11/4「悪の陳腐さについて」
今日岡山では小出裕章京都大学原子炉実験所助教が久しぶりに講演を行った。
その中で小出助教はチャップリンの殺人狂時代の一つのフレーズを引用して、
「一人を殺せば殺人者百人殺せば英雄」
と発言した。
それはチャップリンが戦争を皮肉って言った言葉なのだろう、。
また、
ナチスの指揮官であった
「アイヒマン」と言う男は
法定の場において
「私はただ、命令に従っただけ」
と言う言葉で自分自身の責任を回避しようとした。
つまり
この2つの言葉の共通性は
「無責任、或は自己弁護、或は責任回避」
と言う事だ。
つまり、
国家(或は地方)権力とは、
ただ、法によって印を押すだけの仕事であり
何年かが経過し
自分がその地位を去れば、既に責任がないのである。
しかも、
もし自分のミスが発覚しそうになれば
、それが例え他人の人生を狂わす様な事であったとしてもミスを認めてはならないのである。
今週審議入りと言う話の
「特定秘密保護法」
が成立すれば
どんな秘密があっても「秘密」と特定されれば
それが
例え自分自身のスキャンダルであっても
秘密と特定されれば
漏洩はもとより漏洩された方も処罰の対象となる。
つまり、
首相がどんな悪事を働いたとしても、
それが秘密と特定されれば永久に世の中に出て来ないと言う事になるのだし、
首相の部下がその秘密を知ってしまったとしても
「私はただ、命令に従っただけ」
と言う大義名分で秘密を保持する義務を負倭競るのである。
政府側は行政交渉の中で
「報道の自由は保障される」と言っているが、
「見えない部分を可視化する」つまり、
「悪の陳腐さについて」可視化をするのが報道の本来の目的であると言う事を
大マスコミはもっと自覚すべきではないかと感じるのだが、
いかがなものだろう。