Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

勉強も遊びも恋愛も、続けてこそ!!

とても面白いブログを見つけました☆

どこかの元大学教員のブログで、とにかく内容がどれも面白いんです。

http://nouwaru.cocolog-nifty.com/blog/

同業者ってことでも面白いんですが、とにかく文章がどれも面白くてユニーク。

その中で、特に面白かったのが、勉強と遊びについての葛藤?を描いたこの記事。

http://nouwaru.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-3cdc.html

先生と学生とのやり取りが面白い。

***

>…学生にはずいぶん怠け者が多いと感じられて仕方なかった。ために約束の時間に顔を出さなかった者、与えた課題を期日までにこなさなかった者、欠席の多い者などに対してはかなりきつく当たった。ついつい説教してしまうのだ。そういう時にワシが決まってい言うのは「今勉強しとかないと社会人になったら勉強したくてもできなくなるぞ」ということだ。

>たいていの学生は神妙な顔をしてワシの説教を聞くんだが、ある時こういうふうに言い返す学生がいた。「センセー、遊べるのも今のうちだけですよ。就職したら遊べんようになるじゃないですか」。「うぅーん」、思いがけないことを言われて次の言葉が寸時出てこない。でも考えてみれば、なるほど彼の言う通りだ。同時に、自分の学生時代がどうだったかを省みて「お前はそんな偉そうなことを言える立場か」という声が聞こえたような気がした。

***

もし僕だったら、どういうかなと考えました。

僕ならこう答えますね。

「じゃ、君はどれだけ何をどのように遊んでいるんだ? 本気で遊んでいるか。どこまでそれを追及しているんだ? 学生の時にしかできない遊びなのか。学生が遊ぶってことは、それを徹底的に遊び極めることだ。それに関する本はどれだけ読んだ? その遊びの対象のプロに会ったか? インタビューしたか? 論文は探したか? それが、君の専門分野とどのように関連している? その遊びが登場したのは、いつ、どこでか? いったいどれほどの人がその遊びにかかわっているんだ? その遊びにかかわる産業、科学、知識はどれだけ学んでいるんだ?」

と!(うざいですね~)

遊びにも色んな次元があるんです。「遊べるのも今のうち」という意味での遊びは、質的に最も深くなければならない。質の低い遊びなら、いつでもできる。大人になると、仕事に疲れ、質の低い遊びで満足できてしまう。極めようとは思わなくなる(そんな余裕はなくなる)。せいぜいのところ、気晴らし程度の遊びで満足するしかない。学生の時にしかできない遊びというのは、そういう気晴らしという意味での遊びであってはならない。

勉強がしたいんじゃなくて、遊びたいんだ、そう言う学生に対して、僕は、「じゃ、徹底的に遊べよ。徹底的にだぞ。誰にも負けないくらいにな」、と言いたい。それこそ、学生時代にしかできないことだと思うから。僕は、心理学や教育学が勉強したくて大学進学したので、とにかく徹底的に学問を楽しみました。学問は、やればやるほど楽しいものです。「少年老い易く学成り難し」という言葉もありますが、4,5年の学生時代だと、学問の表面部分のほんのさわりしか学べません。現代思想まで楽しもうと思うと、とてもじゃないですが、4,5年じゃ無理です、、、

それって、なんにでも言えることだと思うんですよね。ラーメンの食べ歩きを趣味にしている僕ですが、はっきり言って4,5年じゃ、ラーメンなんて語れません。4,5年でできることといえば、いわゆる「先行研究理解」で終わりですね。先人たちが「おいしい」と認めたラーメン屋さんをまわるくらいで終わります。真の探究は、10年目以降だと思います。僕もまだ本当の意味でのスタートは切れてない気がしていますから。

バンドだってそう。4,5年目なんてたかが知れてる。Merryがちょうど10年目ですが、ようやく自分たちのポジションを確立した時期じゃないですか。本当の意味での戦いはこれから先でしょう(ま、彼らはお仕事として音楽をやっているので、「遊び」とは言えませんが…)。音楽が趣味という人であっても、4,5年なんて、正直お話にならないと思います。ヴィジュアル系を愛して5年、そりゃ、それで素晴らしいことですが、それでわかるような世界じゃないです。ヴィジュアル系の世界は深いですからね。

なんでもそうです。語学、競馬、麻雀、スポーツ、旅行(or旅)、写真、食べ歩き、鉄道、ファッション、どんな遊びにしても、徹底的に遊ぶとなると、相当経験を積まなければなりません。鉄道ファンのあの熱心で一途な精神には、いつも感銘を受けます。彼らは徹底的に遊んでいます。素晴らしいと思います。尊敬もします。

上の記事の「センセー、遊べるのも今のうちだけですよ。就職したら遊べんようになるじゃないですか」と言った学生は、いったいどのような意味で「遊び」という言葉を使ったのでしょうか。就職したら、本当に遊ばないのでしょうか。遊びのない社会人になりたいのでしょうか。遊びのない大人=遊ばない大人に、魅力を感じるでしょうか。否、遊ぶ大人になれれば、大人は楽しいです。遊べない大人だけにはなりたくないってずっと思っていました。

遊びをし続けることも、誰かを愛し続けること同様、とても難しいことです。何かをし続ければ、必ず飽きるものです。飽きてもなお続けてこそ、本当の遊びです。続けていれば、もっと違う仕方でその遊びを捉えることができるし、その遊びの違う魅力に気づくときが来るかもしれない。

問題の根源って、そんなに違わないんですよね。僕のテーゼ、「愛することは続けること」、というのは、この場合にも適用できます。遊びを愛する人というのは、遊び続けることができる人、ということです。そういう人って本当に少ないですよ。僕は、ヴィジュアル系フリークですが、36歳になって、今もヴィジュアル系を愛し続けている人なんて、ほとんどいませんから(だから、ypさんは心底尊敬していますもん☆)。対象は何でもいいんです。やるなら徹底的にやれ。そして、やるなら可能な限り長くやり続けろ、と。

遊びは、いくらやってもお金がもらえるわけではないです。むしろ、お金が出ていきます(汗)。でも、遊びたいから、頑張って働けるわけだし、遊びたいから、頑張れるんです。遊びは、若いときにしかできないものではなくて、勉強同様、一生続けるべきものであり、それだけの価値のあるものです。

ブログだってそうですよね。僕は、かなりの頻度でブログの更新し続けていると思います(決して暇ではない!…はず)。これだって、「遊び」ですが、でも「ホンキ」ですし、かなり大変です。でも、「ホンキだからこそ最高の遊び」だとも思うんです。このホンキの楽しい遊びは、学生時代にしかできない遊びだとは思いません。ブログって、続けてこそ、それこそ何年も続けてこそ、その本当の楽しさが分かってくるものです。(ここでは言いませんが☆)

続ける能力がある人は、それだけで偉大なんです。尊敬に値するんです。そして、それがどれだけ難しいことか。「続ける」というのは、人間の最大の課題だと思っています。

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