Nonsection Radical

撮影と本の空間

5月9日 ようやく

2021年05月09日 | Weblog
長い仕事期間がようやく終わり、少しまとまった休みとなった(またその後は連続勤務が待っているが)。
休み中に撮りためなければならないが、一方で本を読みこなしていかないと。
買うのは相変わらずなのに、仕事が忙しくて”勉強”する時間が取れないでいた。
まだ読んだ本の数がわずかなので、本同士の繋がりが持てないのだが、少しずつ「あの本はこの本のここの部分と連係する」とわかってくる(はず)である。
当たり前のことなんだけど、過去を読み解いていくと、過去はつながっている事がわかる。
でも人間の記憶というのは断片の寄せ集めなので、そのピースをきちんと並べ替えなければ本当の流れはわからないのだ。
それぐらい記憶は曖昧だ。
以前にアイドルたちと浮名を流したはずなのに、記録としてはどこにも書かれていない(おかしい!)。

同時に現在の事も追いかけていないと情報がネット中心になっているので曖昧な事項だけが残って混乱を引き起こす事だろう。

コロナの事も、どうやら安心バイアスが現実の前に打ち砕かれてしまった感があり、途方に暮れている状況のようだが、だからと言ってどうするかという考えが浮かんでこない状況なのだろう。
これまでひたすらどうするかを考える必要のない状況を作り出してきたので、いざとなると何もできないし、何をしていいかもわからない。
実は何をしてもいいのだけれど、初期の頃各国が手当たり次第に対策を打ち出して、何が有効で何が無効であるか試行錯誤をしている姿をさも何事もわかったように高みの見物よろしく冷ややかに見ていた手前(実は何も手を出せなかっただけなのだが)、今更後追いで検査体制を整えたり医療体制を充実したりなぞ負けを認めるようでできるものではない。
周回遅れのランナーのように世界中の観戦者の見守る中を走り続けるのか、途中で投げ出してリタイアするのかわからないが、つまりはそういう世の中に今現在生きていることだけは記録しておく必要がある。
コメント
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