美唄市にかつて、短期大学がありました

2013(平成25)年3月をもって在籍ゼロに、同年6月8日に閉学式を行いました。それからの活動の記録です。

短大の教室

2019年12月24日 12時24分26秒 | 本短大のこと
介護実習室

この教室が授業で使われたことがあるのでしょうか?
「みどり」と「商経社会」の2学科体制に、
改組したさいにリフォームされた教室と記憶しています。

この教室ののぞき窓には、
クリスマスの飾りが、
ずっとありました。

旧・専修道短大のいま

2019年09月29日 00時45分46秒 | 本短大のこと
キャンパス風景
平成29年に法人の手を離れた、
旧・短大の土地や建物の現在の風景です。

写真:中庭

ロータリの中庭は、草ぼうぼうです。

写真:中庭と玄関前

写真は2019年の夏に撮影しました。
悲しい風景でした。

インターネット上の地図でも、
本学の名前は消えています。
でもセコマは・・・

本学の旧備品がこんなところに

2018年09月01日 22時05分31秒 | 本短大のこと
本学の旧備品がこんなところへ

本学の閉校後は、その土地や建物はもとより、
様々な備品が売却・譲渡されました。

札幌・豊平区にある「八紘学園」へも、
多くの旧備品が譲渡されたと聞いています。
そのひとつの画像がありましたので、ここに紹介します。

「札幌時空逍遥 札幌の街を、時間・空間・人間的に楽しんでいます。」
というサイトからの転載です。
写真は、車体に「専修大学北海道短期大学」
と書かれたトラクターです。

写真:ジョンディア1630
http://keystonesapporo.blog.fc2.com/blog-date-20180720.html

元商科教授・故_中村尚正 氏について

2018年04月15日 00時58分10秒 | 本短大のこと
4月15日は、商科教授・中村尚正氏の命日です。

同氏は2001(平成13)年4月15日に帰天しました。
本日で17年になります。
仏教者であれば昨年、17回忌の法要が行われていたはずですが、
同氏はキリスト者でしたので、
没後17年には、何の意味もありません。

同氏の死を知り仏教のお通夜に相当する15日の告別式参加のさいに、
受け取った小さなシオリが今も手許にあります。
そこに没年月日と氏の洗礼名、
そして氏の好きな言葉が記されています。

「一粒の麦は 地に落ちて死ななければ一粒のままである
だが死ねば 多くの実を結ぶ」
聖書のヨハネ12・24-25の文章だそうです。

本学にとっての同氏は、毀誉褒貶がありましたが、
多くの卒業生(教え子)には、
記憶に残る教育者であったことは間違いありません。

タバコが好きで酒が好きな教授でした。
酒席での武勇伝は、噂では聞き及んでいましたが、
目撃もしたりしました。

01年に同氏は、なくなりましたが、
短大にとっては残念ながら多くの実を結ぶこともなく、
その12年後には大学が消滅してしまいました。

教授にお世話になったうちの一人として、
改めて同氏を追悼する文章を本ページに載せました。
このページをご覧になった人で、教授をご存じの方も、
同氏の思い出に触れてみてください。

同氏の葬儀・告別式は、当時所属していた教会で執り行われました。

当時といまでは、美唄の街もずいぶんと変わりましたが、
いまでも同じところに教会があります。
ただ神父は美唄の教会には常駐されていないようで、
三つの教会を掛け持ちされているようです。

3月5日

2018年03月05日 09時17分52秒 | 本短大のこと
専修短大の卒業式

この短期大学は毎年、3月5日が卒業式をしていました。
かつては美唄市の中心部の市民会館が式会場で、
終了後は「ホテルスエヒロ」で謝恩会でした。


写真は同ホテルの外観です。公式HPより
http://www.bibai-hs.jp/

いつのころからか卒業式も学内の体育館で、
おこなうようになりました。
式終了後は各学科ごとに教室に移動し、
そこで各人に一人ひとり卒業証書を渡すセレモニーをしていました。
これら一連の儀式終了後は、
同窓会主催のパーティーが同じ体育館でおこなわれました。

2012年の卒業式後のブログもアップしています。
そちらもご覧ください。