奈良県東吉野村を越えて、フラりと伊勢に行きました。その前に
この東吉野村にはニホンオオカミの等身大ブロンズ像があります。1905年に捕らえられたニホンオオカミの若い雄が日本で最後の捕獲記録となっています。
ニホンオオカミ絶滅の原因について確定はしていませんが、明治後の西洋犬導入に伴って流行した狂犬病やジステンパーなど家畜伝染病と人為的な駆除。加えて開発による餌資源の減少や生息地の分断などの要因が複合したと考えられています。さらには山間部を中心にした狼信仰が存在し、魔除けや憑き物落としの祈祷に狼の頭骨などの遺骸が用いられ、江戸後期から明治初期の狼信仰が流行した際に狼遺骸の需要も捕殺に拍車をかけたひとつだと考えられているそうです。
現在でも「遠吠えを聞いた」「目撃した」といった証言があり、紀伊半島山間部では1970年代に捕獲された動物がニホンオオカミではないかと騒動になった事例が複数あります(それらはタヌキの幼獣や野犬、キツネを誤認したものだったそうですが)。秩父山系でも1996年にニホンオオカミに酷似した動物が撮影されたり、九州中部の山地で2000年に秩父と同様の事例があり、いまだニホンオオカミは生存しているのではないかという話もあります。しかし50年間生存が確認されていない種は絶滅したとするという決まりがあるため、公式にはニホンオオカミは絶滅種とされています。
人間や家畜にはほとんど害を与えることもなかったニホンオオカミは農作物を荒らすシカやイノシシなどを退治してくれる益獣の存在として崇められ「大口の真神=大神」という名前になったそうです。
絶滅せずに、どこかで生き延びていてくれているのではないかと高見山からの見事な朝陽を受け、深き山を見ながら思った。
この東吉野村にはニホンオオカミの等身大ブロンズ像があります。1905年に捕らえられたニホンオオカミの若い雄が日本で最後の捕獲記録となっています。
ニホンオオカミ絶滅の原因について確定はしていませんが、明治後の西洋犬導入に伴って流行した狂犬病やジステンパーなど家畜伝染病と人為的な駆除。加えて開発による餌資源の減少や生息地の分断などの要因が複合したと考えられています。さらには山間部を中心にした狼信仰が存在し、魔除けや憑き物落としの祈祷に狼の頭骨などの遺骸が用いられ、江戸後期から明治初期の狼信仰が流行した際に狼遺骸の需要も捕殺に拍車をかけたひとつだと考えられているそうです。
現在でも「遠吠えを聞いた」「目撃した」といった証言があり、紀伊半島山間部では1970年代に捕獲された動物がニホンオオカミではないかと騒動になった事例が複数あります(それらはタヌキの幼獣や野犬、キツネを誤認したものだったそうですが)。秩父山系でも1996年にニホンオオカミに酷似した動物が撮影されたり、九州中部の山地で2000年に秩父と同様の事例があり、いまだニホンオオカミは生存しているのではないかという話もあります。しかし50年間生存が確認されていない種は絶滅したとするという決まりがあるため、公式にはニホンオオカミは絶滅種とされています。
人間や家畜にはほとんど害を与えることもなかったニホンオオカミは農作物を荒らすシカやイノシシなどを退治してくれる益獣の存在として崇められ「大口の真神=大神」という名前になったそうです。
絶滅せずに、どこかで生き延びていてくれているのではないかと高見山からの見事な朝陽を受け、深き山を見ながら思った。