Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

【誹謗中傷】をやめる代わりに【権力批判】をはじめよう!

今、かつてないほどに【誹謗中傷】への怒りが爆発しています。

この数年、誹謗中傷が原因とみられる有名人の自殺が相次いでいます。

誹謗中傷への怒りは、今後「法制化」「厳罰化」の道を辿りそうです。

思えば、インターネットがなかった時代には、「誹謗中傷」という言葉は、今のような意味では使われていなかったと思います。だいたい、全国・全世界の人が「ひとつの画面」で何か(言葉や画像)を共有するなんてことは不可能でした。1995年以前の日本を考えたら、世の中に向けて何か言葉や画像を発信したかったら、新聞や雑誌に投稿しなければいけなかったし、それとて、すべての国民が「無料」で見られることはまずありませんでした。唯一、「テレビ」や「ラジオ」に出ることが、「無料」で何かを発信できる唯一のツールだったと思われます。

そもそも、誹謗中傷とはなんだったのかというと、、、


誹謗=そしること、悪口を言うこと。

中傷=無実のことを言って他人の名声を傷つけること。


誹謗だけで考えると、これをなくすことは不可能ではないでしょうか。

誹謗はダメだ、となると、もう人間はおそらく生きてはいけないでしょう。悪口を言うことを封じてしまったら、いったいこの社会は、世界はどうなってしまうのでしょう。

問題なのは、中傷ということになります。中傷は、言い換えれば「デマを流して、名声・名誉を傷つけること」となります。これも、1995年以前の日本では、今の誹謗中傷とは全く次元のことなるものだったと思います。

だいたい、デマを流すって言ったところで、せいぜい「学校内」「職場内」「地域内」の話であり、社会全体にデマが拡散するってことは、よほどのことがない限り不可能だったと思いませんか?

例えば、90年頃、どこからとなく、こんなうわさ話が聴こえてきました。

「アイドルグループの○○○○は、××××らしい」

みたいな。

それを聴いた僕は、また他の誰かにそれを話すんですね。とはいっても、所詮は、中学や高校のクラスメートに話す程度でした(ただ、そういうのが芋づる式に広がっていくってことも稀にあるんでしょうけど…)。

ただ、そんなうわさ話を、当のアイドルグループの○○○○の耳に届くことなんて、まずなかったと思うし、耳に入ったとしても、ぼんやりとそういう噂が広がっているんだぁ~、くらいにしか認識されなかったと思います。

そう考えると、今の【誹謗中傷】の問題は、それ自体の問題というよりも、ネット使用の問題だ、ということになるのではないか、と思うのです。

「じゃ、ネットを見なきゃいいじゃないか」

と言う人もいるかもしれません。けど、それは、理想論的にはそうなんでしょうけど、ネットを使わないで生活するっていうのは、ほぼほぼ不可能ですし、逆に「なんで、(誹謗中傷されている側=被害者側)が制限されなければいけないんだ?」って話になります。

とはいえ、人間は、そもそも「悪口」や「陰口」を言わないといられない生き物(動物)なので、それを封じたら、おそらくとんでもないデストピアに陥ってしまうのでは、と懸念します。

中傷も、考えてみれば、一言で言えば、「嘘をつくこと」だと思いますが、人間というのは、嘘をついて、生きているわけです。知性が高ければ高いほど、「嘘」はつきたくなるものですし、「嘘も方便」じゃないですけど、社会の中で、円滑に人と関わっていくためには、必要な能力だとも思いませんか? 賢い人なら、「本当のことを言ったら、傷つくだろう」と思って、わざとはぐらかしたり、あったことをなかったことにすることができます。

とすると、誹謗中傷自体は、防ごうにも防げない、って話になります。

では、どうしたらいいか?!

誹謗中傷で攻撃される人は、どんな人でしょうか?!

おそらく、誰であっても、その対象にはなると思います。

僕も、2000年頃からインターネットを使うようになり、2005年からずっとこの「ブログ」を書いていますが、何度か「炎上」してきましたし、某巨大掲示板で、実名を晒されたり、「味覚障害者」と書かれたり、「知的障害」だと書かれたりもしてきました。

どこのだれだか分からない人に、いきなり、攻撃的な言葉で中傷されたこともわりとありました。BiSHの擁護?をした記事でも、すごい数の中傷的なコメントを頂き、わりと傷つきました(苦笑)。

僕みたいな、ほぼほぼ無名なブロガーでも、誹謗中傷されたり、記事が炎上したりするんですね。

僕は、幸い?2005年頃から、プチ炎上を経験しているので、長い時間をかけて、その「誹謗中傷」をスルーする技術(?)を学習してきたつもりです。一番大きかったのは、2014年、厚生労働省のポスターを厳しく「批判」した記事が、炎上し、今の言葉で言えばバズりました。(Yahooニュースにも出ました)

今思えば、めっちゃ怖かったですね💦

でも、「厚生労働省」(国家権力)を「批判」した一個人のブロガーが、その他大勢の国民に「誹謗中傷」を受ける、っていうのって、変だなぁ、って思ったんですよね。

ここに、誹謗中傷を克服する道が示されているように思うのです。

つまり、

力のない一個人を叩くのをやめて、

その怒りを国家や政治権力に向けませんか?

と。

誹謗中傷というのは、他の排斥同様、おそらくアドルノが言うように、「自分よりも弱くて、自分よりも幸せそうに見える人」に向かうんです。

先日自殺してしまった著名人もまた、「性的マイノリティー」という弱い立場にありながら、「テレビやネットで活躍する、華やかな芸能人」と認識されるような存在でした。

かの著名人は、世間的には著名な存在でしたが、社会全体で見れば、弱い存在でもありました。そういう人に、世人・俗物の妬みや嫉みによる怒りや攻撃性が向かうんですね。かつての「ユダヤ人」がそうであったように。

だから、そういう妬みや嫉みによる誹謗中傷を克服するためには、そういう「自分より弱くて、自分より幸せそうな人」に怒りを向けるのではなく、「自分より権力をもっていて、自分よりはるかに立場が上で、そして、自分よりはるかに贅沢をして、大笑いしている人たち」に向ける努力をしませんか?!、と。

そう提案したいのです。

一言で言えば、

誹謗中傷から、権力(者)批判へ!

です。

目指すは、やはりすぐにデモや暴動を起こす「フランス人たち」ですね。

フランスの人々は、(ドイツ人以上に)すぐに過激なデモをすることで有名です。

でも、彼らは、決して「誹謗中傷」をするわけではないんです。そうではなく、「体制批判」「政治批判」「権力批判」を(いわばストレス発散的?に)するんです。

しかも、そういう権力(者)批判は、自由民主主義社会では、「大事な権利」として認められているんです。欧米では、むしろ、この権力(者)批判を、常に、適宜、状況に応じて、何度も繰り返し、やっているんです。

日本人も、そろそろ、誹謗中傷を卒業して、(分かりやすく言えば)お祭り気分でデモやストをバンバンやりませんか?

日本人は、そういうデモやスト、あるいは国家権力への怒りの抗議(protest)を全然しないので、(人間なら誰しもがもっている)怒りや妬みや嫉みを、有名人やインフルエンサーや芸能人やタレントに向けてしまうのではないでしょうか?!

そろそろ、そういう「権力者ではない、幸せそうに見える一個人」を叩くのをやめて、溜まった怒りを、政治家や国家権力に(正しく)向けませんか?!

千葉人向けに言うのであれば、、、

芸能人やタレントを誹謗し中傷するのをやめて、

熊谷県知事を正しく批判せよ!

です。(*熊谷さん個人には何の悪意もありません…💦)

どの県にも知事はいるし、どの市にも市長はいます。

政権とて、今は自民党が政権を取っていますが、立憲や維新が政権を取れば、その立憲や維新を批判するんです。そう、批判は、権力というものがあるかぎり、未来永劫、できるんです!!!

多分、日本人って、すごく「権力(者)」に弱いんだと思います。

だいたい、戦後ずっと「自民党」の一党がずっと権力を独占していることに、何の疑問をもたない人たちですからね。野党がいいとか悪いとかの前に、「一つの党」がずっと権力の座に居座ることに、何の疑問も違和感ももたないですからね。

それでいて、ネット空間では、「野党」の誹謗中傷が腐るほどあるわけで、、、

簡単に言えば、「お上意識」ってことになるんでしょうけど、、、

そろそろ、その「お上」を疑い、普段誹謗中傷を繰り返している人も、そのお上=権力(者)=国家権力に、そのパワーを注ぎませんか?!

多分、これが、誹謗中傷社会を克服するベストな方法だと思います。

これ、激しいですけど、ヨーロッパの「日常」でもあったりします。

誹謗中傷は、個人を追い詰めるけれど、社会を変えることはない。

権力(者)批判は、民主主義社会における市民の使命であり、社会を変える力をもつ。

誹謗中傷をただ封じるのではなく、それをきちんと封じるためにも、デモやストといった欧米の市民の「戦い方」をしっかり教え伝えていく必要もあるのではないか、と思うのです。

それは、例えば「シティズンシップ教育」と言ったりもします。

日本の教育は、これをちゃんとやれていません。誰も、「市民としての戦い方」を学んでいないんです。

僕は、予備校生時代、一度、予備校の先生の呼びかけで「デモ」に参加したことがあります。「シュプレヒコール」を叫んで、気持ちがすっきりしたことを覚えています。

その後、僕としては、「言葉」で戦おうと思って、必死に勉強して勉強して、「言葉」という武器を磨いていきました。

そういう「学び」が、日本には、本当にどこにもないんです。

誹謗中傷する人を誹謗しても、何も変わりません。

誹謗中傷している人自身、きっと漠とした怒りや不満や妬みや嫉みを抱えているんだと思います。

そういう誹謗中傷する人を生み出さないようにするためには、やはり「他の方法」を知る必要があると思います。

僕は、それを「ロック」で学んだと思っています。

このPVもまた、すごく「戦闘的」な動画になっています。

僕らはみんな、色んな怒りや葛藤や不満や不安を抱えていきています。

それを封じるだけでは、この世の中はよくなりません。

そうではなく、「正しい戦い方」をしっかり教えていかなければいけないんです。

キレイゴト抜きに、生きるっていうことは、戦い続けることです。

負けてもいいんです。負けてもなお、這い上がってまた戦っていくんです。

負けて、負けて、負けて、また戦うんです。

人間は、生まれてきてから、死ぬその時まで、ありとあらゆるものと戦っていくんです。

そして、戦い続けていく中で、「仲間」が生まれ、「友情」が芽生え、「愛情」を知って、「守るべきもの」をもつようになって、そして、自分たちを本当の意味で苦しめる奴ら(権力(者))に刃を向けるんです

それが、(東側ではない)西側のコモンセンスなんです。

西側の価値観を共有する日本人なら、できるはずなんです。

そのためにも、誹謗中傷をやめて、批判することを始めましょう!

自分よりも居心地のいい椅子に座っている、中身のない権力者たちを。

自分よりもはるかに権力をもっていて、僕らを縛り付ける奴らを。

自分よりも金も地位ももっていて、しかもそれが守られている者どもを。

批判しまくりましょう!(中傷はダメですよ!)

それこそが、きっと「誹謗中傷」を克服する唯一の道なのではないでしょうか?!

PS

ただ、誹謗中傷する人たちは、もしかしたら「権力者の恩恵を受けている人」かもしれません。権力者(たとえば自民党)から利益的な恩恵を受けていて、ある程度以上のお金をもっていながら、お金以外の部分で(つまり愛情的な不足による)「苦しみ」を抱えている人である可能性もあります。そうなると、「権力(者)批判」はできなくなります。ルサンチマンを抱えた社会的中流の人たち(例えば公務員など)が誹謗中傷しているとすると、今回のこの話の前提がすべて壊れてしまいます。ドイツの「普通の人々研究」では、この点も指摘されています。

誹謗中傷を克服するための理論が「批判理論」かな?!、と。

批判理論を学びましょう!!

ホネットも『権力の批判』という本を出しています!

コメント一覧

成田の猫好きオヤジ
防衛費増額、改憲推進とか、マイナンバーとか、どうなんでしょうかねぇ…  この時期にいつも思うのは、義務教育敷地内での熱中症。何で安全で安心して過ごせる環境を保証しないのか。
そして、所得増を上回る物価高騰。政治の無策の結果、怒り心頭ながら、野党は頼りない。どうしたものやら…
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