Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

「モナド」っていったい何なんだ?!

モナドっていう言葉は、色んなところで聴くけれど、実際それが何か?と聞かれると、非常に困る、、、

すごい難しい概念で、理解するのがとても困難な概念の一つ。

というわけで、ライプニッツ(ライプツィヒ出身)のモナド論(単子の形而上学)を、、、

ライプニッツは、いわゆる「万能の学者」で、何でもできるスーパーサイア人のような人間だったといわれていて、専門バカではなくて、あらゆることに精通していた知識人だった。あらゆる学問への興味こそ、彼の最大の魅力だった。彼自身、「普遍学(scientia generalis)」を打ち立てることを願っていた。

***

Monadologie(単子論)
*Monade(実在の究極の単位)不可分の単一体
=単純実体(単純物体)、形而上学的点、第一エンテレケイア、不可分者
=個体的実体(substance individuelle)???

***

1.本書で取り上げられる『モナド』は、構成されたもの(Zusammengesetzten)の中に含まれる単純実体(単純物体:einfache Substanzen)以外の何ものでもない。ここでいう単純とは、部分(Teile)がないということをいう。

2.構成されたものが存在するがゆえに、単純実体も存在しているはずである。というのも、構成されたものは、単純なものが集まった堆積物、単純物体の集合体以外の何ものでもないからである。

3.しかし、部分の無きところであるモナドは、広がりもないし、形もないし、分解することもできない。したがって、私が言うモナドは、自然の真の原子であり、一言で言えば、事物の基本要素なのである。

4.また、モナドの分解を恐れる必要はない。単純実体が自然に滅びてしまうということは考えられないのだ。

5.同じ理由から、単純実体が自然に発生するということも考えられない。というのも、構成(Zusammensetzung)によって、その単純実体を作ることはできないからである。

6.したがって、モナドはただ一気に発生し、一気に終わるのみ、といえるだろう。構成されたものが部分から作られ、部分的に消滅するのに対して、モナドは、創造(Schöpfung)によって発生し、破壊(Vernichtung)によって終わるのみである。

7.ゆえに、モナドがどのようにして何らかの他の被造物によってその内部でふるい起され、変えられるのかを説明する手段もないのである。というのも、何かをモナドと置き換えることもできないし、内部で引き起こったりコントロールしたり増やしたり減らしたりするような内的な運動をモナドの中で捉えることもできないからである。構成されたものにおいては、そうしたことはできる。構成されたものにおいては、部分的に変わることが可能であり、そうしたケースが多々ある。モナドには、何かが出入りできるような窓がない(Die Monaden haben keine Fenster)。印刷物(端物Akzidenzen)は、中身(Substanzen:実体)と切り離すことはできないし、かつてスコラ哲学者たちの感官的形相(感覚的スペキエス:species sensibiles)が示したように、その中身の外側をぶらつくこともできない。したがって、中身も印刷物も、モナドへと入り込むことはできないのである。

8.それにもかかわらず、モナドは、確実な質を有している。さもなくば、モナドは本性(Wesen)ではなくなってしまうだろう。また、もろもろの単純実体が各々の質によって区別されないのだとすれば、事物の中に何らかの変化に気づく手段もなくなってしまうだろう。というのも、構成されたものの中で発生するものは、単純な構成要素にしか起因し得ないからである。もし実際モナドが質でないならば、もろもろモナドは互いに区別できなくなってしまうだろう。というのも、いずれにしても、モナドの場合、質的な違いはないからである。ゆえに、-あらゆるものが十全であるという前提の下では-運動が起こるあらゆる場というのは、常に、再度、その場が今すでにもってしまっているものを代償してもらっているにすぎず、事物それぞれのありさまは、他のものから区別することが可能となるのである。

9.さらには、あらゆる個々のモナドがあらゆる他のモナドから区別されている、ということが不可避である。というのも、自然界には、どちらも完全なものであり、内的な相違、あるいは内的な規定に基づく相違を見出すことが不可能であるような「二つの本性」など、存在しないからである。

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これだけじゃ、よく分からないな。。。

ただ、構成されたものを示すもの、ということは間違いなさそうだ。

音楽にしても、映画にしても、ラーメンにしても、それを成り立たせるものであり、かつ部分ではないもの、ということになる。同じ音楽を聴いても、他との区別ができる何か、同じ映画を見ても、他との区別できる何か、似たようなラーメンがあるなかで、その個別性を浮き立たせつつ、その個別性においてラーメンを突き止める何か。そうしたものが、モナド=単純実体の一つなのだろう。

僕の中では、「印象」、「表現」、「特徴」に近いものかな、と思ったりする。「魂」にも通じそうだ(最高の魂が神、というとなんとなくすっきりする)。

哲学的には、「表象」にあたるものと考えられている。モナドは、物質的なものではなく、なんらかの精神的なものであり、個別のものなんだということは間違いなさそうだ。神様もモナドらしい。神はあらゆるモナドの中で最高のモナドだという。また、宇宙・世界は、モナドの集合体であるともいえるみたいだ。数学も、まさにモナドであり、記号もまた実在するもののシンボル(モナド)として考えているようだ。

円や球体、四角形なんかも、ある種のモナドなのかもしれない。フレーベルの「恩物」もまた、ライプニッツのモナドに通じる概念かもしれない。真理(正義?)といった概念もまた、モナドの上位にあるものと考えることもできるだろう。「予定調和(harmonie preetablie)」という考え方が、モナド論にはあり、それ自体完結していて、モナドと物との間には、「万物照応の対応的調和」があるとのことだ。(そう考えると、極めて「近代的な思想」だなぁとも思う)

学生時代から気になる言葉の一つであります。

モナドって何なんだ?!?!

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