先日、学生と話していて、ふと気づきました。
僕が教育や福祉の世界で生きようと思った理由のことを。
僕が自分の人生において、一番やりたいと思うことを。
それは、、、
苦しんでいる人に力を与えたい
ということでした。
もがき苦しんでいる人が強くなり、たくましくなる姿が見たい、とも。
これが、バンドに目覚めた時の初期衝動でもあり、ずっと変わらない思いでした。
そのことを、この数年、忘れていたような気もして…
今日は、福祉の基本的な考え方としての「エンパワーメント」についてです。
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力を与える、という時、僕は「Master of Ceremony(MC)」を思い出します。
ライブ中に語るトークの時間ですね。
まずは、これを見てください。
UVERworldのTAKUYA氏のMCは、「力をもらえる」で有名ですね。
バンドのMCって、本当に力や勇気がもらえるんです。
「そいつらの背中を押したいと思います」
こういう言葉が、多くの人に「力」を与えるんですね。
で、僕ら世代だと、やっぱりこの人、、、
尾崎さんのMCもまた、多くの人に「力」を与えたと思います。
バンドのライブっていうと、大勢で大騒ぎするっていうイメージがあるけれど、、、
そういう大騒ぎとは違う「何か」を得ることができるのもまた、ライブなんですね。
これらのMCに共通するのは、「苦しんでいる人に力を与えている」ということであります。
バンプのライブでも、「(辛い、しんどい時に)力になれるように」、と語られています。
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苦しんでいる人に、どう関わるか。どう寄り添うか。どういう言葉を投げかけるか。
これは、福祉の世界を生きるすべての人にとって、大きな問題となります。
これまで、「セルフコントロール」「自己覚知」「統制された情緒的関与」「4つのP」「プロセス」など、ケースワークの基本を学んできましたが、それとは別に、どれよりも根底に、「力を与えること」が、福祉の基本的な考えにあるんです。
それを一言でいえば、
Empowerment
エンパワーメント(エンパワメント)
となります。
この言葉も、色んな意味で使われていますが、語源的には、
Em+power+ment
ということで、「力を与えること」「内に力をもつこと」「力(権限)をもつこと・与えること」という意味になります。
この言葉が、こども福祉から高齢者福祉まで、すべての福祉において、「ゆりかごから墓場まで」、ずっと重要なワード(それこそパワーワード)になります。
1976年、アメリカのバーバラ・ソロモン(Barbara Bryant Solomon)は『ブラック・エンパワーメント-被抑圧コミュニティーにおけるソーシャルワーク(Black Empowerment-Social Work in Oppressed Communities)』という本を出版した。
ソロモン氏のインタビューはYouTubeにもupされています。
この動画から分かるように、ソロモン氏は「黒人」のエンパワーメントを考えていました。
アメリカ社会では、黒人は長い間、差別を受けてきました。その差別(スティグマ=負の烙印)があるせいで、黒人一人ひとりがもっている「力」が発揮できない、ということを彼女は指摘しました。
社会の中にある様々な偏見や差別やネガティブな評価があるから、黒人のみならず、多くの社会的な弱者たちは、「無力感(Feeling of powerlessness)」を抱き、「社会的な有用性(Social effectiveness)」を感じられなくなっている、と。
「どうせ、黒人だから」
「どうせ、障害者だから」
「どうせ、貧乏だから」
「どうせ、不登校だから」
「どうせ、捨て子だから」
「どうせ、女だから」…
そうした無力感や無能感に苦しむ人たちに、「回復」と「強化する力」を与えることが、エンパワーメントという言葉の意味であります。
empowerment is defined as a process whereby self direction and the helping process are the healing and strengthening forces among blacks.
エンパワーメントは、"自己の方向づけ(自己主導性)"と"支援のプロセス"が黒人たちの"回復"と"強化する力"となるようなプロセス、と定義される
例えば…
親から「お前はダメなやつだ」「お前なんか生まれてこなければよかった」「あなたは本当にどうしようもない子ね」と言われて育った子どもがいたとしましょう。
そういう子どもは、親からネガティブな言葉(スティグマ)をず~~~っと聞かされてきたからこそ、無力感をもち、社会的有用性(社会の中で活躍できる人間になれるという感覚)を感じられずにいます。
そういう子どもには、「自分で自分の将来のことを決めること」や「自分の思いを誰かに語ること」や「『親だけが「お前はダメなやつだ」と言っているだけで、他の人はそう思っていない。あなたには「○○」や「▽▽」といった素晴らしい点がいくつもある』と(何度も繰り返し)伝えること」で、その子どもの「回復」と「強化」をめざす、と、こう考えるわけですね。
この回復と強化を目指して、「統制された情緒的関与」を続けながら、「4つのP」、特にそのプロセスそのものに集中することが、福祉(ケースワークetc.)の実践者の使命ということになりましょう。
教育も福祉も保育も、その基本の基本に「自分のことは自分で決める」「自分のことを他人には決めさせない」という考え(思想)があるんですね。(いわゆる「社会的弱者」と呼ばれる人たちは、これがずっと封じられてきたし、封じられているんです)
先日、ある障害児をもつお母さんは、町中でこんな言葉を言われた、といいます。
「障害者は、まわりが迷惑にならないよう、目立たずに、おとなしくしてろ」
と。
そういう人間は、実はどこにでもいるんです。言葉にしなくても、そう思っている人は、すごく多い、と考えた方がいいかな、と僕は思っています(警戒しています)。
なお、YouTubeの先生は、、、
こんな風に語っておられます。
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僕の願いは、「苦しんでいる人(特に若者)に力を与えたい」です。
もともと、そういう思いでバンドを始めた人間です。
音楽が純粋に好き、というより、音楽を通じて、苦しんでいる人に力を与えたかったんです。
音楽は、目的ではなく、手段でした。(これは今も変わりません)
でも、その手段では、自分が年老いた時に、目的を達成できなくなる、と気づいたのが、10代の終わり頃でした。
なぜなら、若者たちは、おっさんやおばさんの音楽なんて、聴かないからです。(今思えば、ですが)かつて大ブームを引き起こしたX JAPANも、GLAYも、ラルクも、今の若者たちはほぼまったく聴いていません。聴いてないどころから、知りません。
もちろん音楽が好きだし、僕自身が音楽に救われた身なので、今もバンドをやったり、軽音部の顧問を頑張ったりしていますが、それもやっぱり、「苦しんでいる若者たちに力を与えたい」が根っこにあります。
でも、音楽に限らず、いや、音楽以上に、色んなかたちで、「若者たちに力を与える」ということをやっているな、やれているな、という気はしています。
今となっては、「おせっかいおじさん」でしかないかもしれませんが、色んな人におせっかいをして、多くの子どもや若者たちに、力を与え続けたい、と勝手に思っているし、勝手にし続けようと思います。「うざい」と思われてでも。
福祉の人間って、きっとそういう人間なんだと思います。
エンパワーメント、覚えておきたいパワーワードです🎵
…
「愛してる」の響きだけで 強くなれる気がしたよ
特定の誰かに愛されて、見守られて、応援されて、そして、人は強くなっていくんでしょうね。
そういう人を目指してほしいし、もっともっとそういう人に出会ってもらいたいです💖