僕が大学三年になった時、つまり1997年4月に、
僕は代々木にある「ハイデルベルク」というドイツ語学校に通った。
大学一年からドイツ語は勉強していたけど、
大学の勉強だけだとどうしても会話能力は上達しない。
もちろん文法はそれなりに学べたけど、
生きた会話は学べない。
大学二年の最後にドイツ留学を希望し始めた。
きっかけは大学の恩師の一言だった。
「君は勉強熱心だから、ドイツにでも行ってきたら?」
それまでは中学校教師になるぞ!と固く決めていたが、
この言葉でその思いが揺らいだ。
「このまま、教師になっていいのか?」、と。
時代は就職氷河期。どんなに勉強しても採用数がとても少なく、
相当勉強しないと採用試験に通らない、
それどころか、採用の枠があるのかどうかも怪しかった。
(その当時、調べたら自分の教科だと千葉採用0とあった)
採用試験の勉強は、一般教養と専門科目。
専門科目はいいとしても、一般教養は大嫌いだった。
嫌な勉強・知りたくもない一般常識を青春時代に勉強するのと、
好きな勉強をとことんやり抜くのと、どっちがいいのだろう?
と、ホンキで悩んだ。
(公務員の採用試験は本当に苦しい。自分を殺さないとダメ)
(今も、ときおり一般教養の試験を見るが、とても好きになれない)
それだったら、ドイツに行って、好きな勉強を徹底的にやった方が
いいんじゃないか、と。
その当時、僕は心理学と哲学とドイツ語にはまっていた。
教師にはなりたかったけど、教育学にはあまり惹かれなかった(汗)
むしろ教育を考える上でも、心理学と哲学が最も大事じゃないか、
って思うようになっていた。また、教育を根本から理解するなら
ドイツ語ができなきゃダメなんじゃないか、
って考えるようになっていった。
そこで四月からドイツ語をホンキで学び始めて、
大学が提携しているドイツの大学の交換留学生として、
ドイツに行くことを目指した。
大学三年生の時は、
多分人生の中で最も勉強した一年じゃなかったかな。
当然、ドイツ語のみならず、ドイツに関わるあらゆる学問を学んだ。
(この時期にハイデッガーを無我夢中で読んでいた)
その舞台となったのが上の写真の場所だった。
新宿から代々木方面に向かって歩いて、
京王?小田急?の踏み切りを渡ってすぐのところに、
僕が愛した「ハイデルベルク」という学校がある。
ここで色んな人と出会えた。
大学の先生、アーチストの卵の人、
ピアニストや神父を目指す人
仕事を辞めて新たな人生を探す人、
他じゃ出会えないような人とたくさん出会えた。
同じクラスでいつも僕のパートナーになってくれた人は、
T大学の法学部の博士課程の人で超頭の良いお兄さんだった。
僕のことも弟のようにかわいがってくれて、
ドイツ語のみならず、色んなことを教えてくれた。
みんな夢を追う人ばかりだった。
ドイツに夢を求める人ばかりだった。
夢をもった人たちが集まる学校がハイデルベルクだった。
もちろん僕も夢を見ていた。
もしドイツに行くことができたら、大学院に行って、
大学の先生を目指す。
もしドイツ行きが無理だったら、
それはそれとして、中学教師を目指して頑張る、
と。
そして、この場所で一年間たくさん学んで、
ドイツ、コンスタンツへと僕は飛び立っていった。
***
あれから11年。
あっという間だったような、長かったような・・・
あの時の僕よ。
君の努力はしっかりと報われているぞ!
と、心の中でちょこっとつぶやいた。