朝ドラ「オードリー」はパパの死から3年経って昭和55年。
麻生先生。ゆうさんの出番は有りませんでした。
番組では昭和55年は長嶋と王が引退したと伝えました。「椿屋」の美月は過労で倒れ、晋八くんが手伝いに入るも、煩いだけの空回りで使えません('_')
大京映画はTV東京のスペシャル時代劇「それからの武蔵」が話題になったので、時代劇を撮ろうと、杉本の脚本監督、主演は幹幸太郎で画策中。晋八君は何故か殺陣師を断る。
昭和55年(1980)は、ジュリーにはどんな年だったかなと考えてみました。やはり1月1日発売の「TOKIO」と、3日放送の「源氏物語」でしょう、すぐに思い浮かぶのは。で、それ以外は・・・ すぐに思い浮かばず、YOUNGで調べてみました。
下の画像の、光源氏とTOKIOに挟まれた真ん中のカラー写真は、年始の正月恒例「かくし芸大会」より
その下、真ん中は忘れていました。ジュリーは過労でダウン、入院しました。まるきりオードリーと同じやね😓
退院後、光源氏の下のソフト帽姿はロックンツアー80。その隣は井上バンドの次のバンド、オールウェイズの面々。
アルバム「G.S I LOVE YOU」
「水の皮膚」の発売もありましたね。
去年亡くなったJ友さんは、市川雷蔵さんファンクラブの会長でしたが、私は萬屋(中村)錦之介さん派です。上の画像はだいぶ歳を取ってますが、「宮本武蔵」の迫力とスピ-ドのある殺陣のカッコイイことといったら✨✨ 何度繰り返し見たことか。早くに亡くなられて、本当に残念です。💦 結局、長生きしたものが勝ちなんだと思います。
夜ヒットで戦友であった百恵さんを見送る慈しみに満ちたジュリーの瞳を思い出します。
ハンドルネームきんぴらさんという方のブログがあってsaoさんと同じジュリー愛に満ちた内容でした。2001年のジュリーを取り上げていて、てっきり改名されたと思い投稿しました。改めて大勢のファンがいるのだなあと思いました。
>1980年。山口百恵、王貞治、ジョンレノンが去った年。長嶋茂雄監督も巨人軍を解任... への返信
>『夜ヒットで戦友であった百恵さんを見送る慈しみに満ちたジュリーの瞳を思い出します。』
私もジュリーの百恵さんを見送るあの眼と表情は特別なものを感じました。
きんぴらさんは、私のジュリ友さんであり、私よりお若い世代のジュリーファンです。
ジュリーへの深い愛情を感じさせられずにはいられない熱い筆致には、いつも感心感動させていただいています。
きんぴらさん以外にも、ジュリーファンブログは、ずっと長年に渡って書いておられる素晴らしいファンの方々が沢山おられます。私は足元にも及びません。