Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

エストニアの友達と思い出

1998年~1999年まで、ドイツのコンスタンツに留学した。

この時、本当にいろんな国の人たちと出会ったが、
一番最初に仲良くなったのが、エストニア出身のアンドロスだった。
たまたま同い年で、たまたま近所(学生寮)に住んでいた。

ドイツ語のレベルが近かったということもあって、
最初の頃は、アンドロスと一緒にいることが多かった。

彼は半年だけの留学だったので、夏に帰国してしまった。

で、アンドロスがエストニアに帰国する時、
「keiも一緒にエストニアに来るかい? 大歓迎だよ」
と、言ってくれたので、98年の夏に一週間ほど、
エストニアに滞在することになった。

「バルト三国」という言葉は知っていたけど、
まさか自分がバルト三国に行くことになるなんて・・・

しかも!ドイツ・リューベックに電車で行って、
そこから船。
船が一番安かったからなんだけど、
船で2泊3日の旅。これは楽しかったなぁ。

ただ、同室のロシア人の兵士君がめちゃめちゃ臭くて、
死ぬかと思った。今でも強烈に覚えているから、相当・・・(汗)

エストニアは、ものすごく美しく、懐かしい国だった。
ヨーロッパ各国を色々旅したけど、エストニアがNo.1だった。
アンドロスというパートナーがいたからだけど、
日本人が全くいないような場所にまで行けて。。。

夢のような一週間だった。

***

僕の人生の中で最も幸福を感じるエストニア滞在だった。
そして、これがアンドロスと会った最後の日々だった。

***

その後、アンドロスとはたまに手紙の交換をしていたけど、
知らず知らずのうちに連絡が途切れ途切れになっていた。
頭の片隅にアンドロスのことが気になりつつも、
日々の生活が忙しくて、なかなか・・・

でも、ふと思い立って、アンドロスに手紙を書くことにした。
10年ぶりくらい。

どこに住んでいるか分からないから、彼の実家に。
実家に泊めてもらったので、実家の住所を知っていた。
実家の住所を知っておくことはかなり重要だ。。。

そうしたら、今日、彼から手紙が届いた。

思わず、「おお!」と叫んでしまった。

アンドロスは元気そうだった。
10年経って、かなり見た目は変わっちゃったけど。
まー、それはお互い様かな。。。

ただ、当時は超やせてて、スマートな青年だったけど、
今は、、、 ま、相当変わったってことで(汗)

素敵な女性と一緒に写った写真も入っていたが、
まだ結婚はしてなくて、子どももいないみたい。
でも、一緒に暮らしているらしく、それなりに幸せだって。

そして、「また、エストニアに来てね」と書いてあった☆

行きます! エストニア!

今のエストニアを感じたい。知りたい。

*エストニアでラーメンは食べられるのか?それも知りたい。。。

⇒・・・あった。エストニアのラーメン店(日本料理店)(汗)
こちらの情報もなかなかレア、というか超マニアック

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