11月12日(木)
やっと、『予防注射を受けるため』に腰を上げた。
バス停3つ目の場所にある病院へ出かける。
何時でも、年に1回か2回ぐらいしか行かないので、どこで降りたら良いか迷ってしまう。
区から通知されて来たインフルエンザ予防接種には、ここのところ、早めに受けたことがない。
しかし、今年は少しでも急いで受けておかなくてはと思いながら、また、遅くなってしまいそうだ。
周りの人に聞くと、もう、済んだという返事が多いのに、相変わらずの私達だ。
兎に角、二人揃って出かけようとすると、どちらかが風邪気味などと言うハメになる。
本当は『お茶の水』へ出かけた時に、接種してもらえば良いのだが、姉の知り合いの病院へ行く事になると、なかなか、都合がつかない。
10時過ぎ、病院へ行くと、大勢の患者(子供)が来ていた。
大抵は母親と子供だが、中には両親が付き添って家中で来る人もいる。
ここにも、現代の世相を物語っている感がする。
昔風の広々とした頑丈な木製の建物は、この病院の歴史を物語っている感じがして、何となく落ち着く。
何時も、先生のお母さんが白衣を着て、息子である先生の補佐を務めている。
先生は朗らかで親切な方なので、年一、二回でもお会いするのは楽しい。
しかし、今日は患者が多いので、忙しそうだった。
約一時間程、待っていたが、その間に目にしたのは、子供達の動き。
まだ、よちよち歩きの子供もいるし、確りとした足取りの幼児もいる。
待合室になっている広い廊下には、色々な子供向きの物が置かれている。
以前は、素敵な油絵が飾られていて、私好みであった。
しかし、今は、この病院の患者であるお子様向きの『アットホーム』な飾り付けになっている。
大体,町のお医者さん的な親しみ易さが、評判を呼んでいるようだ。
子供達が順番に私達の前に現れて、台の上に綺麗に並べられた雑誌や絵本、玩具などを選びに来る。
男の子で、小さな絵本を開いては見て、次の本へ移る動作を繰り返し、父親に見せる様子が目に止まった。
本を返す時も自分で元の位置に返すが、父親は子供がきちんと返すか見ている。
そのうち、飽きた男の子が母親の方へ行ってしまうと、今度は私たちの隣に座っていた女の子が、玩具を返して、先程の絵本を二冊取ってそのまま自分の席へ戻っていく。
再び、戻って来た男の子がお気に入りの絵本を探したが、見つからない。
本は全部自分の物にしたが、一切、本を開いて見ようともしなかった女の子は、男の子が絵本を探しても知らぬふりである。
持っていた本を大きな絵本の間にこっそり隠してしまった。
男の子はなんとなく、女の子の意地の悪さを感じているが、隠された場所が分からず、とうとう、諦めてしまった。
私は、その女の子がまだ幼いのに、なんと意地悪なんだろうと驚いた。
暫くすると、女の子の名前が呼ばれたが、今までとは急に様子が変わった女の子は、母親の肩にしがみついたまま自分で歩こうともしなかった。
暫くすると、診察室で泣き声がした。
その他、兄弟で来ている子供達の様子を見ていると、兄は落ち着いた足取りでゆっくり歩き、弟は、まだ幼いのに、すごい速さで確りした動きをしている。
見ていると、日頃の兄弟の様子が想像されるようで、つい、笑ってしまった。
彼らが成長した時には、どんな様子だろう?
兄弟って面白いなぁ!それぞれ育った歴史を感じる。
絵本を隠した意地悪な女の子に至っては、彼女が小学生になった時の様子が、今から想像されるようである。
「怖いなぁ、あんな小さい時からそうした意地悪な芽が出ているのだ」と、空恐ろしくなった。
子供同士の社会も難しい。
勿論、そこには子供を取り巻く家庭という環境がある。
問題のある行動や考え方を持った子供に対する配慮は、まず、親から始まると思う。
ところで、この病院では、騒いだりする子供が一人もいなかった。
付き添っている親たちの心遣いが行き届いているのも、暖かい雰囲気を持った病院だからだろうか。
久しぶりに、いい勉強になった。
やっと、『予防注射を受けるため』に腰を上げた。
バス停3つ目の場所にある病院へ出かける。
何時でも、年に1回か2回ぐらいしか行かないので、どこで降りたら良いか迷ってしまう。
区から通知されて来たインフルエンザ予防接種には、ここのところ、早めに受けたことがない。
しかし、今年は少しでも急いで受けておかなくてはと思いながら、また、遅くなってしまいそうだ。
周りの人に聞くと、もう、済んだという返事が多いのに、相変わらずの私達だ。
兎に角、二人揃って出かけようとすると、どちらかが風邪気味などと言うハメになる。
本当は『お茶の水』へ出かけた時に、接種してもらえば良いのだが、姉の知り合いの病院へ行く事になると、なかなか、都合がつかない。
10時過ぎ、病院へ行くと、大勢の患者(子供)が来ていた。
大抵は母親と子供だが、中には両親が付き添って家中で来る人もいる。
ここにも、現代の世相を物語っている感がする。
昔風の広々とした頑丈な木製の建物は、この病院の歴史を物語っている感じがして、何となく落ち着く。
何時も、先生のお母さんが白衣を着て、息子である先生の補佐を務めている。
先生は朗らかで親切な方なので、年一、二回でもお会いするのは楽しい。
しかし、今日は患者が多いので、忙しそうだった。
約一時間程、待っていたが、その間に目にしたのは、子供達の動き。
まだ、よちよち歩きの子供もいるし、確りとした足取りの幼児もいる。
待合室になっている広い廊下には、色々な子供向きの物が置かれている。
以前は、素敵な油絵が飾られていて、私好みであった。
しかし、今は、この病院の患者であるお子様向きの『アットホーム』な飾り付けになっている。
大体,町のお医者さん的な親しみ易さが、評判を呼んでいるようだ。
子供達が順番に私達の前に現れて、台の上に綺麗に並べられた雑誌や絵本、玩具などを選びに来る。
男の子で、小さな絵本を開いては見て、次の本へ移る動作を繰り返し、父親に見せる様子が目に止まった。
本を返す時も自分で元の位置に返すが、父親は子供がきちんと返すか見ている。
そのうち、飽きた男の子が母親の方へ行ってしまうと、今度は私たちの隣に座っていた女の子が、玩具を返して、先程の絵本を二冊取ってそのまま自分の席へ戻っていく。
再び、戻って来た男の子がお気に入りの絵本を探したが、見つからない。
本は全部自分の物にしたが、一切、本を開いて見ようともしなかった女の子は、男の子が絵本を探しても知らぬふりである。
持っていた本を大きな絵本の間にこっそり隠してしまった。
男の子はなんとなく、女の子の意地の悪さを感じているが、隠された場所が分からず、とうとう、諦めてしまった。
私は、その女の子がまだ幼いのに、なんと意地悪なんだろうと驚いた。
暫くすると、女の子の名前が呼ばれたが、今までとは急に様子が変わった女の子は、母親の肩にしがみついたまま自分で歩こうともしなかった。
暫くすると、診察室で泣き声がした。
その他、兄弟で来ている子供達の様子を見ていると、兄は落ち着いた足取りでゆっくり歩き、弟は、まだ幼いのに、すごい速さで確りした動きをしている。
見ていると、日頃の兄弟の様子が想像されるようで、つい、笑ってしまった。
彼らが成長した時には、どんな様子だろう?
兄弟って面白いなぁ!それぞれ育った歴史を感じる。
絵本を隠した意地悪な女の子に至っては、彼女が小学生になった時の様子が、今から想像されるようである。
「怖いなぁ、あんな小さい時からそうした意地悪な芽が出ているのだ」と、空恐ろしくなった。
子供同士の社会も難しい。
勿論、そこには子供を取り巻く家庭という環境がある。
問題のある行動や考え方を持った子供に対する配慮は、まず、親から始まると思う。
ところで、この病院では、騒いだりする子供が一人もいなかった。
付き添っている親たちの心遣いが行き届いているのも、暖かい雰囲気を持った病院だからだろうか。
久しぶりに、いい勉強になった。