Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

ドイツ、最後の日にふらりと立ち寄ったカフェで。。。

もう、あれから1週間か、、、

先週の水曜日、午後。

ふらりと、デュッセルドルフ郊外にあるカフェに立ち寄りました。

珈琲が飲みたくて、、、

今思えば、1ヶ月、あっという間でした。

一つ思うのは、ヨーロッパでの生活は、ホント、自由でいいなぁってことでした。

日本に戻って1週間。

日本に欠けているのは、「自由な感覚」かな、と思います。

日本にいると、どうしても他人の顔色をうかがわざるを得ない部分が強くあります。それを、「世間」と言ってもいいし、「空気」と言ってもいい。

とにかく、そういう「他有」の意識に支配されます。「自己」を出してはいけない国、、、

それに逆らおうとしても、なかなかそれはできない。極めて難しい、、、

皆で同調し合い、浮きでないようにとことん配慮する。

それが、日本の、ある意味での文化なのかな、と。

見渡せば、日本には、日本人(あるいはそれらしく見える人)しかいない。

他者のいない国、日本。

いない、というか、いないことにしている国、日本。

同じ日本人しかいない日本で、どう、「差異」を強調しようと、それは通用しない。

差異を消すことでしか、存在し得ない日本。

島国ゆえの宿命なのかもしれない。

ドイツに限らず、欧州は、差異で溢れている。

違う人間を認めなければ、成立し得ない。

「自分と考えが全く相いれない人間がいる」、ということを。

その中で、どうやって、共に生きていけばよいのか。

そのことを真剣に考えてきたのが、ヨーロッパという世界なのかな、と。

僕は、ヨーロッパの思想をそのまま受け入れている人間だけど、そろそろ気づいてきた。

日本では、ヨーロッパの思想はなかなか受け入れられない、と。

…そんなことを、ちょっと考えました。このカフェで。

ヨーロッパは、差異で溢れているからこそ、自由が浮き出てくる。

日本には、逆に差異がないから、自由が際立たない。

日本で、「違いを認めろ!」というのは、もしかしたら、そもそも無理な話なのかもしれないなぁって。。。

島国ゆえなのかな、、、と。

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