実に、20年ぶりに広島にやってきました!
前に来たときは、たしか20歳か21歳の時。
あれから、20年の月日を経て、再び広島へ。
今回の目的は、自分の研究について話すこと。
つまりは、
(僕如きですけど)講演・講習のために広島にやってきました。
こうやって、広島に呼んでくれた方々には心から感謝します!
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今回泊まったホテルは、上の画像のホテル♪
広島の人なら、きっと分かってくれるはず!
一応、この界隈では一番大きなホテルです。
とはいえ、ANAのプランで取ったもので、値段的にはそんなに高くないんです。
僕はスターアライアンスグループの会員なので、ANAを使います。
(マイルを貯めることが、僕の隠れた楽しみなんです☆)
それに、このツアーを使うと、飛行機×宿泊費がかなりリーズナブルなんです。
広島の中心の「平和通り」は、
クリスマスモード一色でした。
そうかー。もうすぐ、クリスマスかー。
まぁ、僕には、何の関係もないことですけど、、、
(心の中では、イエス様の誕生をお祝いしていますが… 洗礼は受けてませんが…(-_-;))
個人的には、この曲がリフレインしていました。
クリスマスの気分って、何歳になってもいいもんですね☆
で、ホテルからの眺め。
18階のお部屋でした。
地方だと、駅じゃなくて、「バスセンター」が中心ってことが多いんですね。
なので、宿泊も、駅チカではなく、中心に近いバスセンターの近くに!っていうのが鉄則かな、と。
熊本もバスセンターの近くが繁華街だし。
広島は、ホント活気がありました。
夜の繁華街も、真夜中まで大勢の人でにぎわっていました。
広島って、何気に、高い建物がすごく多いんですね。
それに驚きました。
人口に対して、土地の面積が小さいっていうか。
横に広げられないから、縦にのばしていくしかないっていう事情もあるんだろうな、と。
…70年前。
この辺り一面が、原爆によって焼かれ、そして廃墟になったんだ、と思うと、、、
なんともいえない気持ちになります。
さて。
土曜日。
大学院生や大学の先生たちと特別ゼミを行いました。
僕がしゃべるだけじゃなく、広島の先生の発表も聞かせてもらいました。
この発表がとてもよくて、いい意味で刺激を受けました。
「助産学」の視点から、「妊婦をどうやって支援するか」という話になりました。
久々に、大学院生たちと交流して、自分も大学院生に戻った気分になりました。
いいなぁー。
僕もまた大学院生をやり直したいなぁ…って(叶わぬ夢だけど…)
夜まで、みんなで語り合いました。
すっごい楽しい時間でした。
で、
日曜日。
こちらが、講演会の模様です☆
(講演終了後の「対話篇」の模様です!多くの人が最後まで残ってくれました!)
今回のこの講演は、一般人向けではなく、専門家向けでした。
(会場も大学でした)
なので、かなり突っ込んだ議論ができた気もします。
一緒に講演したのは、「日本のマザーテレサ」と言われるあの方でした。
熊本では、ホントお世話になりました。
薬師丸ひろ子さんが主演のドラマのモデルになった方です。
まー、分かる人には分かりますよね。
久々の再会ということもあり、ずっとしゃべっていました(苦笑)
二人ともおしゃべりなので、話は尽きませんでした。
あと、講演会の方も、とてもよかったと思ってます。
僕的に言えば、「実践者」と「理論家」の対決!みたいな。
日本の匿名支援の先駆者的な実践者と、その理論や方法を研究する僕。
日本のペスタロッチ研究の源流ともいえるこの大学で、これができたことに驚いています。
きっと、天国にいるペスタロッチと長田先生も微笑んでくれていると思います。
さらに、匿名支援を志す新たな研究者(兼実践者)の方も交えることができ、、、
なんか、「次」が少し見えたような気がしました。
僕ら世代が今後頑張らないと!、と。
広島での空いた時間はほぼすべて、、、
もちろん、、、
ラーメンの食べ歩きに費やしました。
まぁ、ラーメンの話はまたおいおいすることとして、、、
滞在期間中に足を運んだラーメン店の数は、実に13軒!
これからゆっくり更新していきますので、お楽しみに!
一つ、面白かったのは、
広島の老舗ラーメン店には、かならず「おでん」があるんです!
千葉にも内房におでんを出すラーメン店はありますが、、、
ここまでいっぱいのお店でおでんを出していることに驚きました。
今回、行った13軒のラーメン店で、僕が一番感動したラーメンはこちら!
これを見て、お店が分かる人は相当マニアックな方だと思います。
(多分、誰も分からないだろうなぁー。分からないでくれ!!!)
このラーメンを見て、「あー、●●かー」って思った人はコメントください(苦笑)
詳しくはまた後ほど♪
最後の日は、「HIROSHIMA」の今を見て回りました。
改めて一つ思ったことがあります。
それは、「原爆ドーム」の存在感です。
戦争が終わって70年。
もう、戦争の痕跡を探すことさえ難しくなってきました。
が、原爆ドームを目の前にした時に、胸がざわざわっとなりました。
「ここに、あの人類史上最悪な爆弾が投下されたんだ」、と実感しました。
原爆ドームがなければ、もう、あの悲劇は「感じられない」、というか。
この原爆ドームは、絶対に守らなければいけなんだ、と思いました。
(耐震工事も決まったみたいですね)
「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」
この言葉を巡って、色々と考えました。
「過ち」って何だろう!?って。
原爆を投下したのはアメリカ。
でも、それだと、過ちはアメリカ側にあるということになる。
けど、過ちは、単に原爆投下だけにあるのではないだろう、と。
戦争を起こしたのは、日米両国。
戦争へと踏み込んだのは、それを決断し、軍に指令した政府や官僚たち。
和解ではなく、戦争への道を歩もうとした全ての人たち。
彼らの「過ち」。
そして、そんな彼らを選び、認めた民衆の判断の「過ち」。
さらには、そういう過ちに気づいていながら、黙認した人々の「過ち」。
2015年。
この1年は、戦後70年という大きな節目の年でありながら、殺伐とした1年だったと思います。
隣国との関係はますます冷え込んでいますし、安保法案も(議論されつくすことなく)可決されました。
来年は、いよいよ「憲法改正」に向けての攻防が繰り広げられるでしょう。
(安倍さんの頭の中は、「憲法改正」への野望で満ち溢れています)
そして、その安倍さんの取り巻きたちは、「戦争」を肯定している人たちばかり。
(また、隣国を嫌悪し、特定の人間集団を嫌悪し、愛国を謳いながら、国家権力増大を求める人たち)
時代精神がそういう方向に向かっているので、抗えないかもしれません。
けど、この流れに抵抗せず、沈黙することが、まずもっての「過ち」の第一歩だと思います。
安保法案制定以後、日本には、そういう「沈黙」がますます強まっている気がします。
「どうせ、ダメだ」、「アベに従っていた方が安心そうだ」…
彼の支持率はまた上がっています。
そうやって「空気」が作られていくことで、
あれよあれよと制度が変更され、
あっという間に、軍事国家/全体主義国家に変わっていく可能性は強まっています。
「戦争に向かうあらゆる可能性を唾棄しよう」
そう、心に誓いました。
意味もなく、軍に罪のない人が殺されることは認めてはならない。
意味もなく、権力に罪のない人間が殺されることは容認できない。
すべての人間に、生きる権利があり、自分の人生を歩む権限がある。
人間の尊厳は、誰も侵すことはできない。
憲法で規定されていることです。
70年前。
この川に、たくさんの人が身を投じたと言われています。
被爆し、全身大やけどを負った人が飛び込んだと言われています。
この川を見つめるだけでも、過去と向き合える気がしました。
僕は、30分ほど、この川沿いで、過去と沈黙の対話をしました。
HIROSHIMAに来て、今来て、本当によかったと思っています。
自分の進むべき道を再確認できた、というか。
これからも、己の道をひたすらに歩んでいくのみかな、と。
DEAR NEXT!