振り返ると、、、
色んな意味で辛く苦しい44歳の一年でした。
44歳になる直前に父が他界し、その頃から尿管結石に苦しみ(出て来た石は過去最高に大きかった…)、
仕事に忙殺され、なかなか研究も進まず、、、
10度目となるドイツ修養の旅は無事に終えつつも、その後はコロナ禍一色で…。
色んな意味で、物騒で騒々しい一年だったかなって思います。
44歳ですからね。死死の歳でした。。。
でも、なんとかまだ生きています。生きながらえています。
(みなさん、44歳は要注意ですよ!苦笑)
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というわけで、例年通り、誕生日スペシャルで記事を書いておきたいと思います。
この記事を読むと、43歳の自分と44歳の自分とでは、経験構造が全然違っているなぁって気づかされます。
やはり「コロナ禍」の影響はかなり大きかったとも思います。
例年通り、トピックスに合わせて、記述していくことにしましょう!
ACTIVITY
昨年以上に、静かで地味だった1年になりました。この数年、色々と「社会活動」が活発でしたが、この1年は静かに過ごせた気がします。が、水面下で、地味に講演やら講習やらはあって、また校務も色々増えていて、暇ではありませんでした。
ただ、新型コロナの影響で、膨大な(何もしない)時間ができて、その影響で、僕の理想とする「何もない時間」を生きられたことは、貴重な機会でした。本をいっぱい読めたのはよかったです。(学者の仕事は本(論文)を読むこと、なはずなんですけどね…)
BODY
44歳を振り返ると、「身体」への関心がとても強くなってきています。若い頃は、「身体」よりも「精神」の方に興味があって、心理学を勉強したりもしましたが、今は、あんまり「精神」や「心」に興味がいかない、と言いますか。いや、身体性の欠如した精神や心に興味がない、という感じかな。
あと、44歳になって、遂に「老眼鏡デビュー」しました(;;)。もう「肉眼」では、近くも遠くも見えません。老眼鏡がなければ、本も読めなくなりました。老眼鏡を手にした時に、「嗚呼、もう、僕は下り坂を歩いているんだ…」って思いました。
尿管結石も今や、慢性状態。いつ、どこで結石が再発しても驚かなくなりました。44歳の夏、過去最高に大きな石が身体から出てきたときのことは一生忘れないかと思います。
気持ち的にはまだまだ「若い!」って思っているのですが、身体的には、確実に「老い」を感じています。ただ、まだ、とりあえず元気に生きています。それだけでよしとしたいと思います。
SOUL
身体は老いていく一方で、精神的にはまだまだ元気かな、と思う1年でした。大きな野心みたいなものは、ホント木っ端微塵に砕けましたが、小さな野心はわりとまだまだいっぱいあるかな、と。
43歳の時は、「無」について研究していたので、無心とかなんとか言っていましたが、まだまだ無にはなれそうもないなぁというのが、今の心境です。大きな野望こそもうありませんが、やりたいこととか挑戦したいこととかまだまだあるし、そういうSOULは結構まだあるなぁ、って思います。
ただ、そういうSOULはあっても、BODY=身体がついていかない、っていうのが一番の悩みの種ですかね…。
STUDY
研究に関しては、一つ大きな仕事を成し遂げました! 44歳のこの1年の中で、「一生もんの仕事」をした気持ちになっています。
それは、イギリスの老舗出版社Routledgeから出ました『Manabi and Japanese Schooling』という本です。研究仲間5人で書いた本ですが、僕のこれまでのほぼ全てを詰め込んだ二章分の原稿を英語で書きました。大げさに言えば、この本が出て、自分の一生モノの「作品」ができた!と思っています。NothingnessとSelflessnessという視点から、日本の学びについて論じたもので、この観点があれば、ほぼ全ての日本の学校教育が説明できると思っています。
あと、「愛することを学ぶこと」という論文を書きました。この論文は、ずっとこのブログでも論じてきた「愛すること」についての教育可能性を問うものになりました。日本人は、「金を稼ぐこと」のために勉強します。受験も、結局は「いい大学」→「いい就職」→「いい企業」という動機付けで行われています。なぜ勉強するのか?の答えは、この国では、「いい就職先に勤めるため」でしかないんです。欧米では、主にキリスト教の思想(利他主義)が人々のベースにあって、その上に「勉強」「学問」が乗っかってきますが、日本にはその土台が(ほぼ)ないんです。動機が全部、自分のため(利己主義)なんです。そこを改めて問い直してみました。
44歳のこの1年で、「悲願の海外デビュー」と「念願の愛の教育学の論文執筆」ができたことは、自分にとってとても重要な経験となりました。
EDUCATION
教師としての僕は、この一年で、色々大きく変わった気がします。言葉ではうまく言えないのですが、一言で敢えて言えば、「ナチュラル」になったかな、と。
昔は、やっぱりどこかで「舐められてはいけない」「威厳をもたなければいけない」「尊敬されなれなければならない」という観念があって、どこか「不自然」だった気がします。それはそれで、「全力投球」でやっていたってことなんですけど、その「̚カド」が取れたといいますか。「もう、舐められていいや」「威厳なんて、そもそも僕にはないや」「自分は尊敬されるような人間ではそもそもなかった」、と思うようになり、それより、「ちょっとでも、学生たちの成長のために貢献できたらそれでいい」と思うようになりました。
何よりも、学生たちが本当の意味で「子ども」のように見えてきたんです。「小さいなぁ」「幼いなぁ」って(苦笑)。「話せば分かり合える」という前提が壊れた、とも…。「子ども」「外国人」「宇宙人」みたいに見えてきたというか。自分とは全く完全に違う存在として、学生が見られるようになってきた、とも言えそうです。
なので、子どもと接するように、外国人と接するように、学生とも接することができるようになってきたんです。もちろん、それに気づけたのも、失敗があってのことですが…(;´・ω・)。
これが「正しいこと」なのかどうかは分かりません。実感としては、「自分の教育活動がより虚しくなった」という気もしています。でも、そもそも「教育とは虚しいものである」と(僕の憧れの)斎藤喜博先生も書いておられました。きっと「虚しいもの」なんだと思います。でも、それが、本当の教師への第一歩なのかもしれません。
また、コロナ渦で、学生たちに「pity」の心が生まれつつあります。「学生たちが憐れだ」という気持ちです。学校での学びがズタズタに引き裂かれ、わけのわからない「遠隔授業」に振り回され、教員との「教育関係」も想像以上に希薄になり、「pity」の心しかありません。45歳の僕は、このpityの気持ちをベースに、よりナチュラルに教育活動をしていきたいなぁと思っています。
RAMEN
ライフワークである「ラーメンの探求」。44歳のこの1年も、色々食べ歩きました。ローカルな千葉、ナショナルな国内、グローバルな海外、どれもとりあえず食べ歩くことができました。オーストリア・ウィーンのラーメン界の激変には驚かされました。昨年12月には、香港での食べ歩きもできたはずなんですが、香港の激しいデモで行けなくなったことは、とても残念でした。
ラーメンブロガーとしても、15周年を迎え、16年目を邁進しています。今や、完全に「ブロガー時代」ではありませんが、まぁ、それでも、とりあえずアクセス数はどーんと落ちていませんし、一定のニーズくらいはあるのかな?、と思い、毎日更新することを目標に、書き続けてきました。
15周年記念で書いた【Dr.keiの研究室【15周年記念 Part.3】 25 Greatest Ramens 2008-2019】という記事が、44歳の僕にとってのメモリアルな記事になりました。
ROCK
44歳のこの1年で、それほどガンガンにバンドがやれたわけではないですが、第二期NEIN!として、学園祭ライブを無事にやり終えたことはとてもいい経験になりました。
昨年10月~11月は、本当に幸せな日々だったなぁ…(;;)。長年、バンドや音楽活動をしていますが、「初期衝動」を感じながらのバンド練習~ライブができて、本当に喜びいっぱいでした。
ただ、現メンバーでのオフィシャル?なライブはまだできていないので、それだけが残念です。コロナ禍で、スタジオでの練習もできなくて、、、。
それから、44歳の晩年(?)、3月から5月にかけて、新曲のレコーディングがいっぱいできたのは、予期せぬ喜びでした。自粛要請により、仕事ができなくなり、レコーディングするだけの時間と余裕が生まれました。
改めて、ここに動画を張り付けておきたいと思います。
ホント、心からこれだけの曲が作れてよかったなって思っています。
自分の人生というか、人生の中心に、「音楽づくり」があるんです。
なのに、この数年、仕事やらなんやらに追われて、音楽づくりが全然できていませんでした。曲はできるんですが、レコーディングとなると、どうもスイッチが入らなくて、、、(それだけ、仕事やらなんやらに忙殺されているってことなんでしょうけど、、、)
今回、久々に、10代~20代に戻った気持ちになって、無我夢中で作りました。今回は、「BLULUV」(青い恋愛)がテーマです。青い恋愛がテーマなので、音もあまりゴリゴリにしないで、ギターもザクザクさせないで、綺麗にまとめてみました。こういう試み自体、初めてで、「脱ROCK」って感じで、チャレンジしてみました。(なので、バンドマンたちからはあまり評判がよろしくない…)
でも、今回、新曲をいっぱい作ってみて、自分のルーツが見えた気がしました。もちろん、BUCK-TICK、X JAPAN、D'ERLANGER、ZI:KILL、LUNA SEA、SILVER ROSE、黒夢、ラルク、GLAYあたりが僕の基本なんだけど、それに加え、ジャニーズの音楽(光GENJIや男闘呼組、あるいは少年隊や近藤真彦や田原さん)にも強く影響を受けているんだなぁって…。(僕の声は近藤真彦さんに似ているってよく言われるんです♪)
売れるとか売れないとか、巧いとか巧くないとか、もうそういう次元では音楽に関わっていません。音楽は人生だし、人生は音楽だし、音楽と共に生きて、音楽と共に死ねればそれでいいかなっていう、、、。僕が死んだら、お葬式で、僕の曲をガンガンにいっぱいかけてもらいたいです。お願いいたします…。(あと、できたら、ボーカル三好君、ギターはMayo、キーボード手塚、ベースふたちゃん、ドラムは光太で、演奏してもらいたいです…苦笑。スタッフはばーちで(爆))
ROCKについて語るときりがないのでこの辺で、、、(;´・ω・)
僕はまだ枯れてません。枯れないで生きてます。世の中に幸い絶望していません。
45歳になるのに、ちっとも「大人」になっていません(苦笑)。「ガキ」のまま、45歳を迎えることができました。未だに、「夢は武道館!」って本気で思ってますもん(大汗)。
偉そうに、上から目線で、分かったようなことを、分かったふりして、説教たれる中年になりたくない!って思ってますもん。「先生」と呼ばれる仕事だけど、「先生」としての自覚なんてないですもん。「先生であるまえに、人間じゃ、ボケ!」って思ってますもん…(もう、やめておきます)。
44歳の1年を振り返っても、失敗ばかりだし、人に迷惑かけてばっかりだし、空回りしまくりだし、暴走しまくりだし、ホンキのホンキで「アホ」だと思いますもん、、、(;´・ω・) いい歳して、ヘタクソな音楽を作って、動画をupして、「聴いて~」って、どんだけ身の程知らずなんだ!?って、、、
でも、そういうアホな大人がいていいじゃないかって。損得抜きに、愛を叫びながら、楽しく自由気ままに生きる中年のおっさんがいてもいいじゃないかって。
まぁ、自分の能力もだいたい分かっているし、これから何かでっかいことができるとは思ってません。組織の中でも、まぁ、これ以上、上に行くこともないでしょう(;´・ω・)。偉くなる見込みもないし、多くの人に称賛されるような社会事業ができるような器でもございません。
地味に地道に、今自分にできることをしっかりやっていくだけかな、と。45歳も、これまで同様、(本当に)すべきことをしっかりやって、少しでも誰かのためになる(小さな)ことをし続けたいなって思います。
…
最後に、ちょっと自慢してもいいですか!?
誕生日を迎えた日になった直後に、ある学生からLINEでメッセをもらいました。とっても感動したので、ここでご紹介いたします。(本人の許可はもらってます&一部修正してます)
お誕生日おめでとうございます!
オーキャンの映像を撮影している時に改めてこの学校に入って1番良かったことはなんだろうって考えた時にkei先生のいるドイツ語クラブに入れたことだなって思いました!そのくらい、私にとって先生は憧れで、保育者になる前に先生から色々学べるのは本当に幸せです!卒業まで1年もありませんが、それまで沢山のこと学び続けたいと思います!これからもよろしくお願いします🙇🏻♀️
こんな風に(まだ)言ってもらえるんです。ホント、ありがたい限りです。
今年度の学生は、来年ドイツには行けないかもしれません。コロナ禍で、飛行機に乗れないかもしれないし、学校からの許可も下りない可能性もあります。連れていきたい気持ちはありますが、こればかりはどうしようもないと言いますか。それでも、僕と一緒に、ドイツ語や教育や保育や哲学について勉強したいって言ってくれている学生がいるうちは、こっちも(いつもどおり)ガチでやりますよ。
45歳になりました。でも、年齢に囚われず、「きっと誰もが楽しく生きられる・・・はず」という希望を忘れずに、一日一日を「全力投球フォアボール」の精神で、「波に揉まれてなお沈まず」という気持ちで、死ぬ時まで生きていきたいと思います。
来年、46歳を無事に迎えられるかなんて、誰にも分からないですからね…
サヨナラ、44歳の僕。