Nonsection Radical

撮影と本の空間

5月13日 夢も希望も

2021年05月13日 | Weblog
今日は朝から動画の変換作業。
合間に読書、カメラのセッティング、ネット等。
わざと雑につぶやいていた事を少し

職業を選ぶ時って、働き先の将来性を考えるものでしょ、少しは。
どういう仕事で、業界で、この先は、と。
それにこの国はどうなっているのかがプラスされるし。
日本人って交じるのがイヤみたいなんで、今後も日本人だけでやっていきたいと思ってる人が多いので、普通に考えれば人口が減っていく。
今で1億2400万人ぐらいか。それが2030年には1億1500万人に、2050年には9500万人に減るらしい。
若い人なら2050年にも生きているだろう死んでなければ。
その時には日本人の考えも変わっているのか?
今みたいに変わるのがイヤだ、このままが続けばいいと思い続けているのだろうか。
その頃には65歳以上が約38%になるらしい。
今35歳以上の人はみんなここに当てはまるんだよ若者よ。
そんな世の中で新しい考えが生まれるだろうか。
新しいものを受け入れるだろうか。
今より豊かな社会になっているだろうか。

という前提でアートの話を考えていたわけだ。
表現≒アートとすると市場が小さいところではパイの取り合いとなる。
現在でも最もスポンサー性の高かった広告業界も縮小し、金を出してくれるところも少なくなった。
そういう中で、夢は世界的アーティストと願ってもよほどのことがない限り幸運はやってこない。
上記のように世界へ飛び出して勝負という人が育ちにくい(その必要もなかったがこれまでは)環境、メンタリティではそれも叶わない。
一時期というか今もか地元大好きという若者が新しい生き方を都会でではなく地方で生み出していると話題になったが、それも今後は未知数なのは地方が縮小していくからだ。
どうなるんだろうね。
そういう地元で仕事をして、かつアート活動をしてという”ビジネスモデル”が今後もできるのかなぁ。
まったりと生きていられるのも過去の遺産を食い潰してという面が大きいと思うけど。
どうやって生きていくかだ。
どうやって創作活動をしていくかだ。
ハッキリ言って経済的問題なんだな、これは。
経済格差はこれからも拡大していくだろう。
富裕層も存在し、そこにアート市場が生まれているわけだが、どれだけの創作者を喰わせることができるのだろうか。
21世紀に入ってからも、なんとかアートをみんなの手元にと努力をしてきた人はいたが、社会が総中流から格差社会へ変化して気持ちにも財布にも余裕のない人がほとんどになり、日常生活にアートを感じるという環境は整っていない。ほんのわずかな人達の世界のままだ。
そのパイの中で夢見るのか。そもそも喰えるの君のやってることで。売り物を生み出せるのか?
村上隆が「芸術起業論」を出したのは2006年だが、それからどれだけ変わったのか?
アートで世界と商売をする人は増えたのか。
メンタリティに変化はあったのか?

一方で、日頃から自分のために創作活動をする場合、金儲けを考える必要もないと言える。
いわゆる”趣味”といえばそうなのだが、金を稼ぐことができるのだけが”本職”ならば、多くが仕事を失っていくわけだ今後も。
食えないからやめるのか、食うのとは別の次元で創作活動をしていくのか。
なんでそんな事を金もかかるのに。
自分がしたいからでしょ。
この気持ちがこれからは大切になっていくと思う。
自分のための創作活動。
最強の目的だね。
ならばそれを続ける方法を考えることになる。
つまりいかに金を稼ぐかということ。
目的は創作活動を続けることで、方法はなんでもいいのだ。
そうやって続けていくことが自分の人生を豊かなものにしてくれる。
それで食っていけないからやめるでは本末転倒じゃないか、創作意欲があるのなら。
マイアート、マイライフ、マイコレクションでいいじゃないか。

そんな事を雑に短文でつぶやいていたわけだよ日中。
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5月11日 検査日

2021年05月12日 | Weblog
三月に一度の検査日。
特に変化なし。
病院は相変わらず混雑。
帰宅後洗濯、鶏肉トマト煮、コールスロー。
ニャンコ用にカツオの刺身。
本当にカツオが好きなようで、ガツガツと食べる。
薄くスライスして個別冷凍して保存。
動画の変換をするつもりが疲れて寝てしまい中止。
明日の撮影の予定を立てているとこんな時間(AM0:54)
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5月10日 動画撮影

2021年05月10日 | Weblog
久しぶりの動画撮影。
今年に入って毎日アップしていた動画を不定期に変えたのは虫の知らせだったのか。
仕事が不規則になり撮影する時間が取れない日が続くことは予想していなかったが、結果的に不定期配信にするに際して悩む事もなく済んだ。
それまでは毎日配信のために結構無理をしていたけど、無理もできない状態になると諦める事も必要と思える覚悟が必要になるので。
機材も大幅に見直して軽量化し、少しでも歩く事にマイナス要素がないようにと。
服装も好天のために半袖姿で薄着に。

大きな商店街でなくても人の流れは普段通りと言えるほど。
ターミナル駅は混雑の人。つるむ人達。複数で入る飲食店、喫茶、ファストフード店。
興味の対象はそういう所ではないので。
ただし電車の混雑は防ぎようがない。
席を詰めて座る人達、喋る団体、学生、勤め人。

31000歩、91GB。
歩数のわりにデータ量が少ないのは無駄な動きが多いということ
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5月9日 ようやく

2021年05月09日 | Weblog
長い仕事期間がようやく終わり、少しまとまった休みとなった(またその後は連続勤務が待っているが)。
休み中に撮りためなければならないが、一方で本を読みこなしていかないと。
買うのは相変わらずなのに、仕事が忙しくて”勉強”する時間が取れないでいた。
まだ読んだ本の数がわずかなので、本同士の繋がりが持てないのだが、少しずつ「あの本はこの本のここの部分と連係する」とわかってくる(はず)である。
当たり前のことなんだけど、過去を読み解いていくと、過去はつながっている事がわかる。
でも人間の記憶というのは断片の寄せ集めなので、そのピースをきちんと並べ替えなければ本当の流れはわからないのだ。
それぐらい記憶は曖昧だ。
以前にアイドルたちと浮名を流したはずなのに、記録としてはどこにも書かれていない(おかしい!)。

同時に現在の事も追いかけていないと情報がネット中心になっているので曖昧な事項だけが残って混乱を引き起こす事だろう。

コロナの事も、どうやら安心バイアスが現実の前に打ち砕かれてしまった感があり、途方に暮れている状況のようだが、だからと言ってどうするかという考えが浮かんでこない状況なのだろう。
これまでひたすらどうするかを考える必要のない状況を作り出してきたので、いざとなると何もできないし、何をしていいかもわからない。
実は何をしてもいいのだけれど、初期の頃各国が手当たり次第に対策を打ち出して、何が有効で何が無効であるか試行錯誤をしている姿をさも何事もわかったように高みの見物よろしく冷ややかに見ていた手前(実は何も手を出せなかっただけなのだが)、今更後追いで検査体制を整えたり医療体制を充実したりなぞ負けを認めるようでできるものではない。
周回遅れのランナーのように世界中の観戦者の見守る中を走り続けるのか、途中で投げ出してリタイアするのかわからないが、つまりはそういう世の中に今現在生きていることだけは記録しておく必要がある。
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5月4日 早朝撮影

2021年05月04日 | Weblog
都会の街並みは早朝に撮影しようと計画していたんだけど、なかなか起きることができずに延期が続いていた。
幸いな事に、夜勤が早朝で終わる事になり、45カメラを持って仕事場に向かう。
明けて電車に乗り、瞬く間に到着。田舎住まいなので早々こういう事はない。
休み中にもかかわらず、そこそこの人が朝から歩いていて予想外。
カメラをセットしていると声をかけてくる人や気を使う人が通り、その度に明るく返事を返すのは邪魔者扱いされないための知恵。
道端の邪魔者であるよりは、物珍しい話のタネの存在である方がお互いのため。
4枚4カ所撮影して終了。
ようやくホルダーに詰めたフィルムを消費。
最後の一枚は、目当ての物件が開店中の方が見栄えするので次回にまわして、何となくの中途半端な街並み風景となるが、こういうのが後になって良かったりすることもあるので押さえておく。
それにしても今回も段取りの悪さに閉口する。
もう少しテキパキとセッティングしてスマートに撮影したい。
まるで小間物屋さんを開くように現場はとっ散らかる。反省。
世間の連休明けが自分の仕事明けになるので、まだまだ連勤は続く。
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