佐久市 ヤナギダ 趣味の店

長野県佐久市野沢93番地
ヤナギダ☎0267-62-0220

「最もよく幸せになれる人」

2019-06-07 17:15:25 | 日記
人生訓で「もっともよく人を
幸せにする人が、最もよく
幸せになる」といいます。

「“幸”は直接つかめるもので
はない。人を幸せにするその
反応として、自分が幸せを感
じる。

周囲がすべて幸せになれば
必然的に自分を幸せになる。

これは、商売で言うと奉仕優
先という思想です。自分だけ
幸せになりたい、

人を押しのけて自分の利益ば
かり追う自己優先の考え方は、
間違っている。

企業は利潤追求だけでなく、
社会への奉仕のためにも存在
している。

社会は自分たちに奉仕してくれ
る企業に、いわばその原資とし
て利潤を与えるのだ」と語って
いる。

時代が変わっても「自らに返る」
という真理だけは常に変わるこ
とがありません。


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「自分をめぐる“四つの錯覚”」

2019-06-07 15:47:04 | 日記

お釈迦さまは、本当の自分
を知らない人は、次の四つ
のことを錯覚していると
説きます。

常:この世には何一つとし
て不変のものなどないのに、
すべてがいつまでもある
ように錯覚している。

たとえば、自分もいずれ死
ぬ身なのに、自分は常にあ
ると思っている。

楽:楽を求めれば、そのぶん
苦も生じさせるという相対す
るものが常に必要な世界なの
に、欲望の赴くままに楽を
追い求めている。

我:自分の肉体を分解して
いけば原子となり、最後は
わからないものになる。

人の心も「これが心だ」と
呼べる実体がない。このよ
うに、これが我=私と呼べる
ものは何も存在しないのに、
我にこだわっている。

浄:心身ともに様々な汚れ
(自分勝手な思考など)を
持っているのに、そのこと
に気づいかず、外見だけを
美しく、清らかに装って満足
している。

その反対が、無常、無楽、無我、
無浄ですが、それもまた錯覚と
か。少しでもこの四つから解脱
できればと思います。


金 K18   ¥3400
プラチナPT950 ¥2500
【6月7日買取値】

※店オープン中
佐久市野沢93番地十二町
ケヤキの木の真向かい
アーケード十二町側
  ~ヤナギダ~
☎0267-62-0220


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「心が喜ぶ二つの“定食”」

2019-06-07 12:47:26 | 日記
一休禅師は、自分の示唆で
相阿弥がつくった龍安寺の
石庭を見ながらこう語って
いる。

「この庭を見て美は“もの”
にはなく、ものともの、も
のと心が通じ合う陰影の
あやの中に見いだすことが
できる。

山水画でも、黒の滲みと
か かすれととかを生か
して、己が心の中の風景
を描くものが人の心を
衝(う)つのであろう・・・。

心も栄養を摂らないと枯
れる。

心の食事には、法喜食(ほうきじき)と
善(ぜん)悦食(えつじき)がある。法喜食は、
教えを聞いて心の中に湧き
上がること。

商売でも学問でも芸術で
も、何もかも忘れて打ち
込んでゆくとき、

人は深い歓喜に包まれる
ものだ。

自分と対象が一つに切った
と感じるとき、善悦食を
いただいたことになる。

命が輝くときなのだ。

命は他の命、他のものと
つながりの中で生きてい
る。

自分を滅ぼして、人のため
にすることこそ善悦食なのだ。

それは自分のためである。

そのことによる喜びで自分
の命が輝くように、命はつ
くられているのだから。

このことを常にわきまえて
すれば、必ず新しい道が開
けようぞ」

どれだけ儲けたかよりも、
どれだけの人の心を楽し
ませたかが大切です。

そうすれば、人生は貧しく
とも もっと充実したもの
になるはずである。




金 K18   ¥3400
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”売り物”を磨き育てる

2019-06-07 12:06:41 | 日記
誰にとっても「自分らしく
生きる」ことが理想の姿だ
と思います。

しかし、自分らしく生きるに
は、売り物、つまりその人なり
の特色がないと難しい。

価値の高い特色(=存在価値)
さえ身につけていれば、心も
暮らしも豊かになり、他から
の制約や干渉に左右されるこ
とも少ない。

武者小路実篤は「この道より
生かす道なし。この道を行く」
と言い、

高村光太郎は「僕の前に道は
ない。僕の後に、道ができる」
と言ったが、自分が一生懸命
に精進さえすれば、そこにお
のずと道が開かれ、

自信と生きがいを持って生きて
いけます。

「生活のために仕方なく」とか
「給料がいいから」などといって、
自分が好きでもない仕事につく
のは愚かなことです。

それでは、この世に生まれてき
たかいがありません。

どんな道でも、宝物となるまで
磨き上げるには、人後に落ちな
い長い苦労が伴います。

それも、必ずしもものになると
は限りません。でも幸いにして
自己発掘ができたならば、後は
人間関係を良くしていくことで
す。

誰でも、自分一人では何もできま
せん。すべて大勢の人の助力が
あって、はじめて名声を勝ち取る
ことができるものです。



金 K18   ¥3400
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※店オープン中
佐久市野沢93番地十二町
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「この“三毒”が心を歪ませる」

2019-06-07 11:58:03 | 日記
私たちが生きているという
ことは、絶えずものを見た
り、聞いたり、感じたりす
るということ。

そして、自分がこの目で見、
この耳で聞いたりしたのだ
から間違いないと言います。

だが、本当にそうでしょう
か?

実際には、一度自分の心の
鏡に映して、つまり自分の
心を通して、見たり、聞い
たり、感じたりしています。

その自分の心はと言うと、
貧(とん)(貪欲)・瞋(しん)(怒りや妬
み)・癡(ち)(愚痴)の三毒に
よって歪んでいます。

だから、物事の真実は正確
に照らしだされていないと
仏教では教えます。

『法句経』にも、「水瓶の
水が風で波立っていたら
顔はまともに映らない。

怒りで煮え立っていたら、
きれいな顔に映らない。

愚痴で腐っていたら、いい
顔に映らない」とあります。

人の喜怒哀楽や物事の本質
を、そのまま自分の心に映
すことは難しいものです。

まともに映っているつもり
でも、心の鏡が三毒で歪ん
でいては、外の世界をちゃ
んと映すことはできません。

そのことに気がついて、も
う一つの目で冷静に見直し
てみたいものです。



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「舛」の中の捨てるタネ、残すタネ

2019-06-07 10:07:47 | 日記
心を升=蔵としてとらえた
場合、

実は人間は自分の心の升の
分量しか、物事を見聞きし
たり感じたりできない。

心の蔵の中には毎日の生活
で得たものすべてが入る。
それが、その人の性格、人
柄、人格になっていく。

だから、人格というものは、
いつでも直すことができる。
善いタネも悪いタネも刻々
と蔵の中に入ってくる。

その瞬間に、一つひとつ
善いタネを選び、悪いタネ
を排していき、自分の蔵の
中身を変えられるのだ」

結局、自分の升の中に何を
蓄えていくかは、様々な出
来事や人との出会いで決ま
ってきます。

ですから、できるだけ善い
ものを見、善い人々との出
会いを大切にしていくこと
が大事です。



金 K18   ¥3400
プラチナPT950 ¥2500
【6月7日買取値】

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「遠 恋」愛よりも優しくー Ⅶ―

2019-06-07 00:00:55 | 日記
手紙を読んだら、すぐ連絡ください。
電話のそばで待っています。

僕は来週、ここを出て、オレゴン州へ
旅立ちます。成田で僕が詩音ちゃん
を待っていた理由は、

春になったらアメリカに来て、僕と
一緒にオレゴンへ行って、一緒に住
んでもらえないかということを、
詩音ちゃんに直接会って、伝えあた
いと思っていたからなのです。

「返事がYESなら、空港まで来て
欲しい」と、書きました。
 詩音ちゃん、僕は先に「人の気
持ちは他人には絶対にわからない」
と書きました。

冷たい考え方のようですが、これ
は真実だと僕は思っています。
どんなに相手のことを思ってい
ても、別の人間である相手には、
その思いは「わからない」のです。

そして、どんなに深く、一生懸命
相手のことを思っていても、その
相手が同じくらい自分のことを
思ってくれているのかどうか、
それも、わからないのだと思い
ます。

しかし、ひとつだけ、わかるこ
とがあります。それは自分の
気持ちです。

自分の気持ちだけは、わかりすぎ
るほど、わかります。僕が詩音ち
ゃんを思う気持ちは絶対的なもの
で、それは出会った時から今、
この瞬間まで、少しも変わりま
せん。

成田空港では、恥ずかしながら、
僕はひとりでめそめそな泣きま
した。僕は詩音ちゃんが考えて
いるほど、強い人間じゃないよ。

非常に弱虫で、さびしがりやで、
とんでもない小心者です。
心の中の醜い「どろんこいかだ」
が浮かんでくまで、あの展望ロ
ビーのベンチに、じっと座って
いました。

そして、詩音ちゃんが成田に来て
くれなかったことを、詩音ちゃん
の出した最終的な答えとして、
真摯に受け止めようと思っていた
のです。

もうこれ以上、・・・・・。

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