中学の時の英語の教科書で「Wind in March」と習ったが、最近の東京近郊は花粉を含んだ強い風が吹き荒れている。
こういう時期は三脚を使った撮影は危険なので出来ないが、マイクで音を拾う動画撮影も難しい。
日差しはあるので、本来ならガラス戸の入った縁側でネコを膝にひなたぼっこが一番なのだろうが、貧乏性なので「あれもこれもしないと」と焦るばかり。
実際には思うことの1/10も出来ないで1日が過ぎていくのだが、そういう日を毎日送る事を願って働いている。
近頃はsnsをありもしないコミュニケーションツールとするのではなく、本来のつぶやくだけの一方通行で余計な時間を費やさない方向に転換している。
各自それぞれが言いっ放しで、それぞれが適度にそれを拾うという程度の”つきあい”が最適解ではないかと感じる。
そしてブログを本来のWeblogとして記録を残していくツールにしたいのだが、こちらはなかなか時間が取れなくて充実されない。
花粉症の症状としての微熱と頭重、ぼんやり感でひたすら眠い。
改めて口絵を画面で見ると、なかなかよろしい。
こういうわけのわからない写真をどんどん撮りたい。
それはそうとそろそろこのブログの表題を変えないと。
心境の変化と今後への課題として
こういう時期は三脚を使った撮影は危険なので出来ないが、マイクで音を拾う動画撮影も難しい。
日差しはあるので、本来ならガラス戸の入った縁側でネコを膝にひなたぼっこが一番なのだろうが、貧乏性なので「あれもこれもしないと」と焦るばかり。
実際には思うことの1/10も出来ないで1日が過ぎていくのだが、そういう日を毎日送る事を願って働いている。
近頃はsnsをありもしないコミュニケーションツールとするのではなく、本来のつぶやくだけの一方通行で余計な時間を費やさない方向に転換している。
各自それぞれが言いっ放しで、それぞれが適度にそれを拾うという程度の”つきあい”が最適解ではないかと感じる。
そしてブログを本来のWeblogとして記録を残していくツールにしたいのだが、こちらはなかなか時間が取れなくて充実されない。
花粉症の症状としての微熱と頭重、ぼんやり感でひたすら眠い。
改めて口絵を画面で見ると、なかなかよろしい。
こういうわけのわからない写真をどんどん撮りたい。
それはそうとそろそろこのブログの表題を変えないと。
心境の変化と今後への課題として