今日は朝から動画の変換作業。
合間に読書、カメラのセッティング、ネット等。
わざと雑につぶやいていた事を少し
職業を選ぶ時って、働き先の将来性を考えるものでしょ、少しは。
どういう仕事で、業界で、この先は、と。
それにこの国はどうなっているのかがプラスされるし。
日本人って交じるのがイヤみたいなんで、今後も日本人だけでやっていきたいと思ってる人が多いので、普通に考えれば人口が減っていく。
今で1億2400万人ぐらいか。それが2030年には1億1500万人に、2050年には9500万人に減るらしい。
若い人なら2050年にも生きているだろう死んでなければ。
その時には日本人の考えも変わっているのか?
今みたいに変わるのがイヤだ、このままが続けばいいと思い続けているのだろうか。
その頃には65歳以上が約38%になるらしい。
今35歳以上の人はみんなここに当てはまるんだよ若者よ。
そんな世の中で新しい考えが生まれるだろうか。
新しいものを受け入れるだろうか。
今より豊かな社会になっているだろうか。
という前提でアートの話を考えていたわけだ。
表現≒アートとすると市場が小さいところではパイの取り合いとなる。
現在でも最もスポンサー性の高かった広告業界も縮小し、金を出してくれるところも少なくなった。
そういう中で、夢は世界的アーティストと願ってもよほどのことがない限り幸運はやってこない。
上記のように世界へ飛び出して勝負という人が育ちにくい(その必要もなかったがこれまでは)環境、メンタリティではそれも叶わない。
一時期というか今もか地元大好きという若者が新しい生き方を都会でではなく地方で生み出していると話題になったが、それも今後は未知数なのは地方が縮小していくからだ。
どうなるんだろうね。
そういう地元で仕事をして、かつアート活動をしてという”ビジネスモデル”が今後もできるのかなぁ。
まったりと生きていられるのも過去の遺産を食い潰してという面が大きいと思うけど。
どうやって生きていくかだ。
どうやって創作活動をしていくかだ。
ハッキリ言って経済的問題なんだな、これは。
経済格差はこれからも拡大していくだろう。
富裕層も存在し、そこにアート市場が生まれているわけだが、どれだけの創作者を喰わせることができるのだろうか。
21世紀に入ってからも、なんとかアートをみんなの手元にと努力をしてきた人はいたが、社会が総中流から格差社会へ変化して気持ちにも財布にも余裕のない人がほとんどになり、日常生活にアートを感じるという環境は整っていない。ほんのわずかな人達の世界のままだ。
そのパイの中で夢見るのか。そもそも喰えるの君のやってることで。売り物を生み出せるのか?
村上隆が「芸術起業論」を出したのは2006年だが、それからどれだけ変わったのか?
アートで世界と商売をする人は増えたのか。
メンタリティに変化はあったのか?
一方で、日頃から自分のために創作活動をする場合、金儲けを考える必要もないと言える。
いわゆる”趣味”といえばそうなのだが、金を稼ぐことができるのだけが”本職”ならば、多くが仕事を失っていくわけだ今後も。
食えないからやめるのか、食うのとは別の次元で創作活動をしていくのか。
なんでそんな事を金もかかるのに。
自分がしたいからでしょ。
この気持ちがこれからは大切になっていくと思う。
自分のための創作活動。
最強の目的だね。
ならばそれを続ける方法を考えることになる。
つまりいかに金を稼ぐかということ。
目的は創作活動を続けることで、方法はなんでもいいのだ。
そうやって続けていくことが自分の人生を豊かなものにしてくれる。
それで食っていけないからやめるでは本末転倒じゃないか、創作意欲があるのなら。
マイアート、マイライフ、マイコレクションでいいじゃないか。
そんな事を雑に短文でつぶやいていたわけだよ日中。
合間に読書、カメラのセッティング、ネット等。
わざと雑につぶやいていた事を少し
職業を選ぶ時って、働き先の将来性を考えるものでしょ、少しは。
どういう仕事で、業界で、この先は、と。
それにこの国はどうなっているのかがプラスされるし。
日本人って交じるのがイヤみたいなんで、今後も日本人だけでやっていきたいと思ってる人が多いので、普通に考えれば人口が減っていく。
今で1億2400万人ぐらいか。それが2030年には1億1500万人に、2050年には9500万人に減るらしい。
若い人なら2050年にも生きているだろう死んでなければ。
その時には日本人の考えも変わっているのか?
今みたいに変わるのがイヤだ、このままが続けばいいと思い続けているのだろうか。
その頃には65歳以上が約38%になるらしい。
今35歳以上の人はみんなここに当てはまるんだよ若者よ。
そんな世の中で新しい考えが生まれるだろうか。
新しいものを受け入れるだろうか。
今より豊かな社会になっているだろうか。
という前提でアートの話を考えていたわけだ。
表現≒アートとすると市場が小さいところではパイの取り合いとなる。
現在でも最もスポンサー性の高かった広告業界も縮小し、金を出してくれるところも少なくなった。
そういう中で、夢は世界的アーティストと願ってもよほどのことがない限り幸運はやってこない。
上記のように世界へ飛び出して勝負という人が育ちにくい(その必要もなかったがこれまでは)環境、メンタリティではそれも叶わない。
一時期というか今もか地元大好きという若者が新しい生き方を都会でではなく地方で生み出していると話題になったが、それも今後は未知数なのは地方が縮小していくからだ。
どうなるんだろうね。
そういう地元で仕事をして、かつアート活動をしてという”ビジネスモデル”が今後もできるのかなぁ。
まったりと生きていられるのも過去の遺産を食い潰してという面が大きいと思うけど。
どうやって生きていくかだ。
どうやって創作活動をしていくかだ。
ハッキリ言って経済的問題なんだな、これは。
経済格差はこれからも拡大していくだろう。
富裕層も存在し、そこにアート市場が生まれているわけだが、どれだけの創作者を喰わせることができるのだろうか。
21世紀に入ってからも、なんとかアートをみんなの手元にと努力をしてきた人はいたが、社会が総中流から格差社会へ変化して気持ちにも財布にも余裕のない人がほとんどになり、日常生活にアートを感じるという環境は整っていない。ほんのわずかな人達の世界のままだ。
そのパイの中で夢見るのか。そもそも喰えるの君のやってることで。売り物を生み出せるのか?
村上隆が「芸術起業論」を出したのは2006年だが、それからどれだけ変わったのか?
アートで世界と商売をする人は増えたのか。
メンタリティに変化はあったのか?
一方で、日頃から自分のために創作活動をする場合、金儲けを考える必要もないと言える。
いわゆる”趣味”といえばそうなのだが、金を稼ぐことができるのだけが”本職”ならば、多くが仕事を失っていくわけだ今後も。
食えないからやめるのか、食うのとは別の次元で創作活動をしていくのか。
なんでそんな事を金もかかるのに。
自分がしたいからでしょ。
この気持ちがこれからは大切になっていくと思う。
自分のための創作活動。
最強の目的だね。
ならばそれを続ける方法を考えることになる。
つまりいかに金を稼ぐかということ。
目的は創作活動を続けることで、方法はなんでもいいのだ。
そうやって続けていくことが自分の人生を豊かなものにしてくれる。
それで食っていけないからやめるでは本末転倒じゃないか、創作意欲があるのなら。
マイアート、マイライフ、マイコレクションでいいじゃないか。
そんな事を雑に短文でつぶやいていたわけだよ日中。