東日本大震災が起こる4ヶ月前の10月末、
ブログ掲載用の写真を撮影する為に
天気の良い日に富岡川の河口に出かけました。
毎年10月中旬から11月上旬にかけて
富岡川にはサケが遡上するのです。
ちょうどサケを網でとっている方々がいらっしゃいました。
写真撮影の許可を頂こうと声を掛け、
簗場から河口の方角、子安大橋と太平洋を背景に何枚か撮影。
帰ろうとすると一人の男性が名刺を下さいました。
富岡川鮭繁殖漁業組合長の猪狩功さんでした。
「これ、持って行って!いっぱい宣伝してな!
雌はふ化させる卵を採取するからダメだけど…」
と渡された紙の大きな米袋には、雄の鮭2匹が入っていました。
大きくて立派な鮭でした。恐縮しましたが、
猪狩さんのお言葉に甘え、同行していた知人と1匹ずつ頂きました。
自宅に帰ってから、大きなまな板・出刃包丁・軍手を準備し、
サケを3枚におろした後、切り身は焼いて夕食に、
切り身の残りは、味噌付けに。2~3日すると美味しく変身。
故郷の美味しい記憶です…
先日の新聞で、震災の際、富岡町をおそった高さ20㍍の大津波で
猪狩功さんが稚魚を救う為に、ふ化場に向かい
行方不明になった事をしりました。
そして猪狩さんの息子さんが遺志を継ぎ、新組合長に…
その息子さんが今年の秋、富岡川河口でサケを手にする写真が
新聞に載っていました。
震災の年のサケが…お父さんのサケが戻って来たと、満面の笑みで!
私たちより一足早く戻って来てくれたのですね。
写真は、震災の4ヶ月前の写真です。
この子安大橋の真下くらいまで津波が来たのですから…
海から500㍍くらいの場所の
JR富岡駅が流失してしまったのも、うなずけます…
ブログ掲載用の写真を撮影する為に
天気の良い日に富岡川の河口に出かけました。
毎年10月中旬から11月上旬にかけて
富岡川にはサケが遡上するのです。
ちょうどサケを網でとっている方々がいらっしゃいました。
写真撮影の許可を頂こうと声を掛け、
簗場から河口の方角、子安大橋と太平洋を背景に何枚か撮影。
帰ろうとすると一人の男性が名刺を下さいました。
富岡川鮭繁殖漁業組合長の猪狩功さんでした。
「これ、持って行って!いっぱい宣伝してな!
雌はふ化させる卵を採取するからダメだけど…」
と渡された紙の大きな米袋には、雄の鮭2匹が入っていました。
大きくて立派な鮭でした。恐縮しましたが、
猪狩さんのお言葉に甘え、同行していた知人と1匹ずつ頂きました。
自宅に帰ってから、大きなまな板・出刃包丁・軍手を準備し、
サケを3枚におろした後、切り身は焼いて夕食に、
切り身の残りは、味噌付けに。2~3日すると美味しく変身。
故郷の美味しい記憶です…
先日の新聞で、震災の際、富岡町をおそった高さ20㍍の大津波で
猪狩功さんが稚魚を救う為に、ふ化場に向かい
行方不明になった事をしりました。
そして猪狩さんの息子さんが遺志を継ぎ、新組合長に…
その息子さんが今年の秋、富岡川河口でサケを手にする写真が
新聞に載っていました。
震災の年のサケが…お父さんのサケが戻って来たと、満面の笑みで!
私たちより一足早く戻って来てくれたのですね。
写真は、震災の4ヶ月前の写真です。
この子安大橋の真下くらいまで津波が来たのですから…
海から500㍍くらいの場所の
JR富岡駅が流失してしまったのも、うなずけます…
息子さんが遺志を引き継いでくれたんですか
ほっこりする話をありがとうございます
震災後、なかなか進まない復興…
原発事故による避難区域は今も時間が止まったままです。
それでも最近、時々流れてくる嬉しいニュースに、
元気を頂いてます。