主であった。大津を指導した道作も飛鳥浄御原で剣術、弓矢において敵う相手などいなかった。

「一人残して、あとは。」
「御意。」

大津は長らしき間者の利き手を切り落とし束で掛かってくる相手を道作と共に数回の手合わせで全て撫で斬りにした。

再び襲ってくる気配を感じなかったため、右手を切り落とされた長らしき間者のそばに近寄った。
その長らしき間者は、大津に向かい「我らには我らなりの正義があってのこと!」左手で首を自ら突き刺し息絶えた。

「誰の為の正義だ。哀れな。」と斃した相手を見つめ大津は呟いた。
「お前たちが死なぬとも…」と大津はやるせない気持ちであった。

この者たちも国の民で、我は国父であったのに…この者らに家族はいたのだろうか、親は、妻は、子は。

道作が「こうなっては夜陰に乗じ邸に戻りましょう、大津さま。」と問いかけるのを遠くで大津は聞いていた。