Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

【救えなかった母子(無理心中?)と厚生労働省の新たなポスター】

また、悲しい事件が起こった。


自宅で産んだ男児を殺害容疑、母親を逮捕 山口

 自宅で産んだ男児を殺害したとして、山口県警は、同県山陽小野田市厚狭、店員田辺愛貴(あき)容疑者(29)を殺人の疑いで逮捕したと24日発表した。「家族に迷惑をかけられないと思って殺した」と容疑を認めているという。

 山陽小野田署によると、田辺容疑者は今月7日午後1時ごろ、自宅2階で男児を出産後、鼻や口を手で塞ぎ、窒息死させた疑いがある。同日夜、田辺容疑者の家族が、男児と倒れていた田辺容疑者を発見。救急搬送された病院から同署に通報があった。田辺容疑者の回復を待って23日夜に逮捕した。

 引用元:http://www.asahi.com/articles/ASH6S0464H6RTZNB01F.html 


29歳の女性が、自宅で産んだ子どもを殺してしまった。

40の僕からすれば、まだまだ若い、未来のある存在だ。

でも、一生、苦しみ続けなければならないほどの事を起こしてしまった。

救えなかったのか。

何度、こういう事件を見ても、悔しさが残る。


①自宅出産だった。ということは、おそらくは、未受診妊婦だったのだろう。周囲に気づかれないように、出産まで、自身の出産を隠してきたのだろう。誰も気づけなかった。相談もきっとできなかったのだろう。男児の「父親」は、彼女の家族に紹介できるような人ではなかったのだろう。人は、きっと、「どうしてもっと早くに相談しなかったのか?!」、と問うだろう。その答えは、シンプルで、「相談できなかった」、となるだろう。このことを、理解できる人はそう多くはないはず。「妊娠」の背後には、色々な貞操観念とかがあり、デリケートであり、そう簡単に人に話せる問題ではないのだ。でも、そのことを、誰も分かろうとしない。なぜなら、「妊娠」=「幸せの象徴」だからだ。でも、「妊娠」は、ときとして「絶望」となる。

②家族に迷惑のかかる「妊娠」を、僕らはどれほど想像できるだろうか。ごく普通に結婚して、出産した人には、まず想像できない世界だろう。ここでいう家族って誰だろう?! 彼女の相手=子どもの父親に迷惑がかかるのだろうか? そうではないだろう。でも、もしそうだとしたら、どういう状況なのだろう。答えをあてることが大事ではない。そうではなく、こういう事態に、想像力をもって、理解しようとする努力が必要なのである。家族に迷惑のかかる妊娠とは、いったいどのような妊娠なのだろう?!

③田辺さんは、倒れているところを発見されている。想像するに、「無理心中」を企てたのだろう。でも、死にきれなかった。彼女は、自分の子どもを殺して、そして、自分も死のうとしていた。世の中には色々な事件があるけれど、これ以上に、胸が締めつけられる「死」を僕は他に知らない。なぜ、自分の子どもを殺して、さらに自分も死ななければならないのか。そういう悲劇へと導いたのはいったい誰か? 単純に「男性」とも言い切れない。もちろん「男性」が田辺さんと性交渉をしなければ、こういうことにはならなかった。でも、たとえその「男性」がいなかったとしても、「別の男性」と、性的な関係を結び、同じような事態になっていたことは予期できる。もしかしたらそういう話ではないかもしれないけれど、一つの可能性として理解することはできるだろう。つまり、「男性」にも非はあるが、それだけではない。田辺さんがどういう状況で、どういう境遇で、どういう生き方をしてきた方かは分からない。が、きっと、彼女自身に、「妊娠」以外の色々な問題があったのだろう、と推測する。でも、そういう色々な事情を抱えた弱き妊婦に、しっかりと向き合える専門家や専門機関はどれほどあろうのだろうか。こうした妊婦をきちんと(先入観なく)理解できる人や機関は、実際、どれだけ、いや、どこにあるのだろうか。


こうした問題に、ようやく厚生労働省も重い腰をあげようとしている。

先日、新たに、こんなポスターを全国に配布した。

僕は、とある支援機関でこれを頂いた。

色々と、突っ込みたいところはあるけれど、こういうポスターを作った意義は大きい。

(それと、デザインも日本的で、いいなぁと思った)

そう。

昨年、僕のブログが炎上した。

炎上した記事はこちら

hatenaブックマークはこちら

あまりの「反発」の凄さに、ちょっと驚いた。

ドイツの常識が日本では非常識だということもよく分かった。

でも、厚生労働省(の誰か?)は、この問題を共有してくれたのだろう(と信じている)。

ちゃんと、「匿名で相談できます」、と書いてくれた。

(*日本の児童相談所等では、まず基本的に「匿名」での相談には応じてこなかったから、これは実はかなり画期的かもしれない!)

 

実際、ここに掲示されている相談機関に行って、問題が解決するかは分からない。

匿名性がちゃんと保障されるかどうかも分からない。

もしかしたら、いきなり「住所」と「名前」を聞かれるかもしれない。

でも、身元は明らかにしなくてもいい、そう書いてくれた

こういう匿名支援は、まだまだこれからだ。

 

どの機関であっても、分かってくれる人がいて、分かってくれない人がいる。

また、できることと、できないことがある。

大事なのは、とにかく「分かってくれる人」を探すことだと思う

いざ、困った妊婦がこういう機関に相談しても、全く話にならない場合も多々ある。

だけど、少しずつだけど、この問題に関心を示す実践者も増えてきている。

「あ、こいつと話してもダメだ」、と思ったら、すぐに連絡を断てばいい。

で、別の機関に相談して、別の人間を探せばいい。

少しずつだけど、現場の考え方も変わってきている。

追いつめられた絶望下にある妊婦や女性を支援しよう、という空気も生まれつつある。

 

一人で、問題を抱え込まないでほしい。

一人で、自分だけで、解決しないでほしい。

分かってくれる人、

分かろうとしてくれる人は必ずいるから。

 

どんな妊娠であっても、それをとがめないで、悪く思わないで、力になろうと思っている人はいる(数的には少ないにしても)。

どんな妊娠であっても、子どもを殺す必要はないし、自ら命を落とすこともない。

色んな方法があるし、なければ、創っていけばいい。

でも、追い詰められていたら、そんなことを考えている余裕なんてあるわけがない。

「どうしよう」「どうしよう」の無限ループ。

そして、最も短絡的な行動に出てしまう。思考停止したまま。

出産してからでは、もう冷静さは取り戻せない。

出産する前に、まだ冷静さが残っているうちに、動いてほしい。

 

そのためにも、まずは、妊婦にかかわる全ての支援者や実践者(福祉の専門家)が変わらなければならない。

無理に、名前や住所を聴く必要はない。まずは、コンタクトを取り続けること。

コンタクトを取り続けることだけを、まずは考えるべきだ。

そして、相手(妊婦)に、「この人なら大丈夫」、と思われるように、徹底すること。

基本的に、「猜疑心」や「疑い」や「不信」を強く抱いているはずだから、

彼女たちの信頼を得ることは、並大抵のことではないはず。

間違っても、「助けてやってやる」、といった傲慢な態度は微塵も見せてはいけない。

そして、あらゆる可能性を想起しながら、妊婦と一緒に、どうしていくかを考えていくべき。

答えはない。この答えのなさこそが最も重要である

専門家はとにかく、すぐに答えを出そうとする。

でも、残念ながら、この妊娠~養護問題に、答えなどない。

そのつど、どうしていくかを考えるしかない。

短絡的に、「養子縁組」を勧めるのもダメだし、かといって、「中絶」を勧めるのもダメ。

答えのないところで、あらゆる知識を総動員させつつ、相手の状況や声に目を向け、

そして、一緒に考えていくこと、それが一番大切。

それは、同時に、「共に考え、共に行動し、共に学んでいく」、ということでもある。

これこそが、これまでの「支援論」が無視してきたことではないだろうか。

 

厚生労働省は、こういうポスターを作ってくれた。

あとは、支援者の「腕」、というか、「支援実践」の内実にかかっている。

緊急下の女性・妊婦たちが、「相談してみよう」、と思えるような対応を強く要求したい。

まずは、ぶっきらぼうに、名前と住所を聞こうとするその態度から改めてほしい。

(意外とそういう電話対応をする職員?は多い)

 

このポスターについての僕のコメントはまた後ほど。。。

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