福井の旅の途中、
東尋坊
に行ってきました。
東尋坊は、「波の浸食によって荒々しくカットされた断崖絶壁が続く奇勝地」。
国の天然記念物に指定されています。
「これだけ大規模なデイサイト(近年の調査研究により)の柱状節理は世界的に珍しく、朝鮮半島の金剛山・スカンジナビアのノルウェー西海岸と並ぶ、地質学的に大変貴重な場所」、と考えられています。
たしかに、自然の芸術美、みたいなものを感じます。
人間には作れない崇高な感じがしました。
東尋坊の全体像は、こんな感じ。
僕は、この東尋坊から、雄島まで、約1時間ほど、歩きました。
この道沿いは、美しくて、綺麗ですが、、、
その一方で、自殺をする人も多いんだとか。。。
地政学的な解説も充実していました。
こういう自然科学的な話って、純粋に楽しいなぁって思います。
社会科学や人文科学と違う「すっきり感」があります。
「へー、そうなっているんだー!?」って。
…
でも、僕が、東尋坊で見たいと思っているのは、ここじゃないんです。
これです。
「救いの電話」。
ここ、東尋坊付近では、自殺者が多いと言われています。
実に、年間24人ほども。
東尋坊は、日本国内でも、有名な「自殺の名所」になってしまっているんです。
東尋坊の中心的な場所には、観光客がいっぱい集まっています。
最初は、ここで自殺をするのか!?と思ったのですが、どうやら違うようでした。
いわゆる「観光名所東尋坊」からは少し離れたところで、起こっているようでした。
少し離れただけで、静かで寂しいところにがらりと変わります。
そんな静かなところに、ありました。
いのちの電話ボックス。
この電話ボックスが見たくて、ここに訪れました。
いわゆる「赤ちゃんポスト」(赤ちゃんボックス)の研究をしている僕には、
何か、通じるものがあるんじゃないか、と思い、、、
人目のつかないところ、というとあれですけど、、、
人目の少ないところに、設置されていました。
普通なら、「なんでこんなところに、電話ボックスが!?」ってなると思います。
死のうと思っている人にとっては、ここが最後の「つながり」のチャンス。
この先には、「断崖絶壁」しかないんです。
ここで、電話をかけるかどうか。
ここで、誰かとつながれるかどうか。
この電話ボックスの前で、死にゆく人は何を思うんだろう。。。
こんな記事も掲げられていました。
月光仮面さんという方が、電話の向こう側にいるみたいです。
聖書も置いてありました。
やっぱり、最終的には「宗教」が人の支えになるんですよね。
「赤ちゃんポスト」自体は非宗教的ですが、その全体を支えているのは、キリスト教でした。
ここでも、新約聖書ですし、キリスト教がベースになっていることが分かります。
…
そうなんだよな、、、
結局は、「行政」じゃなくて、「宗教」なんだよな、、、
「教育」も、もともとは、「宗教的」なものだったし、、、(ちょっと複雑だけど、、、)
その隣には、「パワーフォーリビング」なる本が置いてありました。
目次はこんな感じでした。
これで、救われる人もいるのかもしれない。。。
(ただ、もう少し、いい本があるんじゃないかな、ともちらっと思ったり、、、)
こんなものもありました。
「架けて下さい」。。。
ここは、死にゆく人にとっては、最後の地点になるのかな。
この先は、断崖絶壁。。。
A precipitous cliff.
崖がむき出しになっているので、飛び込もうと思えば、どこからでも飛び降りられそうです。
でも、想像していたよりも、崖自体は高くなくて、普通に、飛び込みジャンプして泳いでしまいそう。
あくまでも、印象ですが、、、
でも、さらに奥にすすむと、こんな感じになります。
10分も歩けば、誰もいない静かで孤独な世界に入り込みます。
本当に、誰もいません。
静かです。
「思い出せ 家族の顔や 友の顔」…
思い出せる家族がいる人もいれば、
思い出したくない家族しかいない人もいれば、、、
…
複雑な気持ちになりました。
死んだ人はもう何も語りません。
想像しかできないんですよね。
死に場所を探している人は、このボードを見て、何を思うんだろう…。
まったく分からない、、、
「死にたいと思った人」の話は聞ける。
でも、「死んだ人」には話は聞けない。
…
そして、1時間ほど歩くと、こんな赤い橋の前に到着します。
雄島まで、直線でつながっています。
この島もまた、何とも言えない寂しさを感じますね。。。
神の棲む島、らしいです。
どこか、神秘的な何かを感じるような島でした。
この先に、階段があります。
森に覆われて、先は真っ暗です。
少し怖いですね。
この先には、何があるんだろう、、、
…
というような感じでした。
旅先で、「いのち」について考える。
こういうのも、大事だなって思いました。
僕の原点は、<生の哲学>です。
生の反対に、死があるわけじゃないんです。
生の中に死があり、死の中に生があるんです。
生と死から目をそむけずに、これからも生きていきたいなぁって思いました。
お金でも、名誉でも、地位でも、社会的承認でもない。
生きることそれ自体が、生きる目的なんだよな、って。。。