Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

2011年も『Dr.keiの研究室』をどうぞよろしくお願いいたします。

とうとう2010年も終わってしまいました。

僕は1975年生まれ。35年の時が過ぎていきました。

世の中は、かなり苦しい状況下にあります。戦後の復興を終えて、経済発展を終えて、とりあえずのデモクラシー(民主主義)が世に広まり、「個人」が尊重され、ほとんどの人がマイカーをもち、ひととおりの近代的な暮らしができるようになりました。

それでも、世の中の裏側をのぞけば、色んな問題が山積しています。「餓死」はほとんどなくなりましたが、「孤独死」や「自殺」は減りません。車社会ゆえに、「事故死」する人もとても多いです。その数、4863人(このところ減少傾向にはあるが、それでもすごい数だ!)。医学や医療の発展のおかげで、人は死ななくなりましたが、その半面で、超高齢社会を生きなければならず、社会保障費も増えるばかりです。

人とのつながりもますます薄くなり、「無縁社会」という言葉が流行り、「孤族」(単身独り身世帯)を生きざるをえない人も増えました。家族の崩壊は止まらず、男女、親子関係は極めて脆弱なものになりました。(先日、某居酒屋にいきましたが、グループのほとんどが、「男子会」と「女子会」になっていました。男女楽しく酒を交わすということさえ難しくなってきたのかもしれません)

でも、その一方で、ネットを通じた交流はますます活発になってきています。mixiやツイッター、スカイプ、face bockなど、色々なメディアを通じて、人と人との交流も盛んになってきています。ブログは、コミュニケーションのツールというよりは、情報の伝達機能として、細々と生き残っている感があります。僕のブログでも、ときおりコメントをいただきますが、それほどface to faceの関係って感じでもありません。それでも、ブログをやっていると、人との出会いがあったりもします。

人は、やはり人に飢えているのかもしれません。欲しいものがなんでも買える時代だからこそ、お金で買えない人間の温かさややさしさや気遣いが欲しいのかもしれません。でも、そういう温かさややさしさや気遣いは、欲しているだけでは手に入りません。お金でも買えません。だから、みんな途方に暮れるんだと思います。

誰も、人のぬくもりや温かさややさしさや気遣いを得る方法を知っていないのです。学校でも習ってないのです。これまでの教育システムでは、いかに物的な世界を生きるか、ということに力点を置いてきました。戦後を生き抜いてきた人たちも、物的な世界の処世術しか学んできていません。もちろん道徳や哲学や倫理といった学びもあったかと思いますが、現実社会の孤独の問題とは切り離して考えてきたと思います。

今、まさに人間は、まったなしの孤独の個を生きなければならない社会にいるのです。

寂しさを埋めるために、結婚をしても、子どもを作っても、その家族を保障してくれるものは何もありません。寂しさや孤独から逃げて、物的世界に身をゆだねても、すぐに寂しさや孤独はしのびよってくるのです。それを紛らわすために、酒を飲んでも、ネットをいじっても、仕事に没頭しても、すぐにふと寂しさや孤独を感じてしまうのです。もちろんすべての人間がそうだとは思いませんが、今の時代を生きる同時代人に共通する大きな問題だと思います。

不平等や格差の問題はありますが、これからはそんなに大きな発展があるとは思えません。大きな発展があったとしても、大企業や投資家たちにのみこまれ、一部の人間の利益を産むだけです。むしろ、逆に「発展神話」をやめて、素朴な生き方を見直す時期にきているのではないでしょうか。

こんな時代だからこそ、僕らが賢くなる必要があるのだと思います。「ずる賢さ」ではありません。賢い人間を増やすことが、こういう不安定な時代には最も大切だと僕は思っています。どんな人間が賢いのかは、僕には分かりません。でも、誰でも、「誰が賢い人間か」については見分けることができると思うんです。僕らはそんなにバカでもないと思います。「賢い人間」と「賢くない人間」は見分けることができると思うのです。

賢い人間は、金持ちや権力者とはまた違う要素をもっています。僕らは、生きていかなければならない手前、金持ちや権力者にすりよりたくなります。仕事をくれる人、ビジネスチャンスになりそうな人、役に立ちそうな人、有力なコネになりそうな人。そういう人は、生きていく上で、とても重要になります。が、それでも、きっとそういう人のことを尊敬したりはしないでしょう。たとえ(目がくらんで)そういう人を尊敬していたとしても、実利が自分に向かなければ、尊敬することをやめてしまうでしょう。そういうものです。

僕自身が賢い人間だとはちっとも思いません。バカです。でも、誰よりも強く、「賢くなりたい!」、と思います。そのための歩みがこのブログだったりもします。昨年まではラーメンの記事+αみたいなところがありましたが、今年からはもっと「僕」という人間の考えを表にだしていきたいと思っています。ブログを始めてからのこの5年、本当にラーメンをおっかけてきました。ブログを書くためにラーメンを食べているんじゃないか、と多くの人に言われました。この5年で、食べ残しをすることも増えました(よくないことです)。もうそろそろ、次のステップに進んでもいいのではないか、と思うようになりました。読者のみなさまと共にに、もっともっと賢くなっていきたいと思うのです。

***

さて、私事になりますが、今年の僕の大きな究極の目標を二つ立てました。

一つは、「赤ちゃんポスト」の本の原稿を完成させること

もう一つは、痩せることです。ここに、「ダイエット宣言」をしたいと思います。

この二つに絞って、徹底的にやりたいと思っています。これ以外の目標は全部そのおまけとします。ラーメンに限らず、この数年、外食をかなりしてきました。外食はすごく魅力的なものでありますし、端的に美味しいですし、楽しいです。でも、なんでも「し過ぎる」とダメですよね。外食しすぎた結果が今の僕の体重ですからね(苦笑)。なので、とにかく、食べない!そして動く! この1年間、それを目標にしたいと思うのです。

もちろん、ラーメンもちゃんと定期的にご紹介していきたいとは思っています。ただ、昨年のようにはいかないと思いますので、その点はご了承ください。次の記事でも書きますが、昨年度で、杯数を意識した食べ歩きは終了です。もう、あれ以上の杯数は出せる気がしませんし、また、それを狙うことは健康上・経済上あまりよくありません(でも、一度くらいはチャレンジしたいと思うのが、男魂なんですよね…)。昨年の食べ歩きで、杯数的な満足感は達成されました。山本達人みたいに1000杯とかって絶対に無理ですが、自分なりには相当頑張ったと思います。これからは、一人のラーメン好き&ラーメン研究者として、適度に食べていきたいと思います。

では、みなさまにとっても、2011年が最高に素晴らしい年でありますように。

コメント一覧

kei
hannaさん

結局は、各種メディアを使いつつ、どう生きるかって問題ですよね。メディア機器が豊かになっても、使う僕らがスカスカなら、結局は何にもならないと思います。

ドイツ語頑張ってくださいね。なかなかすぐに上達!ってわけにはいかないと思いますが、、、、好きこそものの上手なれ!ってことで。

今年もいい年にしたいところです。
Hanna
あけましておめでとうございます。

 素敵な記事をありがとうございます。
こちら、ドイツシュツットガルトのアントロポゾフィー、クリストステマインシャフトの大晦日ミサでも、Herrデーブスさんが上記のようなことをおっしゃっていました。
今年、アメリカで一番注目されたのが若干20代のFACEBOOKを作った少年だと。しかし、そのFACEBOOKは私たちに何をもたらしたのかと。
その少年がもたらしたものが全てだとは私は思いませんが、私たちがネットを使う上で、どのように使うのかも問題となってくるでしょうね。
 人がFACEBOOKを求めるのは、実は現実で満足できていないから、ではないでしょうか。「リア充」は本当はかなりすくない。
 確かに、関係を結んでいくこと、どのように人生をいきればいいのかなんて、学校では習いませんもんね。今の教育は本当にどこをめざしているのでしょうか。教育の原点も見直さなければならないと思います。

 そして、人間の「主体性」。企業やCM、はては見栄や人間関係のせいで私たちは消費するのではなく、「させられている」時代だと思います。本当に必要なもの、つねに、「本当に必要か?」と自分自身に自己教育を行うことを忘れたくないです。

 では私も自己宣言。
 ドイツ語もっと勉強する。・・・・
 いいですね、宣言は。
 自分にカセをはめる。心もびしっとします。

 では今年もケイさんにとってよい年でありますように。
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