Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

福祉の実践の本質は「人にパワーを与えること」-Empowerment(エンパワーメント)の哲学-

先日、学生と話していて、ふと気づきました。

僕が教育や福祉の世界で生きようと思った理由のことを。

僕が自分の人生において、一番やりたいと思うことを。

それは、、、

苦しんでいる人に力を与えたい

ということでした。

もがき苦しんでいる人が強くなり、たくましくなる姿が見たい、とも。

これが、バンドに目覚めた時の初期衝動でもあり、ずっと変わらない思いでした。

そのことを、この数年、忘れていたような気もして…

今日は、福祉の基本的な考え方としての「エンパワーメント」についてです。

***

力を与える、という時、僕は「Master of Ceremony(MC)」を思い出します。

ライブ中に語るトークの時間ですね。

まずは、これを見てください。

UVERworldのTAKUYA氏のMCは、「力をもらえる」で有名ですね。

バンドのMCって、本当に力や勇気がもらえるんです。

そいつらの背中を押したいと思います

こういう言葉が、多くの人に「力」を与えるんですね。

で、僕ら世代だと、やっぱりこの人、、、

尾崎さんのMCもまた、多くの人に「力」を与えたと思います。

バンドのライブっていうと、大勢で大騒ぎするっていうイメージがあるけれど、、、

そういう大騒ぎとは違う「何か」を得ることができるのもまた、ライブなんですね。

これらのMCに共通するのは、「苦しんでいる人に力を与えている」ということであります。

バンプのライブでも、「(辛い、しんどい時に)力になれるように」、と語られています。

***

苦しんでいる人に、どう関わるか。どう寄り添うか。どういう言葉を投げかけるか。

これは、福祉の世界を生きるすべての人にとって、大きな問題となります。

これまで、「セルフコントロール」「自己覚知」「統制された情緒的関与」「4つのP」「プロセス」など、ケースワークの基本を学んできましたが、それとは別に、どれよりも根底に、「力を与えること」が、福祉の基本的な考えにあるんです。

それを一言でいえば、

Empowerment
エンパワーメント(エンパワメント)

となります。

この言葉も、色んな意味で使われていますが、語源的には、

Em+power+ment

ということで、「力を与えること」「内に力をもつこと」「力(権限)をもつこと・与えること」という意味になります。

この言葉が、こども福祉から高齢者福祉まで、すべての福祉において、「ゆりかごから墓場まで」、ずっと重要なワード(それこそパワーワード)になります。

1976年、アメリカのバーバラ・ソロモン(Barbara Bryant Solomon)は『ブラック・エンパワーメント-被抑圧コミュニティーにおけるソーシャルワーク(Black Empowerment-Social Work in Oppressed Communities)』という本を出版した。

about Solomon

ソロモン氏のインタビューはYouTubeにもupされています。

この動画から分かるように、ソロモン氏は「黒人」のエンパワーメントを考えていました。

アメリカ社会では、黒人は長い間、差別を受けてきました。その差別(スティグマ=負の烙印)があるせいで、黒人一人ひとりがもっている「力」が発揮できない、ということを彼女は指摘しました。

社会の中にある様々な偏見や差別やネガティブな評価があるから、黒人のみならず、多くの社会的な弱者たちは、「無力感(Feeling of powerlessness)」を抱き、「社会的な有用性(Social effectiveness)」を感じられなくなっている、と。

「どうせ、黒人だから」
「どうせ、障害者だから」
「どうせ、貧乏だから」
「どうせ、不登校だから」
「どうせ、捨て子だから」
「どうせ、女だから」…

そうした無力感や無能感に苦しむ人たちに、「回復」と「強化する力」を与えることが、エンパワーメントという言葉の意味であります。


empowerment is defined as a process whereby self direction and the helping process are the healing and strengthening forces among blacks. 

エンパワーメントは、"自己の方向づけ(自己主導性)"と"支援のプロセス"が黒人たちの"回復"と"強化する力"となるようなプロセス、と定義される

引用元


例えば…

親から「お前はダメなやつだ」「お前なんか生まれてこなければよかった」「あなたは本当にどうしようもない子ね」と言われて育った子どもがいたとしましょう。

そういう子どもは、親からネガティブな言葉(スティグマ)をず~~~っと聞かされてきたからこそ、無力感をもち、社会的有用性(社会の中で活躍できる人間になれるという感覚)を感じられずにいます。

そういう子どもには、「自分で自分の将来のことを決めること」や「自分の思いを誰かに語ること」や「『親だけが「お前はダメなやつだ」と言っているだけで、他の人はそう思っていない。あなたには「○○」や「▽▽」といった素晴らしい点がいくつもある』と(何度も繰り返し)伝えること」で、その子どもの「回復」と「強化」をめざす、と、こう考えるわけですね。

この回復と強化を目指して、「統制された情緒的関与」を続けながら、「4つのP」、特にそのプロセスそのものに集中することが、福祉(ケースワークetc.)の実践者の使命ということになりましょう。

教育も福祉も保育も、その基本の基本に「自分のことは自分で決める」「自分のことを他人には決めさせない」という考え(思想)があるんですね。(いわゆる「社会的弱者」と呼ばれる人たちは、これがずっと封じられてきたし、封じられているんです)

先日、ある障害児をもつお母さんは、町中でこんな言葉を言われた、といいます。

障害者は、まわりが迷惑にならないよう、目立たずに、おとなしくしてろ

と。

そういう人間は、実はどこにでもいるんです。言葉にしなくても、そう思っている人は、すごく多い、と考えた方がいいかな、と僕は思っています(警戒しています)。

なお、YouTubeの先生は、、、

こんな風に語っておられます。

***

僕の願いは、「苦しんでいる人(特に若者)に力を与えたい」です。

もともと、そういう思いでバンドを始めた人間です。

音楽が純粋に好き、というより、音楽を通じて、苦しんでいる人に力を与えたかったんです。

音楽は、目的ではなく、手段でした。(これは今も変わりません)

でも、その手段では、自分が年老いた時に、目的を達成できなくなる、と気づいたのが、10代の終わり頃でした。

なぜなら、若者たちは、おっさんやおばさんの音楽なんて、聴かないからです。(今思えば、ですが)かつて大ブームを引き起こしたX JAPANも、GLAYも、ラルクも、今の若者たちはほぼまったく聴いていません。聴いてないどころから、知りません。

もちろん音楽が好きだし、僕自身が音楽に救われた身なので、今もバンドをやったり、軽音部の顧問を頑張ったりしていますが、それもやっぱり、「苦しんでいる若者たちに力を与えたい」が根っこにあります。

でも、音楽に限らず、いや、音楽以上に、色んなかたちで、「若者たちに力を与える」ということをやっているな、やれているな、という気はしています。

今となっては、「おせっかいおじさん」でしかないかもしれませんが、色んな人におせっかいをして、多くの子どもや若者たちに、力を与え続けたい、と勝手に思っているし、勝手にし続けようと思います。「うざい」と思われてでも。

福祉の人間って、きっとそういう人間なんだと思います。

エンパワーメント、覚えておきたいパワーワードです🎵

「愛してる」の響きだけで 強くなれる気がしたよ

特定の誰かに愛されて、見守られて、応援されて、そして、人は強くなっていくんでしょうね。

そういう人を目指してほしいし、もっともっとそういう人に出会ってもらいたいです💖

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