(1990年のJR・小田急登戸駅周辺パチンコ店マップ)
※駅舎再開発前の古いマップ。
90年代初頭・登戸駅パチンコ店リスト(’90パチマガ調べ、※入替・増台は自己資料)
A:いろは(2.2円/8枚)
デジパチ…エキサイト麻雀5(ニューギン)、ファンキーセブン(西陣)、ドリームX(奥村)、フィーバーレクサス6D(三共)
ハネモノ…うちのポチ1(三共)、グレートキャノン(三共)、パチンコ大賞11(西陣)
一発台…アトム2(三星)、ジェットライン(西陣)、キャラバン(マルホン)、タンブラーA(京楽)
スロット…リバティベル4(ユニバーサル)
※S入替→スーパープラネット、マジカルベンハー
B:パチスロラック(7.5枚)
バニーガール(オリンピア)
※増台→ドリームセブンJr.
(当時のラック)
C:玉の家(たまのや)(2.2円/8枚)
デジパチ…ローリングセブン(奥村)、ファンキーセブン(西陣)
ハネモノ…桃太郎(西陣)、タンクP-2A(西陣)、ビッグファルコン2(平和)、マッハシュート13(西陣)
一発台…ジェットライン(西陣)、ジャスティ(西陣)
スロット…ビッグパルサー(山佐)、ベンハー(大東音響)
(当時の玉の家)
D:ハトヤ(2.2円/8枚)
デジパチ…ドリームX(奥村)
ハネモノ…オールスター2(三共)、スケボーキッズ13(西陣)、ドッカン島13(西陣)、ファクトリー(平和)、ヘイタクシー1(三共)、マジックカーペット1(三共)、マーメイド2(三共)
一発台…ジャスティ(西陣)
スロット…アラジン(ニイガタ電子)、リバティベル3(メーシー)
(当時のハトヤ)
E:ミツワ(8枚)
リバティベル4(ユニバーサル)
(※入替→コンチネンタル1)
F:ニューハトヤ(8枚)
アラジン(ニイガタ電子)
(コメント)
・当時の登戸駅周辺は、まだ現在のような高架式の連絡通路は無く、ゴチャゴチャした路地ばかりの昭和チックな街並みだった。その為、パチ屋・スロ屋も非常に狭い店が多く、ラック・ニューハトヤは、通路をすれ違うにも苦労した。
・「いろは」は南武線改札の目の前にあった赤いネオンの横長なホールで、狭い割に設置台数が多かった。新要件初期には、三共の「FスパークGP」の甘釘台を連日追っかけていた。
・「玉の家」は、小田急線改札の目の前の店で、1Fがパチ、2Fがスロとなっていた。高校生時代、パチ好きの友人に付き合って、学校帰りにパチ屋の新装に寄るという「愚行」を犯したのがこの店だ。現役時は、ここで一勝負した後に隣の立ち食い蕎麦屋「橘」に寄るのが決まりであった。
・「ハトヤ」は、この界隈一の設置の多さだったが、当時はまだ2Fに店舗は無かった(2Fは居酒屋「七福亭」やラーメン屋などが入っていた)。当時、リバティベル3を1Fの左端のシマに置いており、1991年には「21世紀・世界全滅打法」の実戦風景に出会ったことがある。
・「ミツワ」は非常に狭いスロ専で、コンチネンタル1の新装以来、かなり通い続けた。大当りすると、頭上の真っ赤なパトランプがクルクル回り、昭和チックな演出を堪能できた。コンチ1では、ビッグ終了後1ゲーム目にチェリー付のリーチ目が出現して、ビッグ1ゲーム連チャンを初めて体験、非常に驚いた記憶がある。ツボに入った時の連チャンは、登戸でも1,2を争う程だった。
・「ラック」はウナギの寝床のような細長いシマが特徴で、「バニーガール」のピュンピュン鳴るストップ音が表通りまで響くのが特徴だった。モーニングの仕込みが外から見える…などという噂が立った事もあるが、その恩恵を受けた記憶はない。
・「ニューハトヤ」は、90年代前半には、そこそこ足を伸ばす程度だったが、後に沖スロの「シオサイ30」が導入された時には、足繁く通う事となった。札台など、狙い台が決まれば勝率が非常に高かったので、シオサイの時期には、ほぼ毎日通っていたのではないか。
100円で玉を借り、狙いもわからず見よう見まねで打ったらどんどん玉が増え、歪んだプラスティックの箱いっぱいになったところで景品に交換しました。ちょうど2000円になったことを覚えています。なんだが胡散臭い景品がお金に変わるということに後ろめたさというか、ワクワクというか、不思議な感覚でした。
打った台はベースボールでした。