Nonsection Radical

撮影と本の空間

サービス業の憂鬱

2017年11月10日 | Weblog
今の世の中サービス産業が中心の仕事ですよね。
サービスを提供して対価を得る。
対価だからサービスに対するお金を払うわけですよ。
そうならば当然サービスというものがどういうものかハッキリしていないと値段のつけようがないわけです。
こういうサービスをするからいくらとなるわけ。
タクシーを利用するにはいくら、医療サービスにはいくらと内容と対価が決められているわけです。
ところがそういうサービスに対してサービスすることがあるんですね。
競合相手よりサービスをして有利にするとか。
でも本来そういうサービスはサービスでしているのだから「あら、こんなこともしてくれるの。ありがとう」と相手は感謝するわけです。最初は
でもそれが続くと、そのサービスはサービスではなくなって当然の事ととらえたりしてくるんですね大方が。
そうすると「今回はしてくれないのね、サービスが悪くなった」「よそではこんなこともしてくれるのに」と本来のサービス内容とは外れたサービスがサービスではなくなって必須となるんですね。
そうして限りなくサービスすることが増えてくるわけです。
それっていいことじゃないです。
本来対価に見合ったサービスを提供するのが当たり前なんです。
または、サービス内容に則したサービスをするだけでいいんです。
だってサービスを提供するのは、従事者が属している組織ではなく、サービスを実際に行なう従事者なんですから、負担が増えるんです。
そういう負担に対して、こういうご時世ですから割り増しで対価が払われることはありませんよね。
これっていつまでも続くわけがないじゃないですか。
付け加えたサービスは、本来なら別の誰かが対価を得て行なうものなのです。
その仕事を失わせることにもなる。
それにも増してサービスとは何かということを考えない受益者が増えることにもなる。
お客様は神様なんて客自身が言うのは傲慢というものでしょ。
お客とは正当な対価を払ってくれる人、またサービスの範囲を理解している人のことじゃないですかね。
歌って踊れる警察官なんて職務の範囲外の働きでしょ。(変な例えです)
まず提供する側はサービスの範囲を職務の範囲にするべきだし、サービスを受ける側は本来受けるはずのないサービスを受けていることを自覚して自粛するべきだし、少なくともキチンと認識して感謝して自らが当然のごとくに求めない意識が必要なんじゃないですかね。
でないと、そのうちサービスを提供するのなんてバカバカしいと誰も働かなくなりますよ。



盛駅前
岩手県大船渡市盛町東町裏,内ノ目,町
撮影 2017年9月21日 木曜日 11時20分
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする