2011年1月31日をもって、ペリエ閉店と共に、
僕の原点となる『レストランブル』(グラタン屋ブル)が30年の歴史にピリオドを打ちました。
このブログでも、時折紹介してきましたが、ついに終幕となってしまいました。
僕とレストランブルの出会いは、今から20年前。
僕が16歳の時に、調理師学校の調理実習先だったのが、レストランブルでした。
あの時のことは今でもはっきりと覚えています。色んな思い出がつまっています。
(ダイインクライスが当時のバックミュージックでした!)
料理の奥深さや、料理の楽しさ、そして料理の厳しさを、僕はここで学びました。
(実習先って、やっぱ重要かもしれませんね…)
でも、何よりも、ブルの斎藤チーフとの出会いは大きかったです。
今になって思うのは、僕は斎藤チーフの作った料理が大好きだったってことです。
20年前から、作るより食べる方が好きだったんですね(^^;
素直にファンでした。
そんなチーフに、『お前、そんだけ勉強が好きなんだから、大学行けよ…』、
と言われたのがきっかけで、大学に行くことを決めました。
調理師&バンドマンを辞めて、学問の道に進んだのは、チーフの一声があったからです。
話が長くなりました(^^;
30日、閉店イブにブルに行きました!
僕の大好きだったチキンドリアと山菜エビピラフをいただきました。
どちらも、20年前から変わらないやさしくて美味しい味でした。
ブルのホワイトソースは絶品でした。これをご飯にかけて食べると美味しいんですよねー。
ピラフは、涙ものでした。うまく言葉にできませんが…
あ、ちなみに作り方は知ってますよ(^O^)
だって、かつては僕がピラフを炊いていたんですもん(^O^)(^O^)
この配合が素晴らしいんですね☆
最後に、斎藤チーフ自家製のプリンを頂きました。
このプリンも大好きでした。いつも夜のラストオーダーの時に、チーフが作っているのを眺めていました。
もっと真面目に作り方を学ぶべきだった(;_;)
とうとう、レストランブルはなくなってしまいました。
30年、お疲れ様でした。30年お店を続けるのって、スゴいことですよね。
僕の学生も、よく小さい頃に来た、と聞きます。
もしかすると、僕が作った料理を食べていたかもしれませんね。
でも、時期はちょうど重なってるんですよね。
ブルのみなさま、長い間、お疲れ様でした! そして、ありがとうございましたm(__)m
レストラン・ブルなくして我が人生はありませんでした。本当です。嘘ではありませぬ☆
あと、もう一人心から感謝している人がいるんです。
ここのオーナーの娘さんです。彼女は僕より二つ上でした。
彼女自身もう覚えていないだろうけど、
僕がブルを辞めるときに、手紙をくれたんです。
その手紙の言葉が後の僕に強い力をくれたのです。
まだ、そこに書かれたことは達成できていないけど、僕の人生の道しるべになっているんです(^O^)
本当にブルが好きでした。
GOOD BYE FOREVER...