Nonsection Radical

撮影と本の空間

クラシック音楽が

2014年08月21日 | Weblog
仕事中はポッドキャストのクラシック音楽を主に聴いていたのは、クラシックに関しての知識がまったくないので、聞き惚れたり口ずさんだりする事がなく、純粋にBGMとして気分転換になるからだった。
それでいて、まったく知識がないものだから、逆に曲の構成の巧みさに感心したり、楽器の音の良さに驚いたりして飽きる事がない。
ピアノとかバイオリンだけというより、オーケストラのようにいろいろな楽器が鳴っている方が音が楽しいし、どんな楽器なんだろうと想像する事も出来て好きだ。
ところが諸般の事情でそのポッドキャストがなくなり、どうしようかと思ったが、とりあえずラジオを聴こうと各局聴いてみたが、結果的にNHK FMという事になった。
クラシック音楽番組があるのも理由だが、その他にも邦楽や洋楽もバラエティに富んで用意されている。
浪曲とか長唄なんかもあって、これも知識がない分だけ新鮮で、上手く作られているなぁと感心する事が多い。
大阪では文楽をどうするかなんて話があるが、実際のところ、どれだけの人が親しんでいるのかと思うのだけど、同様にこうやって唯一と言っていいほど邦楽とかはNHKのラジオでしか聴けないのだから、その聴取者も限られていて、一般に理解がある状態とも言えない。
でも、聴いたら面白いのよ。
長く続いている芸というのは、さすがによく練られていて、知識のない人でも少し我慢して聴いていると、面白さがわかってくるんだな。
そういうシロートの聴き方もあってもイイと思うので、クラシックの後に邦楽を聴いたり、ワールドミュージックも浪曲も楽しんだりするのもOKだと思うんだよ。
そういう飽きない番組は今のところNHKなんだな。
でももう少しクラシック音楽を聴きたいなぁ。




新町通り 5
奈良県五條市新町1丁目
撮影 2014年6月21日 土曜日 13時50分
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共有の価値観って共有しているのか

2014年08月20日 | Weblog
またワケのわからない事を(笑)。
誰かと何かについて話す時に、「あれってイイよね」「そうそう」なんて会話をするわけだが、”イイ”って言ってる事がはたしてお互いで共有出来ているのか。
あれがああで、それでこうで、だからイイよねって事をお互いで確認できて初めて共有できるわけだが、そういう確認がない場合、ひょっとすると全然別の部分で評価をしているのかもしれないし、それを確認も出来ない。
だから「評論家」みたいな人が共有出来る特徴を”限定”して、それをみんなの共有事にするなんてこともあるだろうけど、マイナーな写真とか、調査結果とか、言葉で言い表しづらい事とかだと、なかなか共有を確認する事が出来ずに、各自勝手に納得している部分もあると思う。
以前、ある人の写真について、言葉では表わしにくい「空気感」みたいなものが撮影の動機なんではないかと思って、それを多少面白おかしく表現したところ、本人ではない人から失礼ではないかと叱責された事があるんだけど、その時に思ったのは「ああ、そういう空気感というものが共有されていないんだなぁ」という事だった。
その本人以外の人も写真を撮っていて、その距離感がどうしても”真似”出来ずに、結構好きな写真なんだけど、ひょっとしてそういう距離感とかを自覚していなくて撮影しているのかもと逆にスゲ~才能!と思ったんだけど、その事を「あの距離感イイよね」と言っても誰かと共有出来るわけでもないんだなとまた思うのだ。
この人はなぜここでシャッターを押したのかを考えるのが結構好きで、仮説を立てて、特定の色が反応を引き起こしたのではとか、こういう光の状態でこういう状況だからではとか”検証”して楽しむのだけど、それを本人に確認出来る事はあまりない。
特に口では表現しにくい「こういう光の状態で、こういう場所だと、こういう空気感がここに現われるから、それに魅かれてシャッターを押したのでは」なんて事を言っても撮影した本人にしか確認する事は出来ないので、それ以外の人同士で話すのは困難な事となる。
でも自分で歩いていても、そういう場所に行き当たると、「そうだよなぁ、ここでシャッターを押しちゃうよなぁ」と思ってしまうのだ。
同様にそういう写真を見ると、「そうだよなぁ、ここでシャッターを押しちゃうよなぁ」と思うのだ。
だから個人的には確信を持っているのだけど、それを共有出来ない事も確信している。
そういう”仮定”で見ると、極めて共通する部分が見受けられるのだけどね。
まあ、こんな話をしていても、共有出来ないんだろうなと思うのだけど。

あっ、口絵写真とは関係ない話だから・・・




尾崎町1丁目の街並み 1
大阪府阪南市尾崎町1丁目
撮影 2014年7月12日 土曜日 12時55分
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写真は表面

2014年08月19日 | Weblog
今日もまたワケのわからない事を書こう。
だって頭でまとまっていないけど、なんとなく思った事だから。
以前美術系学生さんの作品を学園祭で観るということを何年もやっていた。
年を経るごとに段々と面白くなくなって来た。
特に油絵、日本画はつまらなくなった。
どうしてだろうと考えたら、まず技法がない。
それで自分の”内面”のグチャグチャモヤモヤを絵にしようと思ってるからじゃないのかと考えた。
そのくせたいした”炎”が自分に燃え上がっているわけでもなさそうで、薄っぺらいものをすくい取ったような絵が出来上がったのではないのかと。
技術がないので余計に安っぽい感じしかしなくて、「何が描きたいんだぁ?」と絵を前にしてコチラが悩んでしまう。
それがあるとき、女子美の蛭田さんという人の絵を観て、すげーなぁと思った。
描いているのは古典的な花鳥風月なんだけど、まず技術がしっかりしていて、古典の基本の中に「遊び」を加えているのが余裕と思える完成度だった。
そして「型」って大事だよねと思ったのだ。
無視するにも、壊すにもまず「型」がわかっていて、それを身につけている事が必要なんだろうと。
「型」には基本が込められているし。
彼女も他の同年代と同じような時代の感情も持っているだろうし、グチャモヤの気持ちもあるだろう。
でも「型」を取り込んだ事で、それをうまく”表現”にする事が出来たんじゃないのかな。
カタチに出来る事って大切だし。

で、写真なんだけど・・・(苦笑)
写真って多くは目に見えたものを写し取っているわけだけど、そこに”心象写真”なんていうことにはまる年頃ってあるじゃないですが、でも心象も心霊と同じで写りはしないんだよね、心にあるだけで。
ウツウツした気持ちで目の前にあるものを撮影しても、そういう気持ちで撮影したというだけで、見たものしか写っていない。
写真は表面しか写し出さないからね。
見たものしか写らない。
見たようにもなかなか写らない(笑)。
そこで手助けになるものが「型」なんじゃないのかな。
技法というかね。
自分の思うように撮影出来る技法を身につけてからがスタートなのかもしれない。
だって技法を見せるんじゃなくて、それを使った写真を撮るのを目的なんだから。
自分が何を見ているのか、そして何を見ていないのか。
なぜそんなものばかり目につくのか。
他にも見るものがあるのではないのか。
そんな事を考えておかないと、ありふれた自分の、ありふれた目についたものだけを、ありふれたように撮影する事になるんじゃないのかな。
そんな「マイワールド」を誰かに見せるとしたら、はたして興味を持ってもらえるのだろうか。
そんなに自分って面白い?
自分が見た世の中って興味を持ってもらえるように写っている?
そういう事を”考えてから”写真を撮らないとイケナイなぁと思った次第である。
ワケのわからない話でスマンですが。




大開通り 4
兵庫県豊岡市中央町
撮影 2014年8月2日 土曜日 10時45分
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いずれのカメラも皆

2014年08月18日 | Weblog
休み明け初日という事で何にも仕事が入ってこなくて、早じまいとなった。
で、街をブラつこうと本屋さんに行って、ジックリ本を眺めたりしたあとヨドバシカメラに行った(苦笑)。
新しいカメラなんか何にも必要ないのだけれど、どんな商品があるのかなと”市場調査”だ。
午後5時前だというのに結構な賑わいで、オヤジ連中は一眼レフカメラを、ジョシ達はミラーレスカメラをと、興味の対象がクッキリ別れているのが面白い。
satoboは特に区別せずに、あっちへフラフラ、こっちへフラフラと、一目でまったく買う気がありませんとわかる状態。
いくつかのカメラを手に取って、ファインダーを覗いたり、操作したり。
どのカメラも大変良く出来ている。
つまりどれを買っても大丈夫という事だ。
つまりどれで撮っても同じという事だ。
きっと多くの人もそうに違いない。
カメラによって違う写真が撮れる人など見た事ない。
さすがこのカメラは(レンズは)違いますねぇという写真など知らない。
花鳥風月とかしか撮らないしな、みんな。
どのカメラで撮っても同じなら、気に入ったカタチとか予算で決めるのが「正しい」カメラの買い方ではないか。
それぐらいどのカメラも良く出来ている。
でも欲しいカメラは一台もなかった。
今ある安物コンデジで十分なのだ。
どれで撮っても同じような写真しか撮れないしさ。

本屋で見た青山裕企さんの写真集「僕の妹は、写真家になりたい。」がスゴく良かった。
1年の間にどんどんジョシから女性へ変身していく姿が眩しい。
妹さんもイケメンお兄さんのように写真家になれるのだろうか?!
妹って言ってるけど、ホントかよ!とツッコミを入れながら立ち読み。
ごめんね、おじさんお金持っていないんだよね。




浜市アーケード
長崎県長崎市浜町
撮影 2014年3月22日 土曜日 15時05分
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ツクツクボウシ

2014年08月17日 | Weblog
夕方、散歩に出たらツクツクボウシが鳴いていた。
他の蝉はミ~ンミ~ンとかカナカナとかジジジとか単に音がするだけなのに、ツクツクボウシだけは単純な音の繰り返しではなく、ツクツクボウシ、ツクツクボウシ、ゲロゲロゲロ、ツクツクツクツクってフレーズがある。
不思議とどのツクツクボウシも同じパターンだけど、これって何か意味があるのかね?
何かの”言葉”なのか、”歌”なのか、”符丁”なのか。
こういうフレーズを鳴らすには羽根の振動を変えなければならないので、ちょっと面倒だと思うんだけど。
それとも自己主張が強くて、他の蝉とは違うんだという思いが込められているのか。
単に居場所を知らせるアピールなら、単純な音でもイイと思うんだけど、わざわざ他の蝉とは違うフレーズを鳴らすのだから、何か意味があるのだろう。
他の蝉に先に音を取られてしまったので、仕方なくこういう音を出しているのかもしれない。
つまりツクツクボウシは新参者で、鳴き音の特許を先に取られてしまい、それ以外の鳴き音としてこういう鳴き方をしているのかも。
そう思うと結構不憫な気持ちになる。
逆に自己主張が強くて、こういう鳴き方も出来るんだぜとイイ気なもので鳴いているのなら、変わり者めと戒めたくもなる。
どちらにしてもツクツクボウシだけは、鳴き方で誰でもツクツクボウシだとわかるので、わかりやすい性格のヤツと言える。




新町通り 4
奈良県五條市新町1丁目
撮影 2014年6月21日 土曜日 13時45分
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