彼の指は男にしては細く長い。
それすら、いとしかった。
・・・どうして、このひとは、
こんなにせつないのだろう。
私は? 彼にとって私は?
はぐれている同類?
せめて「愛している」のひとこ
とが欲しい、たとえ刹那でも・・
・・・
彼の指は男にしては細く長い。
それすら、いとしかった。
・・・どうして、このひとは、
こんなにせつないのだろう。
私は? 彼にとって私は?
はぐれている同類?
せめて「愛している」のひとこ
とが欲しい、たとえ刹那でも・・
・・・
忘れないように
息を止めて
忘れないように
君を見た
この時と
今のこと
波と海
地球は青い真珠で
白く雲のマーブル模様
時間を忘れて
時間を失くして
僕たちが こうしていること
いたこと
あれはただそれだけで
そのものだった
YouTube
Earl Klugh - Jolanta(1977)
https://www.youtube.com/watch?v=F3C4eF--B2k
あなたは、あの日のことを。
覚えていますか?わたしのことを。
わたしたちが出会って、ぶつかって、
ふたつの心がばらばらと音を立てて
砕け散った、あの場所のことを。
わたしは覚えている。たとえあなた
が忘れ去っていても、死ぬまで
二度と思い出しもしなくても、
わたしだけは、忘れない。忘れる
ことなどできない。なぜなら、
あなたという人はあの日、あの
場所で、わたしに刻まれた痕跡
だから。
わたしという女に、この人生に
標された、あなたはマイルスト
ーンだから。
あなたは古い地図。
あなたは壊れた方位磁石。
そしてあなたは、牙を剥いて荒れ
狂う、真冬の海辺に立つ灯台の
明かり。
あなたはわたしを迷わせ、わたし
を引き寄せる。希望なのか絶望
なのか、救いなのか破壊なのか、
わからない―――それらのどれで
もない、
それらのすべてを孕(はら)んだ
光を放ちながら。
他愛ない会話がピンポン玉
のように行き交った。
くすりと笑う
あなたが
まぶしくなる
本当に
現実なのに
夢の中のようにかなしい
あなたをさらえたらいいのに
YouTube
恋はフェニックス - セリシアノービー
https://www.youtube.com/watch?v=0YvCwDdyJQ0
人生のど真ん中での
巻き返し。
「四十にして惑わず」(『論語』
為政)
男にとって四十歳は、その後の
その人の人生における幸・不幸
を決める節目に思えます。
四十歳の男の不幸の最大要因は、
「迷う」ことにあると塩野七生
さんは言う。
「四十歳になってもなお男が
迷うということは、自分の進む
べき道を見つけていないから。
見つけたとしても、自分の能力
が十分に発揮され、他からも認
められるという確たる自信が
持てない。
それは、自分が意図してきたこ
とが、四十代になって実現しな
いせいだ。
この種の男は、五十代、六十代
になったら希望が持てるかとい
うと、ほとんどの場合そうでは
ない」
こうならないためには、模索の
年代である二十代にどれだけ
“無駄”とたくさんの恋をし、
三十代に方向を決めてどれだ
け努力したかが問われること
になる。
仕事と女は裏切らない。仕事
ができる男には必ずイイ女が
いる。
女はよく見ています。
四十代は一日にして成らずで
ある。
不幸にしてそういった蓄積な
しに四十代になってしまった
人は、どうすればいいのか。
幸・不幸は職業や地位に関係
ありません。
今の仕事を天職と思って精一
杯努力することです。
自分の仕事を満足してやれる
人は、世間の評価はどうあれ
幸せなのです。
別れたのは、ふたりの関係がも
はやエキサイティングではなく
なってしまったからだ。
彼が野獣で彼女が娼婦を演じて
いた頃の、あのぞくぞくするよう
な味わいが消えてなくなってし
まったからだ。
それでも男と女の間に「会話」
が成立すれば、ふたりの関係は
愛人関係から友情へとすみやか
に移れるのだが。
会話も無いとなると、お互い
の前からお互いが消えること
しか望まなくなる。
そうやって「関係」が終わる。
楽しくもなく、哀しくもなく、
わずかに薄汚れて。
YouTube
椎名林檎 - 長く短い祭 from百鬼夜行
https://www.youtube.com/watch?v=YLfkgo-3_sk
家のなかで顔を合わせるたびに、
夫とわたしは諍(いさか)いを
繰り返していた。
夫は、わたしが仕事を続けたい
なら、借家を引き払って、母親の
家で同居して欲しいと、盛んに
言い立てた。義父は多額の財産を
残して、数年前に他界していた。
義母はわたしを嫌っていた、にも
かからわず、わたしたちと一緒に
暮らしたがっていた。いや、もっ
と正確に言えば、彼女は息子と
孫娘と一緒に、暮らしたがって
いた。
義母との同居はしない、近くに
住むだけ。それは結婚するとき、
夫と交わした約束事のひとつだ
った。
「せやけどそれは、あんたが家に
、という大前提のもとでの約束
やったはずや」
と、夫は言った。だから、どっち
かにしてくれ、と、夫は主張した。
わたしはどちらもいやだった。
仕事を辞めてずっと家にいる生活
も、仕事を続けながら義母と同居
する生活も。
そんなある日、娘が学校で描いた
「お母さんの絵」というのを持ち
帰ったことがあった。
そこにはわたしとは似ても似つ
かない、着物姿の女性が描かれ
ていた。
「琴子ちゃん、この人、ママに
全然似て似てへんねえ」
と、わたしが言うと、娘はランド
セルのなかから一枚の写真を取り
出して、わたしに見せた。
「おばあちゃんがね、この写真
見てかきなさいと言わはったの。
琴子のママは世界中でこの人ひ
とりだけなのやと、言わはった
んよ」。
それはお宮参りの写真だった。
生まれたばかりの赤ん坊を抱いた、
若い母親の姿が写っていた。
このような出来事は日常茶飯事
だった。けれども夫には何も
話さなかった。わたしが話せば、
夫はおそらくこう言っただろう。
「それはあんたが、母親として
のつとめを怠ってるせいやろ」と。
家のなかは荒涼とした砂漠でも、
一歩家から出ればそこには、優
しい人とわたしの世界が広がって
いた。毎日、玄関から外に出て、
家を背にした瞬間、わたしの耳
には家が崩れ落ちてゆく音が聞
こえていた。同時にわたしの躰
のなかで、後妻であり継母(まま
はは)である女が死に、みずみず
しい別の女が目を覚ますのがわかった。
この気持ちは何
どこから湧いてくるの
どこから生まれるの
あたたかい
そして苦しい
「想い」を「言葉」にして
私は少し
楽になった
少し・・・・・
楽に・・・・・・
なった・・・・・・・
YouTube
『いっそセレナーデ』 ~井上陽水スペシャル 4'10秒
https://www.youtube.com/watch?v=Du_uul5u9YA
仕事がつまらないとか、嫌い
でしかたないっていう人が
いますよね。
それって誰かに強制されて
やっている仕事なんでしょ
うか。
刑務所の中なら話は別だけ
ど、
この自由な社会で自分で
選んでやっているわけです
よね。
「嫌だな」と思うのなら、
嫌じゃないものに変えてい
けばいいと思うんです。
「こんなことをしたい」と
思ったら、
それに向けての努力はしなく
っちゃいけない。
「いつかはいい仕事に就ける
だろう」というだけでは足りない。
やる時はやらなきゃ。
私たちには、努力で
自分の人生を変える自由がある
んだから。
誰かを好きになる気持ちなんて
いちばんシンプルなはずなのに、
どうしてこんがらがってしまう
のだろうか。
きっとその森の空間は時間で
できていて、
みんなはそれを孤独と呼ぶの
かもしれない。