美唄市にかつて、短期大学がありました

2013(平成25)年3月をもって在籍ゼロに、同年6月8日に閉学式を行いました。それからの活動の記録です。

高倉健主演-映画「駅」~増毛ほか

2017年01月23日 13時37分46秒 | 美唄など地域のこと
シネマ紀行
駅STATION

北海道銭函/雄冬/増毛
2006年5月28-30日取材
1981年 東宝 132分
[監督]降旗康男
[原作]倉本聡
[脚本]倉本聡
[撮影]木村大作
[音楽]宇崎竜童
[出演]高倉健、いしだあゆみ、大滝秀治、古手川祐子、
小松政夫、烏丸せつこ、根津甚八、
宇崎竜童、倍賞千恵子、室田日出男


DVDパッケージ

--1967年1月 直子--
その日、警察官の英次(高倉健)は雪の降り続く銭函駅ホームで、
妻の直子(いしだあゆみ)と、四歳になる息子義高に別れを告げる。
離婚を承諾した直子は、動き出した汽車の中で、
英次に笑って敬礼するが、その目には涙が溢れていた。
苛酷な仕事と、オリンピックの射撃選手に選ばれ
合宿生活が続いていたことも原因であった。
その頃、英次の上司、相馬(大滝秀治)が
連続警察官射殺犯“指名22号"に射殺される。

--1976年6月 すず子--
英次の妹(古手川祐子)、冬子が、愛する義二(小松政夫)とではなく、
伯父の勧めた見合の相手と結婚した。
英次は、妹の心にとまどいを覚え、
義二は結婚式の夜に荒れた。
その頃、英次は、赤いミニスカートの女だけを狙う通り魔を追っていた。
増毛駅前の風侍食堂につとめる吉松すず子(烏丸せつこ)の兄、
五郎(根津甚八)が犯人として浮かんだ。

写真:映画では「風待食堂」。
多田商店は雑貨屋さんで、観光案内所でもある。
店内には、ロケのときのパネル写真が飾られている。

すず子はチンピラの雪夫(宇崎竜童)の子を堕すが、彼を好きだった。
しかし、雪夫にとって、すず子は欲望のハケロでしかなく、
英次が警察官と知ると協力を申し出た。
雪夫は結婚を口実にすず子を口説いた。
すず子は、刑事たちの張り込みに気づいていながらも、
愛する雪夫を兄に会わせたくて、隠れている町へ案内した。
そして、英次の前に吉松が現れたとき、
すず子の悲鳴がこだました。

--1979年12月桐子--
英次は故郷の雄冬に帰ろうと、連絡船の出る増毛駅に降りた。

写真:留萌本線増毛駅。無人の終着駅で、ひっそりとしていた。

風待食堂では相変らず、すず子が働いていた。
雪夫は結婚したらしく、妻と子を連れてすず子の前を通り過ぎて行く。
船の欠航で所在ない英次は、赤提灯「桐子」に入った。
女手一つで切り盛りする桐子(倍賞千恵子)の店だが、客は誰もいない。
自分と同じく孤独の影を背負う桐子に、いつしか惹かれる英次。
大晦日、二人は留萌で映画を観た。
肩を寄せ合って歩く二人が結ばれるのに時間はかからなかった。


英次は、初詣の道陰で桐子を見つめる一人の男(室田日出男)に気づく。
やがて、“指名22号"のタレ込みがあり、英次は増毛に戻る。
手配写真と、桐子を見つめていた男の顔が英次の頭の中でダブル。
そして、桐子のアパートで22号は、英次に撃たれる。
警察に通報しながら22号をかくまっていた桐子。
札幌に戻る前、英次は桐子を訪ねる。
英次に背を向け「舟唄」を聞き入る彼女の顔に涙が流れている。
~goo映画より引用

ここで掲載した写真は、以下のブログから借用しました。
http://blowinthewind.net/cinema/station.htm

映画の舞台になった「増毛駅」は、もうありません。

留萌線はそれでも本線

2017年01月01日 09時17分52秒 | 心が痛みます
鉄道ニュース週報47
留萌本線留萌~増毛間廃止で「JR最短の本線」記録が更新された
杉山淳一
[2016/12/07]

12月4日、JR北海道は留萌本線留萌~増毛間の運行を終了した。
沿線住民や鉄道ファンなど多くの人々が集まり、
最終列車を賑やかに見送った。
そこには「みんなでお別れをしたい」という増毛町の願いと、
最終運行日を延期したJR北海道の粋な計らいがあった。
一方、JR北海道は残存する留萌本線深川~留萌間もバス転換を提案した。
しかし深川市長は協議を拒否している。

留萌本線は北海道深川市と日本海沿岸の留萌市を結び、
さらに海岸沿いに南下した増毛町を結ぶ66.8kmの路線だった。
留萌~増毛間の廃止により、現在は深川~留萌間50.1kmの路線である。
深川駅は函館本線の駅だ。
かつては旭川駅や札幌駅・小樽駅から深川駅を経由し、
留萌本線に直通する急行も走っていた。


チャート:留萌本線と羽幌線、鉄道敷設法第135号線の略図


「●●本線」という路線名は支線と組み合わせて名づけられる。
留萌本線にもかつて支線があった。
羽幌線だ。留萌駅(当時の駅名は留萠駅、線名は留萠本線)から
北へ日本海沿いに進み、宗谷本線幌延駅に至る路線だった。
この羽幌線は1987年に廃止されている。
羽幌線は141.1kmだから、留萌本線の2倍より長い支線であった。

そもそも留萌本線は、JRグループで筑豊本線(66.1km)に次いで短い本線だった。
12月5日付で留萌~増毛間16.7kmが廃止されたから、
「JR最短の本線」という記録が更新された。
現在は支線を持たないため、報道などでは「留萌線」とも表記される。
まるで函館本線の支線のような扱いだ。

しかし、留萌本線が本線と名づけられた理由は、
本線としての期待があったからだ。
1922(大正11)年に施行された鉄道敷設法では、
第135号線として「石狩国札幌ヨリ石狩ヲ経テ天塩国増毛ニ至ル鉄道」が策定されている。
この路線が完成すれば、留萌本線は
札幌から日本海沿岸経由で留萌に至る路線になった。

大都市札幌と留萌を結ぶから留萌本線。
留萌から北へ向かう羽幌線が支線となった。
これで納得できる。もし鉄道敷設法で策定された通りに
札幌とつながっていたら、札幌~留萌~幌延間の海沿いの路線が留萌本線に、
留萌~深川間が支線になって「深川線」とでも呼ばれたかもしれない。
それももう叶わぬ夢だ。

留萌本線と羽幌線が計画された背景には、
石炭と海産物の輸送需要があった。
留萌市の北と東には留萌炭田と呼ばれる大炭田地帯が分布する。
石炭を留萌港に集約する、または陸路で札幌・旭川など
大都市へ輸送する路線だ。留萌港をはじめ、
沿線の漁港はニシン漁が盛んで、留萌は
カズノコの加工でも栄えている。

しかし、石炭の需要はなくなり、沿線の炭鉱は閉鎖。
ニシンの水揚げは激減した。留萌のカズノコ工場は現存しているけれど、
原料のニシンは輸入だという。
羽幌線と留萌本線の貨物輸送のおもな役割は終わった。
羽幌線は旅客の輸送密度2,000人/日未満の特定地方交通線として
第2次廃止対象路線のリストに入り、1987年にバス路線に転換された。

当時の留萌本線はこの基準をクリアしており、
特定地方交通線のリストには入っていなかった。
しかし1980年代から沿線の過疎化が進み、
1987年のJR北海道発足時には輸送密度435人/日まで落ち込んでいた。
高倉健主演の映画『駅 STATION』の公開は1981年。
スクリーンに登場する留萌の街は活気があり、
増毛の正月の風景も賑やかだ。しかし当時、
すでに人口減少は始まっていた。

特定地方交通線の条件を再検証するなら、
JR北海道発足時に廃止論議があってもおかしくなかった。
廃止論が起きなかった理由として、分割民営化によって、
JR各社には地域に寄り添った路線運営が期待されたという事情がある。
「重い荷物は処分してあげたから、あとは民営会社の努力次第」というわけだ。
JR後の路線廃止はJRの責任となる。
そうなるとJR側からは廃止を言い出しにくい。
国鉄時代からのイメージアップを図りたいという意向もあった。

しかし、留萌本線の利用者は減り続け、
2014年度は営業密度142人/日まで減ってしまう。
JR北海道は2011年の事故多発などから始まる危機を迎え、
安全と北海道新幹線に経営資源を集中する方針となって、
赤字ローカル線の運行本数削減、路線廃止を検討した。

2015年6月、JR北海道は留萌本線廃止の意向を沿線自治体に通知。
第1段階として留萌~増毛間を2018年度までに廃止する意向と報じられた。
第三者委員会のJR北海道再生推進会議も「JR北海道再生のための提言書」を提出。
鉄道特性を発揮できない線区の廃止を含めた見直しを求め、
輸送密度500人未満の区間の一覧表を付した。
この中に留萌本線全区間が入っていた。
同年8月、JR北海道は取締役会で留萌~増毛間を2016年秋に廃止すると決定し、
沿線自治体と協議に入った。

2016年3月、JR北海道は留萌~増毛間について、
11月末の運行をもって廃止すると正式に提案。
増毛町はいったん保留し、代替交通機関、観光振興の支援など
5項目を要望。協議の結果、廃止日を2016年12月5日とし、
12月4日を最終運行日とすると合意した。

わずか5日間の廃止日延期は何を意味したか。
11月30日は水曜日。12月4日は日曜日。
最終運行日を週末とし、95年間の留萌本線最後の日を、
多くの人々が参加できるようにという配慮だった。
増毛町の願いにJR北海道が応じた。
最後の粋な計らいだったと思いたい。

2016年12月4日。最終列車は大勢の乗客と人々に見送られて
増毛駅を発車した。その様子は新聞、
テレビなど多くのメディアが取材した。
増毛駅では色とりどりのペンライトが揺れ、幻想的で、
心に残る情景となっていた。見送りの人々が振る鮮やかなペンライトは、
増毛駅前通り商店会が用意したという。

北海道新聞によると、増毛町長は鉄道ファンとのこと。
増毛駅では「鉄道ファンの私が廃線に同意の判を押さねばならず、
最後の日に立ち会わねばならないことは非常につらい」と語った。
その心の痛みは、多くの鉄道ファンの共感を得ただろう。

JR北海道は残る深川~留萌間もバス転換したい意向だ。
これに対し「深川市長が協議会の開催を拒否した」と北海道新聞が報じている。
深川市長が言うには、「北海道の鉄路の将来をどうするかという総論の議論を経ないと、
個別の路線の協議に入ることはできない」とのこと。
もはや自治体とJR北海道の個別の事例ではないという考え方を示している。

ローカル線のほとんどは、幹線に接続する起点側と終点側の認識に差がある。
終点側にとって、起点側とのつながりは死活問題といっていい。
その反面、起点側は終点側への需要は少なく、比較的冷静だ。

しかし、留萌本線の起点側である深川市が危機感を発している。
それだけに深川市長の発言は重い。
増毛から鉄道が消え、留萌から鉄道が消える。
次々に足切りが行われて、いずれ深川からも鉄道が消えるのではないか。
そんな危機感がある。

このまま赤字ローカル線の各個撃破が続けば、
人口の少ない地方はすべて鉄道をもぎ取られ、
ヒトやモノの流れが止まり、経済が淀んでしまう。
この危機感は北海道に限らない。
日本のすべての地域のローカル線に降りかかるかもしれない。

※本記事は掲載時点の情報であり、
最新のものとは異なる場合があります。予めご了承ください。


http://news.mynavi.jp/series/railwaynews/047/