桜子でーす

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思い出しました!日本列島改造論の一部

2015年11月08日 | 日記・エッセイ・コラム
11月8日(日)

一日中、雨が降っている。
それも寒い雨。
紅葉はますます、進むだろう。
いや、もう、富士山の庭では真っ盛りかも知れない。
最近は、自然の美しい変化も見られずに、行きそびれてばかりだ。

今朝は、『生姜焼き』を作った。
三度目の調理だ。生姜とニンニク、それに何だっけ?
後は、冷蔵庫の中をかき回して集めると言ういい加減さである。

そうだ!味付けにリンゴも入れよう!
兎に角、いい加減な生姜焼きが出来た。それでも、まあ、何とか『…らしさ』になった。
残った汁に椎茸を加える。

毎回、味の違う料理?では、食べる人も迷惑かなぁ。
まあ、食べてくれるだけでも有難い。
その他に煮豚も出来た。太るぞ~~~


テレビで田中角栄氏のことを放送している。
思い出した!日本列島改造論。
彼が総理大臣の時、教員を大事にする事が日本の教育に効果をもたらすと宣言した。
お陰で、教員にも海外視察派遣の機会が与えられたのだ。

私は、早速、応募した。相変わらずの先取りである。
しかも、最初に参加出来たのは区内で、私一人だけである。
余程、運の良い私である。
校内では、私が派遣決定になると「あなたの所為で自分は行けなくなった」と恨む人も出る始末。
兎に角、アメリカ合衆国への教育事情視察団員として参加する事になった。
都内の公立小中学校の教員で編成されており、確か、団員は40人ぐらいだったと思う。
中でも、女性は僅か5人で、私が一番、年少だった。
第何次だったかは覚えていない。

派遣先はサンフランシスコ、ニューヨーク、ロサンゼルスを中心に米国の教育事情視察である。
他にカナダを経てハワイを最後に帰国する事になった。
時期は運動会が終わった秋の季節。
公務の派遣といっても、周囲からの応援は控え目だった。なるべく、目立たないように、保護者にも遠慮がちに参加をする事と上司に指示された。

日本と合衆国の教育の違いをつぶさに見られたし、アメリカの社会事情を肌で感じた視察だった。
又と無い良い経験を、運良く出来た事に感謝している。
特に、校内の事情を考えながらも半月に及ぶ出張をさせていただいた幸運を感謝している。

お陰で、少しでも、広い視野で学校教育の事情を捉える事が出来た事は、その後の活動につながっていったと思う。

田中角栄氏がその後、大きな問題を起こして失脚したが、矢張り、偉大な総理大臣だったと思う。
特に『学校教育』に大きな関心と援助を示した田中氏の事は、未だに忘れない。

その後の田中角栄氏が、偉大なるが故に『日本列島改造論』を最後まで実施出来なかった事を、一フアンとして残念に思っている。

<後で気がついた呑気な私>
私がその後、教頭として直接の上司となったM先生は、私の後に続いて米国へ派遣された隣の学校の教頭先生だった。
その後、一緒に研究会へ参加した事もあるのに、すっかり覚えていない。
直接の上司であるM先生が話すまで、そのような縁があるとは全く気づかなかった。
随分、のんきな私だったと、今更、恥ずかしく思う。