まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

拝啓、スーパーバニーガール様

2013-11-14 15:37:41 | パチスロ2号機

 

拝啓

スーパーバニーガール様

貴女(あなた)と最初にお会いしたのは、何時だったでしょうか。

そう、あれは1990年秋、新宿・歌舞伎町コマ劇そばの「モナミ」というパチンコ屋の、薄暗い地下フロアでした。

あの店は、ニューペガサス目当ての客で賑わっていましたが、その裏のシマにひっそり佇む貴女と、偶然目が合いました。

黒い洗練された真新しい筐体に、打つ前から不思議と心惹かれたのを覚えています。

その頃、私は歌舞伎町のパチ屋やスロ屋を、財布に金があれば駆け巡っていました。そうするうちに、貴女の姿を色んなホールで見かけるようになりました。

(1990年12月当時の歌舞伎町パチンコマップ)

A:パチスロムサシ B:日拓3号店 C:パチスロ日拓 D:日拓2号店 E:日拓1号店
F:パチスロビッグプレイ G:日拓4号店 H:ニュープリンス I:オデヲン J:ラスベガス
K:ニューセブン L:モナミ M:747 N:金時(新規開店) O:コスモ P:店名失念 Q:トップス
Rニューメトロ S:大番  

 

あの頃、歌舞伎町には19軒のホールがありましたが、貴女はモナミ(L)をはじめ、ムサシ(A)、パチスロ日拓(C)、日拓1号店(E)、日拓4号店(G)、コスモ(O)、ニューメトロ(R)の、計7軒にお住まいでしたね。随分顔の広い人だなと、いつも感心していました。どこへ行っても人気者でしたね。

西武新宿駅前の「ムサシ」は、2階フロア全てが貴女で占められていました。1Fにはスーパーセブンがありましたね。割烹料理店が居並ぶ路地沿いの「パチスロ日拓」は等価店でしたが、1Fの壁付きのシマを貴女がグルリと囲んでいました。「日拓1号店」の2階左端、「日拓4号店」地下の左端に佇む貴女には、いつも大勢の客が群がっていました。花道通り沿いの「コスモ」は、あまり目立たないホールでしたが、貴女目当てによく足を運びました。コスモといえば、貴女の隣にはアニマルGも並んでいましたね。東通りの「ニューメトロ」は台数が多い割に、スロットシマの通路はエラく狭かったですが、貴女は人気のコンチやコンチIIIと肩を並べていました。

歌舞伎町を一歩出ると、新宿西口大ガード交差点の「ジャンボ」地下フロアでも、貴女は頑張っていましたね。後ろのシマの初代「アラジン」に負けず劣らずの人気ぶりでしたね。西口と言えば、ヨドバシカメラの近く「アラジン」にも、貴女の姿がありました。

それから、新宿駅を挟んだ南口のパチスロ専門店「グリンピース」。彼処の1階に貴女が入ったのは1990年の11月頃でしたか。それまで、同じフロアには1.5号機「ファイアーバード7U」があったのですが、フロア全て貴女一色に塗り替えられて、ガラリと雰囲気が変わりました。

余談ですが、1992年に日本テレビのドラマ「悪女(わる)」のロケーションが、新宿グリンピースの前で行われました。あのときは、主演の石田ひかりがバニーガール姿に扮して、「グリンピース、よろしくお願いしまーす」とティッシュ配りのアルバイトをする、大変香ばしいワンシーンでしたね。ちょうど1階の入口前でロケが行われたので、何気に「バニー繋がり」でした。それにしても、あの店での貴女は、大変息の長い活躍をされましたね。みなし機撤去されてしまったのは、誠に残念です。

(C)日本テレビ

 

そうそう、グリンピ近くの「太平洋」という小さなスロ屋にも、貴女はいましたよね。センチュリー21やリバティベルIIIとともに、モーニングがちょくちょく入っていました。あの店は、4号機時代になって「悟空II」という店に変わりましたが、今はもう残っていませんね。

それと、モーニングはありませんでしたが、太平洋の近くにあった「メトロ」というパチ屋にも、貴女が一シマ並んでいました。ただ、新宿界隈で真っ先に貴女を外したのもメトロで、その時ばかりは店のセンスを疑いましたね。

学校終わりには、高田馬場駅まで出て「白鳥会館」や「国際センター」で、しばし貴女と戯れたのを覚えています。同じ早稲田通り沿い「日拓EO」でも、貴女の姿を見かけました。

また、朝から授業をサボって町田の「TAC5」という小さいスロ屋に通った時も、貴女とアメリカーナマグナムにはお世話になりました。TAC5に妹分の「バニーXO」が入った時、半分が入れ替えられてしまいましたね。一時期、あの店の「XO」に浮気をしたことは、今でも申し訳なく思っています。

それから、下北沢駅の南口商店街にあった「グリンピース」でも、よく貴女と遊びましたね。あれは92年の夏でしたか、攻略誌に「貯金Verのスーバニで、ビッグ図柄を毎ゲーム目押しで狙うと、成立プレイでビッグが揃っても貯金個数がプラス1されて、放出時に連チャンする」という情報が出た事があります。いわゆる「ビッグ倍増打法」という奴ですね。私も期待に胸ふくらませて、貯金っぽい挙動をたびたび見かけた下北のグリンピに行ったのですが、いくら目押ししても単発ばかりで、連チャンに全く入らず、1週間派手にヤラれた記憶があります。結局、あの店は貯金バージョンではなかったのですね。タネ銭が切れて、祖母から貰った「昭和天皇在位60周年・記念10万円金貨」を、南口商店街の銀行で換金したのも、ちょうどあの時でした。天国のお婆ちゃん、ごめんなさい。


 

さて、私が現役時に貴女をいたく気に入ったのは、外観、サウンド、ゲーム性のどれをとっても、まことに素晴らしい出来栄えだったからです。

洗練された筐体から滲み出る、独特の「色気」。下パネルの筆記体ロゴには、控えめながら何とも言えぬ味がありました。上下パネルのバタ臭い外人娘を目にすると、まるで自分がラスベガスのカジノにいる気にもなりました。上パネルの赤い電飾は、お姉さんの2-1号機「バニーガール」譲りですが、貴女もお姉さんに負けない「美貌」でしたね。

そうそう、ビッグボーナスの黒い「SUPER」図柄は、お父さんの1.5号機「ニュースターダスト」譲りでしたね。でも、赤い兎耳のレギュラー図柄は、立派な貴女のオリジナルでした。貴女は、伝統と斬新さを併せ持った方でしたね。


 

外観はもちろん、貴女が発する数々のサウンドは、どれも美しかったです。ベット音、ウェイト音、ストップ音、小役払い出し音、ゲームオーバー音…派手だったり地味だったり色々ですが、全てが心地良い響きでした。ビッグボーナス時の「ウィリアムテル序曲」の軽快な調べや、レギュラーやJACゲーム中の電子音を耳にするたび、心が踊りました。

そういえば、ビッグ中は早く小役ゲームを消化させようと、毎プレイ左リールにチェリー付きベルを狙い、複合15枚役で取っていました。ただ、3回目の小役ゲームに枚数調整が起こり、チェリーや8枚役が出てしまい、いつももどかしく思いました。そういえば、JACゲーム中のウェイトにもイライラしましたが、あれも貴女なりに私を焦(じ)らしていたのですね。


さて、貴女の大きな特徴といえば、ボーナス確定を告げる左リールの「中段単チェリー」ですね。

あの美麗な一確目を拝む為に、少ないバイト料を貴女に捧げては、何度も返り討ちに会いました。

 

深いハマリに捕まり投資を重ねても、あの単チェリーが出た瞬間、全てが報われた気がして、疲れやストレスも吹っ飛んだものです。

貴女は両ボーナス偏向スペックで、その分、小役確率は目いっぱい削られており、普段のコイン持ちは悪かったですね。でも、そんな苦痛も、見目麗しい中段チェリーが癒してくれました。

ハサミ打ち派の私は、単チェが出ると右リールにボーナス図柄を狙うのが「流儀」でした。SUPERがテンパればビッグ、兎耳がテンパればバケ。このシンプルさにも惹かれました。ハマリ明けのボーナスがバケだった時のショックは大でしたが、好調時にはビッグばかり続いて、一気にドル箱を満タンにしてくれました。

そう、貴女は打ち手を惑わす、立派な「ツンデレ」でしたよね。

 

また、単チェリーが出なくても、左リール「オレンジ・プラム・SUPER」から、左右対角で「SUPER」がテンパイした形は、大変アツかったですね。

狙ってもなかなか出ないこの形。下段の「SUPER」ハサミはガセも多かったものの、右上がり対角でテンパった時は、本当に脳汁が出ました。さっき話した下北沢の「グリンピース」では、ビッグが貯金で取り込まれないよう、毎プレイこの形になるように目押しを続けて、酷く目が疲れたのを覚えています。結局、貯金Verではなかったので、無駄な労力でしたが…。

小役揃いのリーチ目では、中段プラムと中段ベルも、アツい場合がありましたね。プラムの場合は枠下、ベルの場合は枠上に、青リンゴがあればリーチ目で、チェリーがあれば通常目でした。これらの目が出る度に、枠下や枠上をチラチラと覗いておりました。 

 

それと、「単チェリー」といえば、私の中でいつも悶々としていたのが、「ボーナス成立プレイで、単チェは出るか」という素朴な疑問でした。どうでもいい事だなんて、笑わないで下さい。

でも、これは貴女の内部を診断した「カルテ」を読む機会があり、成立プレイで単チェが出ない仕様と知って、今ではスッキリしています。とはいえ、貴女に何らかの「注射」が施されると、性格が一変してしまい、成立プレイでチェリーが出る事もわかりました。注射は怖いですね。

そうえば、92年の春頃には、出現したはずの中段単チェリーが、当たり前のようにガセるという貯金Ver(単チェリー消滅Ver)が出現、貴女にとんでもない「整形」を施したホールがありましたね。あんな神々しいリーチ目を無効にするなんて、何と罰当たりな事をしでかしたのか…と、カバン屋連中を恨んだこともあります。「ビッグ30連」とか「60連」とか、やたらと景気のいい話も出ましたが、そんな事よりも、中段単チェリーを「冒涜」した事の方が、よっぽど許せなかったのです。このチェリーガセVerは確か関西発でしたが、東京では五反田の「J」という店で最初に確認されました。ただ、「J」は2か月もするとノーマルに戻していましたね。同バージョンは、神奈川エリアにもちょくちょく入っていたようです。


 

おっと、中段単チェリーばかり語ってしまいましたが、貴女には「ズレ目」という立派な特徴もありました。普段、何らかの小役図柄が左・右、或いは左・中で必ずテンパイする制御が、ボーナス成立を機に崩れましたね。コチラもやはりお姉さん「バニーガール」の特徴を引き継いでいました。

私はハサミ打ち派でしたので、左⇒右で何の図柄もテンパイしないズレ目が出るたびに、「おっ、ボーナスかな」と期待しました。でも、そんな時も貴女は「ツンデレ」ぶりを発揮して、チェリー、リンゴ、オレンジといった小役こぼしで出る「ガセズレ目」で、私をガッカリさせましたね。

ハサミ打ちに飽きると、普通に順押しに切り変えてズレ目の降臨を待つのですが、ダメな時はいくら押し順を変えてもテンパイ目の連続で、「このワンパターン女が!」と酷い言葉を心の中で投げかけた事もあります。もう時効でしょうから、許して下さいね。

 


 

そして、貴女といえばお姉さんの「バニーガール」同様に、時折訪れる「小役の集中」(フルーツゲーム)を忘れてはなりません。ビッグやレギュラーのみで単調になりがちなゲーム性に、見事なメリハリをつけてくれましたね。

集中には、60ゲーム継続の「ロング」と、5ゲーム継続の「冷やかし」の2パターンがありました。獲得枚数は60ゲームなら約180枚、5ゲームだと約15枚で、どちらを引くかによって天と地の差がありました。

プラム、ベルの8枚小役が連続した時の期待感、運命の分かれ道である6ゲーム目以降の不安感、5ゲーム集中と気づいたときの失望感、60ゲームが確定した時の安心感と、常にドキドキの連続でした。

貴女の内部には、「天国」と「地獄」という二つの異なる状態(モード)がありましたね。ビッグ終了時や設定変更時は常に天国モードから始まり、毎プレイ1/72で地獄モード転落の危険があります。いったん地獄に落ちてしまうと、ビッグを引かない限りは、再び天国に昇格する確率は毎ゲーム1/7200と、まさにアリ地獄のような激辛ぶりでした。

そして、天国モード滞在時に集中フラグを引いた場合は、設定1~5は90%の高確率で60ゲーム集中を、10%の割合で5ゲーム集中を選択するのです。逆に、地獄モード滞在時は、90%が5ゲーム、10%が60ゲームでした。ビッグ終了後は、60ゲームの期待が大いに持てましたね。

ただ、設定6だけは、地獄モードで60ゲーム集中を引く割合が25%もありました。逆に、天国モード時に5ゲーム集中を選ぶ可能性も、30%ありましたけどね。ボーナス後のロング集中が少ない分、ハマリ時に60ゲームを引きやすくストレートでハマらないのが、設定6の特徴でした。めったに座れなかったですけどね。

さらに、集中消化中も、貴女は普通にボーナスの抽選をしていました。 レギュラーが来ればそのまま揃えて、ボーナス後に集中を再開してくれます。一方、集中時にビッグを引いた場合、ビッグを揃えた時点で集中は終了してしまいます。でも、ハサミ打ちで右リールの「SUPER」を外し続ければ、60ゲーム完走させてからボーナスを揃える事も可能でしたね。この時ばかりは、腕の見せ所でした。それだけに、集中時に飛び込みでビッグが揃ってしまった時のガッカリ感は、半端なかったです。


そんな訳で、長々と駄文を重ねましたが、貴女は「遊技」というパチスロ本来の姿を、私にしっかりと教えてくれた恩義ある一台なのです。

同時に、私がパチスロ道にドップリ浸かる原因となった、諸悪の根源でもあります。それは、コンチネンタルI(瑞穂)にも言える事ですが、私にとって貴女とコンチIの両台は、いい意味でも悪い意味でも、今も忘れる事の出来ない存在です。

最近では、レトロスロゲーセン等で、第二の人生をひっそりと歩んでおられますが、私はかつての貴女の栄光を、始めから終わりまで見てきた「証人」の一人です。なるべく無理をなさらず、ゆっくりと体をお休めになって下さい。それでは、末永くお元気で。

                                                          敬具

                                                selfconfide777mc

 

 

 

※追記(2013.11.14)
・獣さんのコメントについて

沖縄スロットの歴史に関しては、以前にコチラの記事を作成していますので、一度ご覧ください。
「沖縄スロットの歴史を探る…沖縄県・パチスロ新台認可状況(1985年~1993年)」
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/c6748b192fc14b12eb97607a8fe9647c

右レバー式の「バニーガール7」は1989年7月11日に沖縄県で認可。但し、筐体上部の縦長なアップライトパネルはなく、通常のパチスロタイプの筐体に右レバーが付いています。また、右レバーではない本来の「バニーガール」は、それより前の1988年12月6日に沖縄県で認可。なお、当時のオリンピアは「オリンピア物産」という社名で、沖縄・那覇市に本拠がありました。


沖縄スロット2号機「バニーガール7」(1989年)

 

残念ながら、当時の沖縄県公報には「スーパーバニーガール」の新台認可に関する記載が、全く見当たりません。ただ、現存する公報のバックナンバーは欠番もあり、もしかするとそちらに記載があった可能性もあります。

また、沖スロ版スーバニの存在については、当時の沖スロ2号機、3号機に関する資料の中に、そのような機種に関する情報は全く出て来ません。各店舗の当時の設置状況を調べても、スーバニが設置されていたという情報はなく、沖スロ版はホールに出回らなかったものと思われます。但し、「可能性ゼロ」といはいえないので、引き続き調査をしていきます。
(追記、ここまで)